俺たちの新海誠
深海誠と言えば映画監督である。これは日本の常識になったと言っても過言ではない。
けれど、新海誠という映画監督が広く浸透したのは間違いなく「君の名は。」だと思う。言わずと知れたメガヒット作品だ。
過去の記事でも少し書いたけれど、アーカイブ主流の現代において、古参という言葉にそこまで意味はないと思っている。
けれど、少なくとも深海誠と自分の付き合いは長い方だと言えるだろう。
ついこの前まで、新海誠は俺たちの新海誠だったのだ。
この記事はすずめの戸締まりを見た感想を書こうとした際に、自分と他の新海誠作品についても触れたくなったものだ。
すずめの戸締まりのネタバレの入った感想は別に書いたので、感想だけ読みたい場合はリンクから飛んでいただけるとありがたい。
また、最後に宮崎駿監督作品「君たちはどう生きるか」についても少しだけ記載している。
俺たちの新海誠
新海監督を初めて知ったのは「秒速5センチメートル」だった。多分、新海ファンだったらこの作品を知らない人間はいない。
どちらかと言えば悲愴な結末の作品で、ここまで好きになったのは自分としては珍しいかもしれない。基本的には幸福な結末を好む傾向にある。
それはアニメ作品の作画とは思えない背景の美しさに初めて触れたことや、小田急線になじみがあったこと、中学生が遠くに初めて電車で向かうときの感覚や、手掛かりが飛ばされた絶望感への共感、終盤の無力感とか。
好きになったのはそんな要素からだと思っている。
高校生の頃、これから10年以上付き合うことになる友人に何の気なしに見せたら自分よりハマりだした。数人で集まり、その友人の家で過去の新海作品も見た。
元々そこまでアニメに興味のなかった友人が、そんな会を開くくらいにはハマっていた。
自分はジブリ作品が大好きだったので、アニメ映画を見ることに抵抗はなかったこともあるけれど、まさかここから10年以上新海誠作品を追っかけるようになるとは思わなかったし、ここまでアニメ文化そのものが広く受け入れられるとも思わなかった。
新海誠は映画監督の前にシステムエンジニアからアニメ監督の世界に足を踏み入れた人だ。
最初は殆ど一人で作った自主製作の映画から始めた感じだったはずだ、まだSEの仕事をやりながらだったと思う。
流石にその処女作品「ほしのこえ」から追っているほどの古参ではない。秒速で好きになってから友人の家で見た。
ストーリー自体は面白いと思うのだけれど、正直作画やら、声やらは大きな声で褒めることはできない。
そりゃあ作画からなにやらほとんど一人で作ったのだからしょうがない、もちろんその労力などを鑑みたらすごいとは思う。
実際評価は高く、色んな賞を取っているようだ。
この作品は地球に住む男性と、宇宙で未知の生命と闘うことになった女性の恋物語。
恋人同士だったけれど宇宙という桁違いの時間と空間に裂かれる二人、みたいな物凄く意欲的な作品だった。
この男女の距離、時間というのは長らく新海誠のテーマだったように思える、今もそうかもしれない。
「秒速5センチメートル」も、「君の名は。」も男女の時間と距離がテーマのように感じている。
中学生のときにギターを始め、弾き語りで練習していたのが山崎まさよしのOne more time,One more chanceだ。
言わずとしれた名曲である。
自分が新海誠を知ったきっかけはこの曲だったはずだ。「秒速5センチメートル」の主題歌がこの曲らしいのである。
何の気なしに見てみたら思春期の心にぶっさ刺さってしまった。
内容としては、おそらく初恋の相手との自然消滅の話なのだけれど、章分けで物語の主人公を変えて、視点移動させるのが秀逸だと思う。
中学生の頃は主人公視点だったものが、高校生時代の主人公の心理を直接は描かず、主人公に恋する同級生の視点で間接的に描いている。
結末は短くまとめられている。実写レベルの背景も相俟って、現実感が本当に酷く強い作品だ。
