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[日記]2024.2.9 河津

湯に花びらが落ちてきただけの疑惑がある櫻茶

 住民よりも櫻の数の方が多い街へ初詣にいった。ご存じの通り、この時期は河津川沿いの櫻が満開で、觀光客で賑わう。そのため、人ごみを避け、老夫婦が営む茶屋で櫻茶をご馳走になっていた。櫻茶といっても、櫻と湯が紙コップに入っているだけのことである。女将曰く、

「店のまえの櫻が最も開花が遅いから、花見シーズンの終盤に繁盛するんだよ」

ということであった。なるほど、山高月遅上ではないが、遅い道をあえて選ぶ視点は厭ではない。しかし、来年からは川崎にもどり、鮨屋をされるというから、もはや私には何処の櫻かわからないであろう。

河津櫻の原木と通行人を演じる私

 逆に、開花が最もはやいのは原木になる。河津櫻の原木は川の外れにあり、こちらはその貫録を未だ保っている。一輪々々がおおきく、生命を感じる。ここから全國へ河津櫻が拡がっていったとおもうと、一見の価値はあるであろう。やはり觀光は原木、あるいは原木以前を愛でるに限る。

樹齢千年を超えた大楠と神

 閑話休題。さて、初詣である。目論見通り、こちらの大楠はほぼ人が居なかった。聖域に限らず、場にははいってよい時と処がある。それは文字にすることはできない。なぜなら、人によって移ろうものになるからだ。頭が入っても、歩を進めることが許されない処もあれば、その逆もある。吾が身を觀ながら、眼前が自ずとひらけるのを待つ。おそらく、こちらの姿勢が觀光の原木なのであろう。

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