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湯飲みとお茶 (書くと読む)

こどものねぐせです。おはようございます。

湯飲みに、グラス、マグカップ、プラスチックのコップに、カフェオレボール、おちょこ、ぐい呑み……と模様のありなし、受け皿のありなし、持ち手のありなしと古今東西、いろいろありますが、いま、ゆっくりお茶を一杯、飲む時間はありますか?

あ、ない?じゃまたこんどね。ありがと。行ってらっしゃーい!


あ、ある?じゃ、お茶いれるよ。のむ?

何かを飲む時に、自分で試す分には、どれに何を入れてもいいと思うけど、個人的には、誰かとのむなら、同じ人とのむのでも、毎回そのときどきの体調(飲み易さ、適温、好み、量など)のちがいもあるよなぁって、ちょっと思います。

今日は、湯飲みと、お茶の話。

(わたしにとっては、会話や、文もかな?)

会話のトーンと、テーマや、スピード、適度な比喩、余白、あいづち、互いの持ち時間……あー、この人のテンポや、リズム、トーンは、心地よいなぁと思うときは、おそらく、湯飲みとお茶が、そのときの自分に合ってるか、合わしてくださってるのかな?と思う。

親しさによって、このぐらいのぬくもり具合で、このぐらいの量で、渋さ、苦味、酸味、甘味、塩味、から味、旨味、あとユーモアの甘みとかどう?甘すぎないっ?甘いの好き?ときいてくれてたり。

時間にゆとりがあれば、一個だけちょこんと、茶菓子がお皿にのせてあったり。

また飲みきれなかった分は、どうする?お持ち帰りする?包もっか?ってきいてくれたり。

そっけなさと、親しみの具合って、落語でのニンとフラが、その人そのときどきのそれぞれで、なんだか気が合うのかもなぁとかみたいに、こどものねぐせ、読みやすいなぁ、とかおもしろいなぁと、もし思ってくれてるのなら、たとえたら、おそらく、お茶の飲み具合のテンポなどが、お互い、いまの気分に、(たまたま)合ってるのかもね?わかんないけど。

お茶と湯飲み、コーヒーとマグカップ、紅茶と紅茶用のティーポットとカップ、お酒はふだんほとんど飲まないから、わかんないけど、おちょことか、ジョッキとか、それに合った器(表現の型など)をこれまでの方々が、長年、試行錯誤しながら、作られてきたのだと思う。

だから、いまのわたしたちが、飲むときにも、するすると飲み口がやさしく感じたりできるのだろう。わたしとしては、これを飲む時は、この器(トーン)かな?とあんまり長くは悩んでないと思う。デザインの好みとかは、それぞれ細かくあると思うけどね。お茶をおちょこや、ジョッキでは、あまり飲まないかなぁって。ま、のむ方もおられてもいいと思いますが、わたしには、合わないかなぁと思うくらいで。

会話はどうだろ?

熱めのお茶が苦手なら、お互いが話して、冷めるのをまってもらってから、飲んでもいいと思う。猫舌ということばもあるくらいなのだから、お互いに、話の内容によっては、初見なのだから、飲み込みが早い遅いの差がある方が、自然だと思う。何度も読みたい文に出逢うこともあるのだから。

音楽のことは、よくわかんないから、音楽を専門でされてきた人なら、会話にも自然と、それが滲み出ているのでは?と思う。リズムや、テンポ、トーン……など。会話や、文体も、音楽を聴いているようなもんだと思う。おそらく、いままで読まれてきた方ならわかると思うが、わたしの文には、句読点が多いと感じられているだろう。あと余白。

それは、息継ぎです。

それによって、読みやすさを自然と調整されておられると思うから。わたしは、このペースで話しますよ。いかがですか?と。だから、句読点や、余白が合わない方々は、読みにくいと感じられているかも知れませんね。

あとは、不意に入る、駄洒落。

深呼吸も、吐くほうからといいますね。

あははと、とほほ。は、親しみだけでなく、話す方と聴いてくださる方の、お互い、ふっと肩の力を抜き合うことができるのではないかなぁと思います。

湯飲みでも、駄洒落ありますよね。you...いまは言わないけど。その人と、旅先での一期一会なのか、馴染みなのか、季節や環境、そのときどきの状態によって、互いに、ことばがけが変わってくるのは、自然なことだと思う。だから、そのときどきのコメントは難しいなぁと感じている。(こどものねぐせ、どうですか?お茶を飲み合うように、親しみを感じられてますか?ふと思う。和田誠さんや、ノーマン・ロックウェルさんなら、いま何を描くのだろう?きっとユーモアテイストのものだろう。観てみたいなぁ)

パジャマ着ながら読んでるのか?出先で読んでるのか?でもだいぶ違うだろうし、同じパジャマでも、夜のまったりと、朝の慌ただしさでも、だいぶ違う。電車待ちか、休憩中か、一日の中で、ほっとできるときに読んでくれてるのか、でもだいぶ違うだろうからね。

わたしとしては、できれば、お互い、のんびりしたいときに、読めるような、noteの湯加減が好みではある。

あと、ジュースにたとえると、だいたいの人が、一日中、100%りんごとか、みかんとかではいられないと思う。そのときどきのごきげんは、その前にのんだバナナの甘味が残っていたり、午後からの会議の前に緊張して、なんかわかんないけど、苦味を感じてたり、運動後の炭酸みたいにシュワっとしてたり、いつ読むかでもだいぶちがうよね。たぶんミックスジュースみたいなもんなんだよなぁ。だから、ユーモアや、ほんわかを適度に駄洒落なんかをまじえて言い合いたいもんだと思ってる。ふとしたときに、思い出すこともあるだろうし。

どうして、掌編小説とか、短歌とか、エッセイの書き方とかまで、書いたかというと、お茶を入れあいたいからですよ。わたしは、このぐらいの温度(軽めのもの、ユーモア、ほんわか)で、量(短歌、エッセイ、掌編小説)で、甘め(ユーモア)で、うつわのデザイン(イラストで表現)ですよ。お店の名前は、(こどものねぐせ)ですよ、と自分だけが書くのでなく、誰かの(お茶)を飲みたくもあるからです。だから、わたしはこう描いてますよ、と書きました。

読み慣れてる紙の本だけでなく、 noteにはその可能性を含んでいると思うから。

いつか、お茶入ったよと、誰かとお茶を飲みたいから。

いまでも、何人かの方々とは、お茶をのんだ気になっています。

どうも、ありがとう。

あ、長くなっちゃったね。

お茶、もう一杯のむ?

あ、いい?

ありがとね。


では、行ってらっしゃーい!












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