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大人や社会に負けないでほしい

国外から見た日本の子どもたちの現状を表すデータ

2020年9月、ユニセフ・イノチェンティ研究所より、『レポートカード16ー子どもたちに影響する世界:先進国の子供の幸福度を形作るものは何か』が発表された。この内容について、報道でも大きく扱われていたので、目にした方も多いと思う。

報告書によると、日本の結果は以下だ。

○身体的健康度は1位
*「生活満足度」(「楽しいと感じるような情緒や、生活への満足感や、繁栄しているという感覚」)と、15歳から19歳の10万人あたりの自殺率という指標から測る。
○学力、社会的スキルは27位
○精神的幸福度は37位
→以上の結果から総合20位
*報告書の中では、幸福を「well-being」と表現し、「happiness」とは言っていない。2つの言葉の違いは、「happiness」が感情的で瞬間的な幸せに対し、「well-being」は持続する幸せを表しているとのこと。「well-being」はより心の持ちようではなく、子どもの「状況」に着目した言葉。

○上記結果以外に、「子どもの幸福のための政策と環境」ランキングがが示されていた。
・日本の結果は、
 政策面では、社会的政策7位、教育政策23位、健康政策34位
 広義の環境は、経済11位、社会29位、自然環境18位
→以上の結果から41カ国中総合17位
 *政策は、社会政策と教育政策、健康政策から評価。
 *広義の環境は、経済、社会、自然環境から評価。
○15歳で友達が容易に作れると思っている子どもの割合は40カ国中39位
○学校への強い帰属意識をもつことと、学力と生活満足度との関連について
→学校に帰属意識が持てないと、学力が伸びず、かつ生活満足感を感じない割合は21カ国中6位
○1ヵ月に数度の頻度で学友から虐めを受けたことがある15歳の子どもの生活満足度は50%。これは33カ国中32位

医療や保険制度が世界的に充実していることから、身体的健康度が1位というのはうなずけるが、それとは真逆の結果で、精神的幸福度はワーストレベル。このギャップは何故起こっているのだろうか。

精神的幸福度の低さは、メディアでも報じられその話題が一人歩きしているが、このレポートの結果で個人的に1番衝撃的だったのは、「他者と付き合う自信のない子どもの多さ」だ。15歳という、小学校・中学校の学びの場やコミュニティの場で長く時間を過ごしてきた子どもたちが、「友達はすぐには作れない」と言っている。結局、こうした同世代に対する対人関係のネガティブな感情は、抑うつ感情につながり、精神的な健康度ともつながっているのではないか。当然、うまく対人関係が築けないことや友達がいないことと、いじめに合うことの間には相関があるだろう。

学校では、学力を上げること以外の社会性は学ばないのだろうか。社会で生きていく上で必要な対人スキルや同世代との関係性をどう作るかといったことについては、子どもたちに基本任され、ケアがされていないのだろうか。


学校は、子どもたちが抱える問題を作り出す場なのか

もう一つ気になるデータは、学校に帰属意識が持てるかどうかということと、学力・生活満足度との関連が高いこと。また、いじめを受けると生活満足度が低いことが顕著であること。

不登校・いじめの多さ、対人関係への自信のなさ、子どもの自殺。学校生活が日本の子どもたちの生活に深く広く入り込み、子どもたちの考え方や価値観に大きな影響を与えていることが、今回のレポート結果に加え、日本の子どもに関する社会問題と照らし併せてもよくわかる。

こう見ていくと、日本の子どもたち、特に多感な思春期を迎える年齢の子どもたちは、ありのままの自分で社会を生きていきづらいのだろうか。学校での事柄と、自分の人生を切り離して考えにくいのだろうか。自己と他者を切り離しづらいのだろうか。自分自身の人生を生きづらいのだろうか。皆と一緒でないと、不安なのだろうか。

気持ち悪いのは、他国に比べ豊かな経済状態の中でも、子どもたちの心は豊かになれず、幸福感が欠けていること。その原因を探ると、「学校」という場所が生む悪しきテーゼが見え隠れすること。

同調圧力っつー名前のテーゼ。

このテーゼが、子どもたちの自己肯定感をぶっ壊しているのではないか。個性を失わせ、子どもたちが声を上げにくい環境を作っているのではないか。


みんな同じじゃなくていい、わがままに生きればいい

4歳の息子は、基本わがままだ。「トイレに行きなさい!」と何度行っても行かず、ギリギリまでトイレを我慢してもらす。食べろといった料理や食材も自分が気に入らなければ絶対に食べない。気分が乗らないときは、お風呂に入ることも全力で抵抗する。息子のわがままにこちらの我慢も限界に達してキレると、ギャンギャン泣く。まるで、私がひどいことしたみたいに、「なんでそんなひどいこと言うの?」とさめざめ泣きを挟みつつ、ギャンギャン大声で泣く。結局こっちが折れるまで、抵抗を続ける。嫌なものは嫌。好きなものは好き。感情豊かに素直にそれを心のままに表現する。

こういった、子どもが本来持ってるわがままさって、いつ失われてしまうんだろう。

それを失わせているのは、間違いなく家庭内外の大人であって、社会であって、学校なんだろう。これら子どもを取り巻くステークホルダーは、子どもを苦しめようとしている訳ではなく、むしろ子どものためを思って何かアクションをしていることの方が圧倒的に多い。でも、伝わってない。子どもは逆に苦しんでいる。

どうでもいいよ。大人の言うことなんて。真面目に聞かなくていい。

みんなに合わせたり、大人の顔色を見ること・機嫌をとることより、自分の心の琴線が触れるものが何なのか、それを探すことに時間を使った方がいい。その機会が家庭・学校でないのなら、そういう場所をこれからコドモタイムで作ろう。わがままに自由に心を解放して、自分の心がときめく何かに出会えて、わくわく・ドキドキ出来る場を作ろう。

子どもたち、みんなが、主体的に自分で選んで、決めていける場を作ろう。

死んだ目をした大人の言うことなんて聞かなくていい。自分の個性を認めてくれない大人なんて無視すればいい。


起業ものがたり、今日はここまで。

つづく。




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