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無謀な挑戦。「なぜ、私は書くのか?」を突き詰める。

最近、コンテストに応募するというものにハマっている。
創作大賞2024もいくつか出しているが、
まだまだ甘ちゃんなのは自覚している。
だって、新人だもーん。という楽な気持ちで参加している。
そんな時だった。

ガツン

って言葉で殴られた。

いやいや、これをお手本に置かれたら、
挑戦しにくいっすよ……。こっちが、吐きそう。
それでも、まぁやるだけやって笑ってもらおう。
「ふっ、甘いな。」って思ってもらえばいい。
どうせ、私は青いきゅうり。

そんな気持ちで、noteに綴る。きっと、あの男の子の方がいい文を書いている。

なぜ、私は書くのか?

復讐。
きっと、私は大人たちに復讐したいんだ。

教えてほしかった。
知りたかった。
なんで、こんなシステムなのか?
いつも疑問だった。
子どもだからって、隠さないでほしい。
本当の事を教えて欲しい。
知らせてくれれば、全部自分でできるのに!
そんな、傲慢さが私にはあった。

小学生の頃、「将来の夢」を書かされた。
私は、保母さんと書いた。
子どもだったけど、小さい子は好きだった。
弟がいたからというのもある。
今なら、こうして文章に書けるがあの頃はよくわかっていなかった。
だから、

こんな稚拙な文章を書いて、まさかのみんなに公開されてしまった。公開処刑である。

内容は、間違っていないのだ。
でも、文章にするには自分の中の想いを言語化する必要がある。
小学生の私に、そういう質問をしてくれる人は誰もいなかった。
父は、病気でおかしくて
母は、仕事で家にいない。
先生は、あまり頼りにならん。
こうして、私は「作文が苦手な人」というレッテルを自分で貼った。
誰か、こうなる前に助けてほしかった!
文の書き方を教えてほしかった。

高校生になった。
受験で、小論文があるという。
「What’s Shouronbun?」
運よく、私の担任は国語の専門だった。
添削してくれるという。テーマは、「豊かさとは?」

何度も言うようだが、
父は、病気でおかしくて
母は、仕事で家にいない。
私立受験が許されず悶々としてストレスマックスな私に
「豊かさ」を尋ねるのですか?
……。
私は、豊かではありませぬ。
ない頭を振り絞って、途中で寝て、朝に書き上げしぶしぶ提出した。
担任から一言。
「ねぇ、途中で寝たでしょ?」

文字の乱れを指摘され、何も言えない私。心の中で毒づく。

テーマが、私に完全に合っていなかった。
今なら、あの状況を逆手にとって「豊かさ」は、
自分の心の中にありますとか適当に練り上げられる自信がある。
しかし、まだピュア(世間知らず)だった私は嘘がつけなかった。
そう、文章は嘘をつけるものなのだ。
特に、受験の文章は。
適当に、大人が喜ぶような文章を練ればよかった。
それを誰か、教えてほしかった。
世間は、嘘にまみれているのだ。

その、嘘にまみれた世界には、
たくさんのフィクションで製作されたドラマがあった。
私は、現実逃避をした。
いろいろな、本を読んでいた。
時に笑い、時に泣き、時にあぁいう世界に憧れた。
嘘は、世間一般で普通に受け入れられている。

そして私は、大学生になった。
卒業論文が待っていた。
きた。また、論文だ。
しかし、以前とは違う。今回はグループ提出だった。
友だちと、頭をひねり何とか書き上げてなんとか提出。
無事単位をゲットできた。
しかし、ゼミの先生は言う。

