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(エッセイと短歌) ゆっくりと

こどものねぐせです。おはようございます。

エッセイをちょくちょく読むようになったのは、高校を出たあとのこと。たまたま読んだその本たち。何気なく使われることばたちに、あぁ、この人だからこの筆遣いというような、絵のタッチのようなものをだんだんと感じられるようになり、(自分のペースで読む)ということを知った。

それからだいぶたち、その人ごとの視点、ユーモア、ほっこり感にふれたくて、同じ人のエッセイをいくつかと読んだり、その人のエッセイで紹介されていた本も、興味が湧けば、また枝葉のように読んでいく。こうしてわたしの文体もまたできていく。だから、この(こどものねぐせ)は、いろんなものが混ざったおとなになってからの文体と言える。その文体のクセで見つけた本をまた読んでいくとする。

四コマ漫画には、まるで(さらさらっ)と描かれたような(余白が多めの線画)がよく似合う。

新たな作品との出逢いの、きっかけはだいたい偶然で、いつの間にか読みはじめ、春夏秋冬、回を重ねていき、主人公とまわりの人々の(動物などもあり)、どこにでもあるような、そんななんでもないエピソードなんかがちょっとずつ通り過ぎてゆく。

単行本にまとまったものを、まとめ読みするときは、短歌を一気読みしたくないのと同じように、掲載されていた時の、描かれていたペースの時間の流れをおもい、なるべくゆっくりと読みたくなってくる。

一冊にまとまった単行本では、よく見ると、日常の一コマ一コマが丁寧に描かれていて、初めはその新鮮さにわくわくと、こどもの成長を見るかのように単純にうれしいなぁと、さびしさなんて感じることなくどんどんと読んでいく。途中で、あっ、これは!肌に合う本だ!とわかると、新たに知るマンガ家さんのその世界観に(あっ、こんないい景色、あったんだ)とひとりでじーんとその景色を見たかのように感じ、一旦、読む手がとまり、その偶然の出逢いに、余韻を味わいたくなる。また第一話からの時間を思い、ページをめくる手が次第とゆっくりとなっていく、残りのページを読み終えることを思い、さっきまでのわくわくが、ついいとおしくなる。

振り返れば、あっという間に通り過ぎていく毎日。わずかながらでも、ひとときの憩いの場となってくれていたんだと再認識する。

作者の発想やアイデアは、喩えると、自分にとっての陽だまりや、木漏れ日の中のベンチのよう。ある時は、こころはずむトランポリン、双眼鏡に、顕微鏡……読み終えると、だれかのユーモアやほっこりなどの意外性のある視点に(あれっ?)と、こころがストレッチできたかのように、ちょっとだけほぐれている。この(ちょっとだけ)の塩梅が心地よさのポイント。

こんなに褒めても、「えっ、なんか言った?」って、主人公のどこかぬけてる声が聴こえてきそうなそんな感じ。そんなところも余白の多い四コマ漫画の中では、ご愛嬌となる。

シンプルにはいかないことが多いから、わたしはこのところ、読むときくらいは、軽めの(あははと、とほほ)をもとめてるんだろうね。たぶん。

短歌

シンプルな線で描(か)かれた日常が味わいだよね四コマ漫画



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