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日本の学生運動はなぜダメになったのか

隠岐さや香東京大学教授の郷愁的学生運動論

 隠岐さや香東京大学教授が日本の学生運動についてツイートしています。

色々コメントやTLを見ていて考えたのだが、やはり日本の68年学生運動に関する言説には不思議なところがある。運動の参加者が20歳前後の若者達であったという視点が奇妙に薄い気がしてならない。つまりいい大人が当時の若者に対して怒っている。

@okisayaka

彼らは地に足がついていなかったから、彼らが差別的であったから、就職したらすぐやめてしまったから、彼らの一部は暴力を奮った等の理由が出てくるが、そもそも20歳そこらで70年代の学生。全体としてフランスの学生よりそこまでひどかったかと考えると…日本の彼らが期待されすぎていたようにも感じる

@okisayaka

それより学生運動ごときで将来のあるなしが別れるほど彼らが追い詰められたのがまず問題だし(端的に言って暴徒を出すやり方である)、更にはどうして成熟した大人もいたはずの日本社会が、20歳前後の若者達の運動にここまで下手に対処したのかは要検証。人権侵害の問題も含めて。

@okisayaka

日本の公安の社会運動取り締まりについて検索してすぐに出てきたのは台湾出身の研究者の方による博士論文だった。1980年代以降が中心だが戦後からの経緯もある。警察権力を対象化出来る視点がすばらしい。

@okisayaka

引用「当時の機動隊員には旧日本軍の下士官兵出身者が多かったから、デモ隊に対して力で勝負するという軍事的な思想が「機動隊魂」の中でも濃厚に残っていた(佐々, 1996, P.52)。そのため、機動隊の警備実施によって多数の参加者を怪我させる事件が多発した」(続)

@okisayaka

「例えば、1956 年 10 月の砂川事件においてデモ隊側の負傷者は七百人を超えた(広中, 1977, P.137)。 このような事件によって、警察の懸念した「市民の敵意」が生まれ、治安法関連の反対運動に繋がった。」(p. 24より)

@okisayaka

ここからあさま山荘事件までは大分まだ時間があるけど、全体としては警察の暴力が不可視化され、学生運動の暴力が強烈に可視化、言説化された経緯があるわけで、それはそれ自体興味深い。

@okisayaka

 東京大学の教授ほどの方が学生運動をめぐる当時の状況を誤って伝えているのには呆れますが、60年安保闘争の時代はもちろん、70年安保闘争の時期においても日本社会では学生運動に対して理解を示し、少なくない支持や支援がなされていました。

当時の日本を振り返る

 日本において学生運動が盛んであった時期は、ちょうど私の親の世代が学生運動の中心となる年齢となる時期でしたが、その当時の日本は太平洋戦争からの復興途中の時期でもありました。鳩山一郎内閣の時代の昭和30年に実質国民総生産が戦前の水準を超え、翌年の経済白書に「もはや戦後ではない」と記述されたわけですが、20年前の経済水準を超えただけで復興が完了したといのは自画自賛が過ぎるというものでしょう。
 日米安全保障条約の改正をきっかけとしてうねりとなった60年安保闘争の混乱の責任をとって総辞職した岸信介内閣の後に組閣した池田勇人内閣では、経済に舵を切って「所得倍増計画」を打ち出して高度経済成長がなされた時代でもありました。つまり、高度経済成長が可能なほどに日本はまだ裕福とはいえない状況であったということができると思います。
 私の親の世代について触れますと、父は地元の普通科高校を卒業しましたが祖父が戦死した母子家庭であることもあって経済的な理由で大学進学をあきらめて就職し、母は伯父の大学進学のために高校に進学することをあきらめて就職することとなり、その伯父もそのような状況で大学に進学することを拒否して就職したと聞いています。当時は学力や家庭環境に恵まれた者だけが大学に進学することができ、そうであるからこそ学生に対する社会の信用も現在とは比較にならないほど大きかったのです。当時学生運動の資金集めのためにヘルメットが回されることが多かったのですが、あっという間にヘルメットが札束であふれていたと聞きます。これは、当時の学生というエリートに対する信頼であったと思います。

学生というエリートの凋落

 「世界同時革命」を目指していた学生運動が、階級史観に基づく「持つ者」としての信頼に基づいているというのは学生運動に課せられた大きな矛盾であると思います。これは、父親が財閥系の大企業の重役である連合赤軍事件の受刑者が「父に養われてきた自分は、アジアの人民の血と命を踏みにじって生きてきた存在」と嫌悪感を抱いたりすることとなっていたり、その人物が連合赤軍の前身である日本共産党革命左派神奈川県常任委員会で栃木県真岡市の銃砲店で強盗をする際に銃砲店は警察と結託しているから権力であるなどと理解に苦しむ論理で銃砲店経営者家族の子供まで拘束して銃器を強盗していたという矛盾などとも共通するものでもあるでしょう。そして、彼らが「殲滅戦」を戦う敵であった警察の現場に立つ者は、当時大学に進学することができずに警視庁や道府県警本部の警察官として就職した者が少なくなかったということも指摘しておかなければならないでしょう。
 また、後に日本赤軍となる共産主義者同盟赤軍派の一派でパレスチナに国際根拠地を求めた者達は、パレスチナ解放人民戦線の義勇兵としてイスラエルロッド空港の銃乱射事件を起こしますが、犠牲となった者はすべて一般市民でその多くはイスラエル人ですらなく巡礼目的のプエルトリコ人でした。重信房子は、この事件直後に犯行声明を発表しましたがイスラエル人の一般市民だけでなくパレスチナにすら無関係のイスラエル国籍でない一般市民を殺害しておいてどのように自らの行為を正当化したのか理解に苦しみます。
 このような犯罪史上最も残虐ともいえる事件を発生させたうえで、それらの行為を正当化させていった日本の学生運動は、一般市民からそれなりの信頼を得られていた現在でいう「上級国民」と認識されていた大学生が中心となって活発化し、最終的には犯罪史上例を見ない凄惨な事件を発生させることによってその信頼を地に堕としてしまったわけで、隠岐さや香東京大学教授のツイートのように社会の無理解が学生運動を受け入れなかった原因などではないのです。

余談

 なお、余談として連合赤軍の総括には、「純潔主義」に基づくものが多いように感じています。連合赤軍の総括のきっかけとなったのは赤軍派の女性メンバーが山岳ベースで化粧をしていたり指輪をつけていたことによる革命左派からの総括要求でしたし、山岳ベース事件の最初の総括の標的となった革命左派男性メンバーと女性メンバーは互いの交際が原因でした。また、革命左派で中央委員であった男性メンバーの総括は女性メンバーの総括中にわいせつな表現で罵倒したことがきっかけとなり、女性メンバーを侍らそうとしたことの告白が「処刑」の理由となりました。山岳ベース事件の後半に殺害された革命左派女性メンバー2人は男性に媚びていることが総括の理由の一つでもありました。
 これらのような「純潔主義」は、右派、左派問わず社会運動全般に蔓延しているように感じています。近年、女性のイラスト等の表現に対し、「性的消費」と批判する自称フェミニストの根底にも純潔主義が流れているように感じます。フェミニズムとは本来女性の自由な生き方に対する障壁を取り除くことが目的で、ある時期には女性がミニスカートを穿くことが女性解放の象徴でもあったはずですが、いつの間にか当時の女性解放運動を冷たい目で見ていた者たちと全く変わらない「純潔主義」に陥っているのには目眩がします。