安田浩一さん、2か月ぶりにノンフィクションの筆圧を見せつける
令和4年6月17日、「ノンフィクションの筆圧」復活の儀
令和4年6月17日、ついに安田浩一さんの「ノンフィクションの筆圧」が2か月以上の空白期間を経て新しい記事が公開されました。その記事は、令和4年6月3日に東京高等裁判所で言い渡された原告兼被控訴人辛淑玉さんと被告兼控訴人DHCテレビの損害賠償請求事件の判決ではなく、もちろん同日に横浜地方裁判所で宣告された伊藤大介被告人と北島直樹被告人の大阪市北区堂山町傷害被疑事件及び茅ケ崎市民文化会館暴行被疑事件の判決でもありませんでした。安田浩一さんがノンフィクションの筆圧を見せつける記事として選んだのは、6月7日に京都地方裁判所で公判が行われたウトロ地区非現住建造物放火被疑事件でした。てっきり、原告側から民事訴訟の資料の提供が期待できる事件の記事ではないというところで原稿用紙を突き抜くほどの筆圧を見せたというところでしょうか。
ただ、この記事に連なる一連のウトロ地区非現住建造物放火被疑事件に関する最初の記事でこのような記事を書いていることには疑問が残ります。
しかしながら、ウトロ地区の問題に関する記事としては重要な部分が触れられていません。平成2年6月20日の衆議院法務委員会では、日本社会党の小澤克介衆議院議員から調査結果に基づいて次のような質問がなされています。
国や地方公共団体がウトロ地区の問題を解決する道義的な責任が発生するためには、原因となった土地取引を行った者が日本国籍を有する者であるかどうかということが重要な視点であると思いますが、衆議院法務委員会での質問を確認した限りでは、日本国籍を有する者ではないのではないかと結論付ける材料しかないわけです。そして、安田浩一さんの記事ではその点にまったく触れていません。
安田浩一さんにしては珍しい公判再現記事
私は、民事事件の口頭弁論や刑事事件の公判の再現記事の執筆というのは非常に工夫と努力が必要なものだと常に感じています。私の場合は、口頭弁論や公判の記憶をもとに記事を書きますが、その記憶を頭の奥底から引き出すためにメモが必要となります。
その記憶を正確に喚起させようとすればするほど多くのメモが必要となります。直近の再現記事である大阪市北区堂山町傷害被疑事件及び茅ヶ崎市民文化会館暴行被疑事件でのメモ量は次のとおりでした。
令和3年9月23日 第1回公判 ノート18頁
令和3年12月3日 第2回公判 ノート18頁
令和4年1月24日 第3回公判 ノート28頁
令和4年6月3日 判決宣告 ノート 9頁
安田浩一さんは、一応プロのジャーナリストですから公判再現記事について独自の手法をお持ちなのだと思います。ただ、津崎尚道さんが神原元弁護士を提訴した民事訴訟では完全に記憶に頼ってまったくメモを取らずに取材するという離れ業を披露されましたが、これ以外にも安田浩一さんが裁判を傍聴している姿をしばしば拝見していますし、安田浩一さんの後ろの席に座った時にはどのようなメモをとっているのかを確認することもできました。ただ、いずれの機会においても安田浩一さんが速記でメモをとっていることはなく、速記ができるわけではないのではないかと私は考えています。それらを前提としたうえで安田浩一さんの記事にはひっかかる部分がありました。
異なる言い回しに関する違和感
安田浩一さんの公判再現記事で違和感を感じてひっかかったのは、質問やそれに対する回答の言い回しです。弁護人の主尋問では、次のような記事となっています。
この記事の中で弁護人の最初の質問が常体文で記載され、被告人の回答が敬体文で記載されています。しかしながら、次の質問に対する被告人の回答は常体文で記載され、再現記事全体を確認すると弁護人の質問が敬体文で記載されている部分も見られます。
細かい言い回しについては、確実に記録することができる速記を用いるのではない限り、再現することが不可能です。そのため、私の公判再現記事では敬体文で統一しています。荒巻靖彦証人の尋問では、証人が関西弁交じりの回答をしたりくだけた言い回しをしたりすることもありましたが、速記の技術抜きでそれらすべてを記憶し記録することは不可能ですから敬体文にしているわけです。ただ、安田浩一さんの記事では同じ弁護人や被告人であってもある部分では常体文、ある部分では敬体文という具合に統一されていません。そして、この言い回しの違いは少なくとも弁護人についてはあり得ないものであるといえます。なぜならば、100回を超える口頭弁論や公判を傍聴してきた中で、弁護人や訴訟代理人が常体文のような言い回しで尋問を行っているのを見たことがないからです。プロのジャーナリストである安田浩一さんがまともに推敲すらしていない文章を提供して人様から購読料を頂戴するなどといういい加減な仕事をするはずもありませんから、何らかの意図があってそのような言い回しをしているのでしょう。