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先生の予言。

文章を書く時のキホン。
語尾を揃えること。
例えば、皿洗いを使って表現すると、
「ですます調」では、私はお皿を洗っています。
「である調」では、私はお皿を洗っている。
そんな、簡単なこと小学生でもできる!
それはそうだ。そうなのだが、やってみると案外悩むのだ。

このnoteで書き続けてはや半年。たまった記事をみてみる。
その時の気分で「ですます調」だったり「である調」が入り混じっている。
これは、なごやっこ和というキャラ演出的には致命的だ。
あぁ、この人はこんな感じの文体を使うんだなっていう固定イメージを自分で破壊しにいっているのである。ブランディングがまるでなっていない。

それでも最初は、それでよいのだ。
だって、最初からキャラなんて定まらない。
自分ですら、自分が何者かなんてわかっていないものだ。
書いて書いて、やっと自分を探せる。
私が楽しければそれでよし!そう思っていた。

ただ、最近いろいろな人の文章をみて思う。
やっぱ、固定したほうがいいよな。
語尾にそんじゃーね。と必ずつけるとか。(それはちきりんさんのパクリ)
逃げ道を無くした方が、覚悟が決まるなと。
そうなると、間違いなく私は「である調」向きな人だろう。

書いていて思う。
であるの方が、自分の中のリズムと合うのだ。
ポンポンと文字を紡げる。
ただ、デメリットはちょっと偉そうになっちゃうこと(笑)
そんなつもりは、ないけどそういう印象をもたれやすい。
もし女性っぽく上品な感じを演出したいなら「ですます調」がよい。
誰かにそっと手渡したい記事の場合とかも「ですます調」が向く。

そもそもネーミングセンスからして「なごやっこ和」って上品じゃねぇな。
ん?語尾がおかしい。
上品ではありませぬ。
違うな。
上品ではなかろう。
いや。
上品ではない。
そう、「なごやっこ和」は元保育士なのだ。遊びの先生だ。
こうやって、言葉遊びをついやりたがってすぐに脱線するのだ。
だからこそ、「である調」でポンポン紡いでいかないと1本の記事の収集がつかなくなる。国語の先生ではないから起承転結は守れない。

え?
そんなのはじめからプロットをつくればいいじゃないって?
だからそういうのは、上品で几帳面な方々がやることなんっすよ。
私はずぼらで、その場のライブのノリで話すのが向いてる感じで。

え?
今までの読書記録が活かされていないって?
大丈夫。私の中にちゃんと蓄積されまくっていて、いざという時、どばぁ~ってこの力を発揮するんだってば。

え?
信用がなくなるって?
その辺は、ちゃんとギフト用に「ですます調」を使って誤魔化します!

え?
そんなの嘘つきだって?
嘘つき上等。だって、小説家とか脚本家ってみんな嘘つきじゃん。
嘘が仕事になる。むしろ、世の中フェイクニュースだらけ。
私一人が嘘をついたところで誰もそれが本当か嘘かなんて証明できない。

例えば、
私は、中学生の時にバンジージャンプを飛んで
高校生の時に雪道で見知らぬ外人に手を繋がれ
大学生の時にボーリング場でバイトをしていて
社会人になって、本に載ったなんて言った所で
誰も本当かどうかなんて知らない。というかどうでもいい。

ちなみに全部本当だけど。
あっ、本当に嘘をつく時は、真実を含ませたうえで嘘を混ぜてしれっとした態度で貫き通すといいらしい。いつしか自分もその嘘に騙されるから。

ある芸人さんが言っていた。
「みんな、普通に日常を経験しているのは同じだ。
それをどの切り口でどう話していくかで、面白くなるかどうか決まると。」
そう、大事なのは切り口なのだ。たとえ嘘だとしても。
ちなみにどの芸人さんが言っていたかは……覚えていない。

ココ・シャネルの言葉とか大統領の演説とかなんかよりも
芸人さんの言葉に反応している時点で、私はお笑い系なのだ。
私自身が保育所に通っていた時の記録が出てきた。
そこには、うちの母に向けて先生からの一言がこう書いてあった。

「和ちゃんは、将来人を笑わせる職業についていると思います。」

!?
やっぱりな。
保育士は、先見の明がある。


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