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三島由紀夫


先日、NHKで『アナザーストーリーズ 運命の分岐点 「三島由紀夫 最後の叫び」』と言う番組を見た。

晩年の三島由紀夫と交流があった人達の証言と言う内容だった。
どうも馬鹿げているなぁ、と思った。
三島由紀夫の自殺に関して「アホ臭い」と言う人が少ないのは『盾の会』のメンバー達が未だに生存しているから?と思うのだが、どう言う角度から見てもアホ臭い。
1970年に三島事件を起こして演説→自殺なので1977年産まれの私としては、全く分からない感覚である。

三島由紀夫は私は一時期・・・と言っても高校生の頃だが好きで読んでいた。
天才作家!と言う割には明らかな駄作も多くて、そう言う作品は読むのが苦痛だったが。
だが、あの時代って文学は全般的に面白くないんだよな。吉行淳之介とか読んだら、あまりの酷さにビビったもんな。

友人と三島由紀夫について話した事があるのだが

①ボディビルで身体を鍛え
②下戸
③浮気はしない
④博打もしない
⑤剣道の段位を所持
と言う奴と、三島由紀夫が「嫌いです!」と言った太宰治や坂口安吾と言った睡眠薬や覚醒剤を豆を食うかの如く摂取し、女癖も悪く、酒も酷いし、金銭感覚も狂った連中と、どっちが上か?って言えば文学と言う『白樺派』を経由した日本文学だと、性根が腐っている奴の方が面白いんだよな。

あの時代だと色川武大とかもいるか。
色川武大も博打に女、競輪、不摂生に精神病って言うのが昭和文学の最後の人だった気もする。

三島由紀夫は昭和文学と言うよりは明治時代以降の『純文学の駄目な部分』を抽出した文体だったと思う。
文体はハッキリ言えば軽い。
ただ、スピード感はない。
夏目漱石が凄いのは文体は重たいのに、物凄いスピード感なんだよな。
そりゃ鬱病にもなるよな。
ああ言うスピード感や疾走感はない。

あと、文体は何と言うか『翻訳文体』みたいなんだよな。
森鴎外は翻訳家としても著名だった人だが、森鴎外の文体を昭和にアップデートした、と言う感じもする。

今、思ったのだけども三島由紀夫は『金閣寺』にせよ、色々な作品で当時はTABOOとされた事を書いていたけども、それは森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』を意識していたのかなぁと思う。
あれ、すっげぇツマンネーけど。

でも、三島由紀夫でも面白い作品はある。
代表作の『金閣寺』は一度は読んだ方が良いよね?って言う感じだけども。
良いよね?であり「読むべきだ!」って感じじゃないんだけども。

三島由紀夫の文体は『引用と編集』なんだけども、それは現代アートにおけるアンディ・ウォーホルみたいな徹底した分析によって生み出された『引用と編集』と似ている。
アンディ・ウォーホルの作品に衝撃的な感じはないんだけども、あの時代に必要とされたからこそ、アンディ・ウォーホルが登場したんだろうけども、三島由紀夫も明治以降の純文学を徹底的に(彼が嫌いな太宰治も含めて)研究しつくして、それを引用と編集で編み出した文体である。

言葉の魔術師と言われた太宰治とか、谷崎純一郎とか
『下駄で炊きたての米を踏む』
じゃなくて、
『靴でパンを踏む』
と言うか。
スマートも過ぎると、どうもシックリこない。

で、盾の会だけどもウィキペディアを読むと
『もしも会員が万引きなどの不祥事を犯した場合や、訓練中に事故で死亡するようなことがあったら、隊長の三島が責任をとって切腹することになっていた』

と言う項目に爆笑してしまうのだがボディビルを始めた頃から彼は『切腹』と言うモノに憧れていたフシがある。
NHKの番組では三島由紀夫が生前、「戦争で生き残ってしまった自分は、死んでいった彼等に『戦後、何をやっていたんだ』と言われたら我々は文化をやっているんだ、と思うのです」と語る。
「戦争で生き残ってしまった」
と言うけども、徴兵検査を逃れたのは事実だし(病気だとしても)もっと言えば
「生き残ってしまった」
なんて言う観念が彼にあったとは到底、考えにくい。
「生き残ってしまった」と思うなら『盾の会』なんてクソ馬鹿臭い組織を作ったり、天皇を中心とした武士道で、決起しして・・・みたいな発想には至らない。

彼が右翼になったのは、単純に時代的に『左翼』の時代だったからカウンターとして右翼だったのでは?とさえ思える。
生きていたら脱原発デモで演説の一つや2つやっていた気もする。