これも「ほしのこえ」のように、小学生から社会人になっていく時間。そして物理的な距離の双方が招くすれ違いを描いている。監督は昔になんかあったのか。
秒速から新海作品を追うようになった。今も付き合う友人と公開される度に都合が合えば一緒に観に行って、感想を話している。
友人とその前作にあたる「雲の向こう、約束の場所」もかなり昔に見た。正直そこまで強い印象がないのが本音だ。
そしてヒロインはやっぱりどこか遠い場所(距離)に隔離されていて、それを救い出すような物語だったような気がする。
その後上映された「星を追うこども」と「言の葉の庭」は劇場で観た。上映館は少なかった。少し遠出をして、小さな映画館で見たと記憶している。
どちらもあまり世間の話題に挙がることはなかったけれど、「言の葉の庭」は主題歌もストーリーも好みだった。
言の葉での雨の描写は、もういくところまでいってしまったと感じた。雨の描写に関してはもう、一つの完成形だったと思う。
そんな感じで、新海誠作品はストーリーがよくできていたらラッキー、背景を見て楽しんで、終わった後はあまり説明のされないストーリーを考察したり、ちょっといじったりするような、そんな映画が多かった気がする。
そんな中、「君の名は。」は上映館も最初の方から多かったはずだ、途中から増やしたかどっちだったかは忘れてしまった。
新作を毎回追っていた身からすれば「え、急に?」という体感だった。
一緒に観る友人とはまた別のコミュニティの友人もぽつぽつと見出すくらいに話題になり、「めっちゃよかった!」と声を揃えて言うわけだった。
「俺たちの新海誠がヒット作を作るのか……?」
と、そんな感じでいつもの面子で見に行くと、シンプルに面白い。ツッコミどころがないじゃん! 面白い! 面白い!
また、「君の名は。」最後のシーンに関しては新海作品を見続けた人にとって「ふざけんじゃねえぞ……」という作りになっていたと思う。もうすれ違わないでほしかった。秒速はそういう作品だけど、これは違うぞ! という。
かなりの満足度で見終えて、感想を語り合うため居酒屋に向かう道中でふと友人が言った。
「もう俺たちの新海誠じゃなくなっちゃったな」
作品の満足度やストーリーでわかってしまったのだ。この大ヒット作を生み出し、俺たちの深海誠は、みんなの新海誠になってしまったのである。
飲み会の席でなんやかんや話したときに、かなりストーリーの出来が良いという話になる。
あまり新海作品を見て来なかった友人が「でもけっこう王道だよね」みたいなことを言うと、友人の一人が声を上げた。
「馬鹿! 新海作品でまともなストーリーあるのが奇跡みたいなもんだから!」
もはやいじりどころの騒ぎじゃない。
酔った勢いもあるけれど、一定の理解もできてしまうのが困るところだ。
実際、君の名は。のストーリーはこれまでの作品に比べて格段に見やすかったし、視聴者を騙す意外性もあって本当に面白かったのだ。
この当時は珍しかった感覚がある、RADWIMPSが主題歌や作中歌を歌っていたのも大ヒットの一因としてあるけれど、「君の名は。」自体が面白かったのは間違いない。
新海誠作品が世に知れ渡ってしまった一抹の悲しさを覚える。
けれど「やっと時代が追い付いた」と、勝手な誇らしい気持ちを抱える古参ファン心理というものも味わった気がする。
大衆向けに作ったのはそうかもしれない、監督が意識したのかはわからない。
けれど、「君の名は。」は紛れもなく新海誠の作品だった。
「ほしのこえ」と同じく、「君の名は。」はまさに男女のすれ違い、膨大な時間と遠い距離ですれ違う男女の作品だったからだ。
時は流れて「天気の子」そして今回の「すずめの戸締まり」である。
すっかり大ヒットメーカーになった新海誠監督、3連続興行収入100億円超え、みんなの新海誠だ。
今回の「すずめの戸締まり」は冒険譚要素が強い。ジブリ作品リスペクトが随所に、というかもう作中で魔女宅とか言っちゃっていた。
