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出版記念原画展1  絵本が側で微笑んでいる(momo)

どうして、今わたしはここで絵本の原画展をしているんだっけ・・・?

すわハーモニーカフェで和栗パフェを食べながら思う。外では、子どもたちが嬉々として氷鬼をしている。久しぶりに会った人同士が、楽しそうにおしゃべりしたり、黙々とカウンターで楽譜に曲を書いている人もいる。ぼんやりしていると、あちらからニコニコして絵本を持った知らない人が近づいてくる・・・「こんにちは、あの〜、サインいただけますか?」

9月10日に出版した『きかせてあなたのきもち 子ども権利ってしている?』(ひだまり舎)。この絵本は、どうやら自分の気持ちを語リたくなる不思議な本のようだ。こんなことが大変だった、あれはおかしいと思う、なんだか優しい気持ちなれました・・・などなど。絵本のタイトルが、人々の口を開かせてくれるのかもしれない。

あるお子さんのいる女性がきかせてくれたお話。「子どもたちは今、いろんなことが過密でかわいそうだなーって思うんです。もっと自然と触れ合ったり、ゆったりと過ごす時間をつくってあげれたらいいなーって思うんです。」そして、絵本と一緒に手にしている額入りの小さな絵を指で撫でながら「これを子供部屋に飾ってあげようと思って。なんか、少しでも明るく楽しい気持ちになったらいいなと思うんです。」言葉を探すように、ゆっくりゆっくり話された言葉でした。

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コロナ下、気持ちの話は以前より忌み嫌われるものとなったと思う。「感情的になってはいけない、言っても仕方がない、みんな大変なんだから。自分よりもっと大変な思いをしている人たちがいるのだから。命に関わることなのだから・・・。」でも、と思う。コロナだけが苦しいことではないはずだし、その人が苦しかったら、それはとても苦しいことなんだと受け止めたい。そもそも苦しみや悲しみは、人とは比べることのできないものではないだろうか?何かより「まだまし」だと思うことは、その人より「まし」な状況にいる自分を誤魔化していないだろうか?本当はしんどいのに・・・。同じ状況であっても、かすり傷程度に思う人もいるし、致命傷のように感じる人もいる。みんな同じわけがない。だってこの世界は、理不尽や差別が「ある」世界なのだから。一人ひとり人間の形をしているけど、それぞれ違う物語を生きている。目に見えないものの方が、はるかに多いようにも思う。

また年上の方とお話した時のこと。「こういう問題は、いつの時代もあるし、なくならない。戦後も、私の子ども時代も、momoさんの子どもの時代だってあったでしょ、変わらないわね」と。その通りだ。でも、とも思う。長年原発の反対の運動をしている人たちのことを思う。あれって意味あるの?日本の原発はなくならないでしょ?という人もいる。でも、ずっと粘り強く反対運動を続けているからこそ、日本の原発は50基くらいで済んでいるのだとも言える。もしも、何もしなかったら優に100基は超えていたであろう。推進する力と抑制する力のバランスで、今があるようにも思える。

コロナ下で、世界中の人が制限のある暮らしを体験した。このことは、とても大きなことだと思う。家族や仲間と外食できたこと、自由に何でも話せたこと、どこでも行けたこと、予定したことが予定通りできること、人と触れ合うこと、不要不急と言われることがどれほど豊かであったかということ・・・いろんな気持ちを押し込めて過ごしたこの時間が、私たちが当たり前に享受できた権利は大きな力が働けばすぐに無くなってしまう、とても頼りないものであることを教えてくれた。

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身のすくむような気持ちでいた2020年4月8日。感染対策という一色で塗り固めれそうになっていた世界に、国連・子どもの権利委員会が虹色のメッセージを送ってくれました。どうぞ絵本『きかせてなたのきもち 子ども権利ってしってる?』を開いてみてください。そして、子どもたちに伝えてあげてください。「コロナは、嫌だね、苦しいね。でもね、あなたが元気でいるためには、もっと他のことも大切にしていいんだよ。いま何ができるか一緒に考えよう。まずは、気持ちをきかせてね。」

いろんな気持ちがあっていい。いいとか悪いとかではなくて、自分のなかの気持ちをのぞいてみると、本当に複雑で矛盾していて目眩がしそうなくらい面白い。そして、頼りなくてきれいだなとも思う。原画展の会場で、いろんな人のいろんな気持ちに触れさせて頂いている。絵本が側で微笑んでいる。







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