ってか、彼は昭和天皇に「人間宣言なんかしやがってクソ野郎」と言っているが、歴史にも造形が深い三島なので実は、皇族自体を内心、認めていなかった。

天皇家って今は北朝だけども、彼は親しい友人にだけ「俺が認めているのは南朝だよ」と打ち明けている。

その割には昭和天皇を中心とした国造りを・・・とか、もう本人でも何を言っていたのか整合性は取れていたのだろうか。

『盾の会』を調べてみると思想的な集団と言うよりは三島由紀夫の人徳と言うか、やっぱり良い人だったんだろうし、若者を鼓舞していた人だったんだろうな、と思う。
思想的な部分で共感した人が多かった、と言うなら『盾の会』のメンバーは図書館にすら行ったことがないボンクラだし、ファッション的な部分だと訓練が厳しい。
そのへんは三島由紀夫の人徳と言うか人を魅了する部分だったんだろう。

しかし。

私は1977年産まれで、三島由紀夫が死んだのは1970年である。
ビートルズが解散し、ウッドストック・ロックフェスティバルは前年の69年。
ワイト島音楽祭も1970年が最後。

だから、1970年年と言う時代の雰囲気がよく分からない。

三島由紀夫ともあろう者が『天皇を中心とした国家』『武士道』『自衛隊に決起を促す』と言うも衝撃だっただろうが、私の時代は『W村上』の時代である。

村上春樹とか村上龍が自衛隊を選挙して演説して自殺したとしても「変な人だったよね」で終わると思うんだよな。

私の時代だと『地下鉄サリン事件』だから、市ヶ谷の駐屯地を占拠して演説・・・では、どうもスケールが小さく感じる。

どうなんだろう。

1970年は、まだ『小説家』と言うのが今の数万倍は凄いor偉い人だったんだろうか。

昭和天皇は三島事件に可也、興味を持っていたらしいが、まさか数十年前に自分が頭を下げてまで終わらせた第二次世界大戦の亡霊が生き返った・・・って感じだったんだろうか。

ってかさ。

天皇を中心とした国家なんて明治時代でもねーよ!って普通は思うんだよな。

明治天皇が国民生活にコミットしたのは『教育勅語』程度であって、それは江戸時代や室町時代と同じように『お飾り』でしかなかった。

天皇について『天皇は、自らの神聖を恢復すべき義務を、国民に対して負ふ』と言うが、じゃあ、天皇がガチで神様だった時代があったのか?って。

もしも、『天皇がガチ神過ぎ。ッパねぇっす!』と思っているなら、それは明治時代に西洋からもたらされた国家論なんだよな。
日本はヨーロッパを参考にして国家を作った。
国家には王や元首がいる。
えーっと、徳川家じゃ駄目?。あ、やっぱ駄目っすか!。えーっと、じゃあ『天皇』とか、どうすっか?。一応、それに近いんで。今ンところ、京都にいるんで連れてきますか?。

それで天皇を神にしたワケで元々、天皇が神だったワケではない。
明治政府の『国策』でしかなかった。

愛国心についても、それも明治時代からである。江戸時代は藩制度、村制度だったから、その藩や村に対しての忠誠心は皆無ではなかっただろうが、愛国心と言う以前に国がない。

そう言う事を三島由紀夫が知らなかった、とは考えにくい。

死に場所を探していた、とも考える事が出来るが、その死に場所を華々しく、盛大に行う為には『盾の会』を結成し、ありもしないクーデターを夢想し、自衛隊に決起を促し、そして、漸く切腹と介錯なのである。

一人、ガス管咥えて死んだ川端康成の爪の垢を煎じて飲ませたい位である。

三島由紀夫についてNHKの番組を見て1週間くらい考えたのだが、色々と皮膚感覚として理解しにくいモノがある。

やっぱり、理解は難しい。

因みに私が好きな『色川武大』は1970年は何をしていたんだろう?と調べると『麻雀』だった。
大雑把に言えば同じ職種だった三島由紀夫の事を色川武大はどう思っていたんだろう。
それよりも麻雀と競輪だったんだろうか。

あと、三島由紀夫が決起する前日。
盾の会の主要メンバー(三島事件の合計4人)と最後の契として衆道を起こった、と言う話がある。
死後、遺体を検査していたら三島由紀夫の身体から男性の精液が見つかったらしい。
これは噂レベルなんだけども。どっかにソースがねぇかな。


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