保育士が学んだ結果、「赤ちゃん返り」には、ウォルドルフ人形を。
下の子が産まれた時、上の子は嫉妬するものです。
「お母さんをとられてしまった!」と。
子どもながらにわかっているし、赤ちゃんを可愛がります。
でも、でも……。なんだか失恋してしまったかのような喪失感がうまれます。無意識化で傷ついているのです。
「ぼくを、ぼくだけをみてほしいのに……」
だから、赤ちゃんを叩いちゃったり、いじわるしたり。
そんな行動が表れてしまいます。産後のママは疲れて、神経が過敏でピリピリしているのです。つい、叱りました。小さな下の子を守るために。上の子だけを。そして、後悔します。そんな必要はないのに。
これが、「赤ちゃん返り」
もちろん、うちの長男にもありました。その時の私は、冷静に「きた、きた。」って思っていたのです。何なら、私には動画を回す余裕もありました。ついに、息子に怒られました。「しゃしん、とらないで!」と。
あぁ、すみません(苦笑)
ちょっと、子ども観察が仕事なもので。
我が子で、ウォルドルフ人形もどきが「赤ちゃん返り」に役立っているか検証させて頂きたい。
新人保育士になって、衝撃を受けたことがありました。この職場は、裁縫上手な人が多いってことです。そして、なぜか手作りおもちゃ信仰が強い。
子どもたちの柔らかな肌に触れるには布製がいいのは、わかります。そして、手作り技術があれば、手直しも可能です。
ちくちく。ちくちく。
私もお手玉を作ったり、人形を縫ったことがあります。保育園は忙しいというのに、ちくちく。ちくちく。
そんな環境の中で、2歳児クラスうさぎ組の12人のために、12人分のうさぎの人形を手作りしている先生がいらっしゃいました。衝撃でした。(えっ?全員分、手作りしなきゃいけないんだ!?)
別の保育園に転勤になった時も、2歳児クラス15人のために、フェルトで人型の人形を作ってしまった強者の先生もいらっしゃいました。これは、クリスマスプレゼント。そこまでに仕上げるわって!4月からコツコツと。(えっ!また始まったぁ!)
愛情が凄すぎる。もちろん、私も手伝います。でも、私はこの理由が知りたかったのです。なぜ、手作りなのか。なぜ、1人に1つ必要なのか?なぜ、2歳児なのか?を。
先輩の先生たちは、断片的に教えてくれました。
2歳児クラスはちょうど兄弟が増える子が多くて、情緒の安定のために、それぞれの特別なおもちゃが必要だってこと。手作りするのは、単純に予算が限られていること。本当は天然素材がいいけれど、高いから予算オーバーで無理だということ。
情緒の安定はなんとなくわかりました。子どもたちは、自分のマークに愛着をもっています。そこのマークがついているウォールポケットにうさぎの人形が可愛く並んでいます。それが彼ら、彼女らの心のよりどころになっています。抱っこしたり、ままごとコーナーに並べたり、おんぶ紐に括って肌身離さず持ち歩いたり、一緒にお昼寝したり。
まぁ、完全に興味がなく、電車に夢中な子もいますが。
ただ、予算って……時間外労働は完全無視でした。あの先輩の先生はこっそり家でミシンを使っていたのです。次の日、やけに仕上がりが早い人形たちにびっくりする私。保育士は子どもたちのために、無償の愛を提供し続けていたのです。
はたしてこれで、いいのでしょうか?
ちくちくちくちく。人形の顔を作る段階に入りました。
ここで、ベテランの先生が言うのです。
「笑顔にしちゃダメ。」と。
人形の表情が笑顔だけだと、子どもたちの心を汲めないのだと。
笑顔にしても、さりげなくがコツらしい。
これは、シュタイナー教育のウォルドルフ人形の考え方でした。私はこの時、初めてその存在を知ったのでした。
そんな若い保育士だった私も、下の子を産む年になって、仕事で得た知識を総動員する時がやってきました。
この時までには、学習が済んでいました。
天然素材100%のもので手作りしたり、完成品を買うとなると2万円ぐらいするこの人形。私は、低予算でクリエイティブに作ってしまう保育精神を引き継ぎ、フェルトでウォルドルフ人形もどきを作り上げることに決めたのです。長男のために!
ちくちく。ちくちく。
人形は、名づけることが大事だと言います。名をつけることで魂が宿るそうです。長男と一緒に名前を考えました。その名で人形を呼ぶことを徹底しておきました。これで準備はOK。
結果発表。
リラックマに負けたぁぁぁ!!!
そう、私が悪いのです。ウォルドルフ人形はちっとも悪くない。私が勝手にもどきにしてしまったから。ちょっとサイズが小さかったのでしょう。
その人形よりも存在感のあるでっかいリラックマの人形がすでに家にあったから。「くましゃん。どーぞ。」と子ども椅子に人形を座らせて、ままごとのご飯を食べさせ、ぎゅってしている息子を見ながら、まぁこれもいいかぁ、と思う母なのでした。
とはいえ、ちゃんとあのもどきの人形でも遊んでくれていました。父がダンボールで手作りしたベビーカーに、ウォルドルフ人形もどきを乗せて、廊下をお散歩している姿は可愛かったです。人形があるからといって「赤ちゃん返り」はなくなりはしません。それでも、いくらかは心の支えになってくれていたと思います。
結局、喪失感を埋めてくれる何かが、傍にいてくれればいいのです。
子どもたちには、「心の杖」を。
どんな形でもいいから。それを与えてあげて下さい。
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