昔の学生なんて、知らんがな……。

無事、私は保育士になった。
保育士は、子どもと遊ぶ仕事……。
じゃなーい!
書く、書く、書く。
とにかく書き物の連続だった。

4月は、年間計画を立てる。
それに、入園してきた子全員の家族構成と育ちに配慮しながら
それぞれにあった目標を練る。
会議では、月1回クラス運営の報告をする。
そのための保育反省の提出。
こうして、5月、6月、7月とその月の保育計画と反省を繰り返し、
半期に大まかな反省と改善をしていく。
時に夏祭りや運動会、作品展などの行事計画を立てる。
怪我の発生時には、ヒヤリハットや事故報告書の作成。
保育士の研修へ出かけたら報告書提出。
時に、パソコンで作成するが日々の記録は手書きだ。
保護者一人一人に向けたおたより帳も手書き。
これで、休憩時間はほとんど潰れる。
毎日、保護者向けに書く「今日やったこと」は
ホワイトボードに手書きだった。
(時に、子どもが突進してきて、消される)
ちなみに、名前は個人情報は漏洩防止のために
AくんとかBちゃんとかになる。
時にイニシャルすら変更する場合もあり、担任でも混乱する。
クラスの相関関係を書く時に特にそれが起こる。
書くってさぁ、分かりやすくするためなのにね。

私は「作文が苦手な人」なんだ。
なのに、こんなに書き物が多い職場なんて、聞いていなかった。
だから、いろいろな本で学んだ。
でも、どれにもこれにも正解は書いてなかった。
時に悩んで、悔しくて、泣いた。
書けない自分に落ち込んだ。

子どもたちは生きている。その子どもたちがいる集団は、
私も含めて今年度のゾウ組という空間にしか答えはない。

だから、外に頼るのをやめた。
だれかに答えを聞くのをやめた。
私は、私らしく保育をしよう。
「楽しくなければ、保育じゃない!」という大学の先生から言葉を頼りに、
私は、クラスの子たちと私自身が楽しめる遊びを探すことにした。
「子どものつぶやきを記録しておくといいよ。」という大学の先生からの言葉を頼りに、大学ノートに日々の記録を書き留めた。

何十冊にもたまったノートを見返す時間がなかった。
日々に忙殺されていた。
やっと、休めた。出産という名目で。
私は、育休をとった。

仕事を始めて8年目ぐらいのことだった。

見返したノートには、未来の私のためにやるべきことが書いてあった。
今の自分に足りない力がいろいろと。
私は、ピアノが苦手な保育士だ。
だから、ピアノをもっと弾けと書かれていた。
ついでに、太鼓のリズム打ちも勉強せよと。

私は、遊びのレパートリーが少ない保育士だ。
だから、遊びのレパートリーを増やせと。
時間があるなら今のうちに小ネタをしこめと。

私は、子どもの発達をしらない保育士だ。
だから、子どもの発達についてもっと真剣に学べと。
それが子どもを正確に視る目につながるんだと。

このノートは、未来の私への手紙だった。
できない自分への叱咤激励。
こんな保育士でありたいのに、できない自分への。

私は、復帰が決まっている保育士だ。
恵まれているこの状況を活かすしかない。
知らせてくれれば、全部自分でできるのに!
そんな、傲慢さが私にはあるんだから、
やらなきゃダメじゃない?
過去の自分が教えてくれた。
ノートに書いてきたおかげだった。

ただ、この傲慢さはあとで痛い目をみるのだ。
できる保育士は、嫌われる。
もしくは、できる保育士に仕事が集中しすぎる。
こんな世界が、嫌になった。
そして、この世界がぬるく思えた。
なんで、みんなはできないの?
そう、これは傲慢だ。
私は、復讐からスタートしていた。
もう、そんな復讐は終わらせよう。

みんながみんな、成長したいわけではない。
適当にやりすごして、給料をもらって
遊んでいれば幸せな人が大半なのだ。

本当の事を教えて欲しい。
それは、今もかわらない。
でも、本当の事は言えない大人の事情がある。
下手したら、命が危ないやつだって。
そんな世界に生きている。
私たちは、そんな世界に住んでいるんだ。

それを知ってしまったら、
書かずにはいられない(笑)
ねぇ、知ってる?
実は……。

ちょっとは、人を楽しませる赤い文章が書けるようになっただろうか。

#なぜ私は書くのか


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