目の前で美容師さんが泣いた。理由はずっとわからない。

ゆっくりした時間をいま生きている。
もし世界の喜びを増やすか哀しみを減らすかを選択するとしたら、僕は哀しみを減らすほうに自分の全命を使いたい。
世の中に、特にインターネット上に「善い言葉」が増えればいいと思っているので、頑張ってそれを訓練しようと、noteをはじめています。
でも、書きたい欲はあっても書くべき言葉が一向に、全く見つかりません。ぼくの表現力では歯を立ててもボロッボロになる世界の現実が、いよいよ押し寄せている。ぼくは無益な言葉をつらねる。いつかこの無益さから脱することができればと切に願う。

 ゆっくりで日常に変化がないからか、目まぐるしい日々には思い出しもしなかったことがふとやってくることがある。実はこんなところにトゲが刺さっていたことを自覚する。もう抜く術はないけれど、時々思い出して、ましてやこうして発露してやれば、トゲも喜ぶかもしれない。

 あれは20代、ぼくが中野に住んでいる頃だった。
2、3度通った美容院があった。リーズナブルで、でもオシャレで、中に入ると照明がフワフワと色着いて浮いているようでいい匂いがして、オシャレに疎いぼくのちょっと背伸び心を満たしてくれる素敵な空間だった。誰に切ってもらうかにこだわりがないので、毎回違うひとが担当していた。3度目に行った時担当してくれた女性は、ゆるくウェーブをかけたボブヘアーで、背が高く、笑うととても可愛らしい方だった。ちょっと気後れするな、と思った。
 髪を切っていると半ば必死に世間話をするものだが、毎回違う人に切られる&会話ストックのないぼくは、たいていどの美容院でも「今日はお仕事お休みですか」「あ、ダンサーなので平日時間あるんです」「美容師さんって激務そうで大変ですよね」という話題を繰り返していた。事実、そんな美容師という職業を尊敬しているし。弾む会話は炸裂させられないものの、和やかな時間は流れていたと思う。それに安心しながらも、この担当の女性が、どこか切実な、どんよりしたものをまとっているなと感じていた。まぁいろいろあるよね。そのネガティブなものを覆っている笑顔や、どこか外に出したいような感じ、この人も必死に生きているなぁと思いながら店を出た。辛い時に笑顔でいるという強さがぼくにはないので、こういう人と会うと印象深いのだ。そして数日後、その人の涙を見ることになる。

 その日、ぼくは深夜練に向かうために中野駅のホームに向かっていた。階段を駆け上っていると、その女性がちょうど降りてくるところで、お互い気付いてしまった気まずさで、挨拶を交す。ぼくは覚えているが、相手は覚えているかわからないくらい赤の他人である。挨拶するにはギリギリ遠い距離感だ。ぼくが「こんな時間まで本当にお疲れ様です」というと、その人は「こんな時間にどこに行くんですか」という。「これから深夜練があって」というと、その人は「なんでそんなに頑張れるんですか?」と言って、泣き出した。あ、これは溜め込んでいたものが溢れる瞬間に出くわしてしまったな、と思った。「シンヤレン」という言葉がそもそも馴染みのない人のはずなのに。バツが悪いので「いやいやダンサーは深夜練なんて普通なんですよHAHAHA」と謎の弁解をかましながら同時にもっと言いようねーのかと自分に焦っていた。その日ぼくは深夜練以外ろくな用事がなく、どう考えてもこの女性よりも人生をサボって生きている。いやいやそんなことは問題じゃねぇ。 あなただって、こんな遅くまで本当に頑張っていらっしゃいますね。 たまにはゆっくりしてください。 また美容院行きますね。 心の中に、たくさんかけたい言葉が浮かんだが、何も知らないこの人のことをうまく励ます言葉には辿り着かなくて、電車のドアが閉まりそうで、次に出た言葉は「それでは、また!おやすみなさい」だった。
 
 後日、またその美容院に行った。いつも通り担当者は指定せず。でも、あの人に、あの時かけられなかった言葉を、和やかな時間の中で隙をみてかけてみたい、と心の隅で思いながら向かったら、今日はおやすみなんですよとのこと。そしてなんと、ぼく宛に手紙が預けられていた。小さな紙で「いつも切りに来てくれてありがとうございます」「変なとこ見せちゃってごめんなさい」というような内容だった。あの日の涙は、あの人にとっても、手紙を小さく書くくらいには大事な出来事だったのだろうと思うと、やるせない気持ちになった。
なぜ、あの深夜に、あの人は中野駅の改札へ向かう階段を降りようとしていたのだろう。どこに向かおうとしていたのだろう。家だったらいいな。

 それから、ぼくはその美容院に行かなくなった。なんとなく・・・気まずかったのかもしれないし、もう一度会うと好きになってしまいそうだったからかもしれない。
その人の名前も覚えてないし、いまはもう顔もよくわからない。
時々溜め込んだものが溢れてもいいから、元気にしていてくれたらなと思う。マジで誰にも届かない、ないのと同じような願いだ。
溜め込んだものが溢れてしまった人になんの言葉もかけられなかったトゲ、あの人の切実は、このまま抜けずにぼくに刺さり続けると思う。
ひょっとしてもう思い出さないかもしれないな。
元気にしていてくれたらいいな。お手紙、お返事できなくてごめんなさい。

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