星を追う子ども時代にこれができていたら、どうなっていただろうと少し考えるけれど、多分この時期に注目されるのが時代の流れとして適切だったのだろう。
とても言葉を選ぶ形にはなるけれど、3.11がなければ、これらの作品はきっと生まれなかったはずだ。
自分はラジオの影響も多く受けているのだけれど、アニメの影響も大きく受けている。ジブリ作品もそうだけれど、新海誠作品もそうだと思う。
秒速のせいでやたらこじらせた青春時代の価値観を持つようになった気がするし、言の葉の庭のおかげで雨がけっこう好きになった。
アニメを見ることがなんとなくマイナーで陰湿な趣味ではなく、一般にも浸透したのは深海誠作品ががっつりヒットしたからというのも一因だと思っている。
君たちはどう生きるか~ネタバレ有~
つい先日、宮崎駿監督最新作「君たちはどう生きるか」が上映された。この記事をストックから引っ張り出したのも、これを見たのがきっかけの一つだ。
プロモーションなしでも知名度だけでここまでヒットを飛ばせることが分かってしまったのだから広告代理店は頭を抱えていることだろう。
この感想も別で書き起こしても良いのだが、あまりの話題作だから、もう自分の感想や考察は誰かが同じようなものを書いているように思える。
なぜわざわざこの記事で言及するのかと言うと、宮崎駿最新作「君たちはどう生きるか」と新海誠最新作「すずめの戸締まり」はどうも色々酷似しているように思えたからである。
以下は多少なり「君たちはどう生きるか」ネタバレにもなるのだけれど、すずめの戸締まりも君たちはどう生きるかも、もう一つの世界が存在する。
すずめの戸締まりでは常世、君たちはどう生きるかでは名前がついていたのかはわからないけれど、生前の世界。
どちらも世界観として共通しているのは、生死が深く関わっていること、そして過去と現在、もしくは未来の時間が混ざり合っているところだ。
またどちらも主人公は母親を亡くしていた。これは創作上のベタというものだろうからたまたまだとは思うけれど。
そして、メッセージ。
宮崎監督はちょくちょく「この世は生きるに値すると、子どもたちに伝えたい」とインタビューで語っているはずだ。少し調べたら文春オンラインからこんな記事が出てきたので引用する。
なんなら今回は題名が「君たちはどう生きるか」である。
直接的にも程がある。
そして、すずめの戸締まりは「君は生きる、闇ではなく光の中で」と幼少期の主人公に自ら声をかけていたはずだ。
これは全くの偶然かもしれない。けれど、両巨匠は現代の若者が抱える、生きることへの閉塞感というものを犇々と感じているのだと思う。
そして、世界がくだらなくても「この世は生きるに値する」というメッセージを伝えているところもとても似ていると思う。
宮崎駿の言葉だ。
新海誠もこんなことを言っている。
君たちはどう生きるかは、わかりやすく様々な解釈が生まれる映画になった。
そんな映画を宮崎駿監督が作ったこと自体も驚きなのはさておき、一つの仮説として宮崎駿自身のこと、自らの創作が裏テーマだというのが有力である。
自らの創作を部分的に否定し、悪意があるとまで言った。後継者を育てられない、育てるべきではなかった。
そんなことはない。
「後継者」という点ではまったくわからないけれど、ジブリ作品にリスペクトを持ち、子どもたちにこの世は生きるに値すると伝えようとする優秀なアニメ監督は、確実にいるように思える。
そしてそれはその悪意のある創作によって自然に発生したものだとも思う。
みんなの新海誠になっても、これからも自分は見続けるのだろう。同じペースでいくのなら、次回作は4年後くらいだろうか。
期待して待ちたいと思う。
そしてみんなでまた見に行って、いい大人がああだこうだと感想を語り合う夜にしたい。
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