長めの読書日記
こどものねぐせです。
こんばんは。
たまたま手にした本。
菊池亜希子さんの本「好きよ、喫茶店」より
ぱらぱらとページを、めくっていると、こんな文に出会った。
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※ 書いてるうちに、またまたかなりの長文になってしまったので、こどものねぐせを読了の方で、お時間があるときにだけ、お読みいただければと思います。
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(喫茶店4代目マスター佐藤さんのことばです)
(この前に、いろいろといいお話がありますが、長くなるので、省略させていただきますね)
「珈琲の話、一言もでてきてないでしょ。なのに、そこまで喫茶店に想いがある。それでいいんです。珈琲は、美味しい、美味しくないじゃなく好みの問題。理想の居心地をみんな求めているんです。」
〈快生軒〉の珈琲はもちろん美味しい。自家焙煎した豆を使い安定した味を提供している。にもかかわらず、喫茶店は居心地だと言い切る佐藤さんを、私は師匠と呼ぶことに決めた。
「お客さんの物語の中に、この街のこの店があたりまえに存在しているのを垣間見ると幸せな気持ちになる」と佐藤さんは言う。(以下、省略)
(「好きよ、喫茶店」菊池亜希子著、マガジンハウス p81-84より
○
夢、理想ということばは、照れくささもあるが、
普段、なるべく意識してつかっていない。
歳を重ねていき、もう使えなくなってきている。
ことば自体の輝きの方が、眩し過ぎて。
こどもから、おとなになるにつれて、
そういう透き通った想いは、すこしずつすり減っていっちゃってる…と感じてた。
いまの自分をすごくちっぽけだ、と決めつけて、
軽々しく、口にできなくなっているから。
ちょっとでも、そういうことばが入った文をご紹介するのには、やっぱり、んーと、ためらった。
いまでも、いろんな事が出来ていないから、うーん、と思ってはいるんだけど。
誰かが、何かに夢中になってるのは、嫌いじゃないんだよなぁ。(好きっていいなよぉって?照れです。照れ。いや、好きなんですよ、そういうのっ。観たり聴いたりしてると、嬉しくなる)
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(いまのとこ)ここは、座布団や、ちいさな縁側やこたつのつもりなんです。見晴らしのいい高い山なんかじゃ、ぜんぜんなくて、一人ひとりにお出しできる、手前味噌のお茶ならありますよ、と。おいしいと思って、選んで出してる自家製なんだけど、庶民的なお茶だから、茶柱も、誰かにとっては、たまにはあるかもねって(ね、こうして途中で、ユーモアを小さじ一杯いれたくなる)そもそもが、大正8年創業の喫茶店さんのはるか高い山の歳月と、比べてることが、山と砂つぶ。でも、人と人が逢うときは、できるだけかしこまらずにおなじ目線で話したいと思っている。相手が持ってないものを、自分を含めて、それぞれが持っているだろうから。
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だから、ここに来る時はさ、お互い、街のいろんなお店や景色がある中で、たまに、本屋さんや馴染みのお店に行くみたいに、ねぐせなんかついてても構わないから、着の身着のままで、ふらっと、あ、こんにちは、くらいの肩の力が、抜けた感じが、お互いなんとも描きやすいのです。そういう感じで、にこやかな方も、静かなタイプの人も、気軽にねって。だから、こどものねぐせってペンネームにしたんだから。
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ただね、こどものねぐせは、
もうね、ねぐせが、つきまくってるのです。
年の数だけ、豆とか、ローソクじゃなくて、
もう一回言いますよ、こどものねぐせが、つきまくっている、のですぞよ。
……ふーん、って。
ずっと、バタバタのバタ足なのです。
みんながクロールや、ドルフィンキックで
次々と、次のステップに行ってるのに、いつまで経っても、ビート板持ってバタ足でね。とほほ、とね。
あはは、なんて毎度、毎度、無理だよーって。(心の声)
でもね、書いてて思うのは、
だから、いま書いてるのか、とも思うんだ。
不思議とね。
とほほがあるから、ちょっとしたことの、あははも、味わいを感じられる幅がでたり、コクがでるのかも?って。
マンガの4コマとかも、さらっとしてるけど、きっと、この線の向こうで、ずいぶんと、費やした時間があるんだろうなぁって。そういうの思ってると、ちょっとしたことで、いいなぁって思うんだから。わたしは。きみも?あなたも?だよね。
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ジブリの「耳をすませば」の近藤喜文さんのスケッチ集「ふと振り返ると」(以前ご紹介しました)みたいにと、その辺りの通りにいる人々のしぐさや、あと昔から好きだったノーマン・ロックウェルさんなど。
どこにでもいるような人の掌編小説、短歌、またはエッセイなどを書いてきて、気づいたら、短い期間でしたが、こどものねぐせも、100回以上書いてきたようです。
最初の頃から、読んでくれてる方は少ないと思いますが、なんらかの形にはなってるのかな?と思えるようにはなりました。スキが少ない掌編小説を、ずーっと出しっぱなしにしてるのも、きっと、この文や短歌が、何人かのうちのひとりには、届いているんじゃないかなって思うから。それに比べたら、スキがつかないことなんて、ずっとちいさなことなのです。スキも、誰かが(手)にしたら、ス(手)キってね、はい、(すてき)のいっちょあがり!って。(またまたとっさのユーモアです)。書道教室の前に貼ってる、元気のいい字みたいにね。あれ、いいよね!描いてると、あの感覚を取り戻したくなる。
ただ何らかでスキを押したいのに、押せない方や、自分の noteを疲れているわたしに、次々と見せるのは……と、お控えになってくださってるだろう方々のことも遠くでですが、大事に思っています。どうか、 note以外での自然の中でも、趣味や、なんでもいいから、ひとときでも、時間がゆるやかに経てばと、お元気でいてくださいと思っています。
わたしは、ちょっとした短くて軽いユーモアなどの愉しみにふれさせていただいたら、じわーっとほっこりともなりますし、意識してほっこり、とかユーモアと言ってるだけです。それって、たぶん、気づいてますよね。
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話を戻して、最近よく聴くラジオの北欧暮らしの道具店さんの(チャポンと行こう!)でも、お店のコンセプト?の、(それぞれのフィットする暮らしを作ろう)?的なことを、時折り、聴いてると、去年からのこういうときだからこそ、ちっさくていいから、肩の力をまず抜いて、その過程こそが、それぞれの最も手軽にできるところなのかなぁって、ぼんやりと思います。
去年からのこの感じだから、こどものねぐせも、はじめました感あり。大きく笑えなくても、まず、自分のとほほから。あははへでもいっか、と。どっちでもいいし、その視点は、人によって、そのときによって、ぐるぐる変わるだろうから。
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ふるさと、ときいて、それぞれの、ふるさとが思い浮かぶように、それぞれのなかに、支えとなっているであろう、もともと持っている、それぞれのかけがえのない、心地よさが、おそらくあるのでしょうね。
陶芸などの作られる途中で、ある姿のイメージが出来ているか?イメージできていたら、あとは練るだけだって、分かってはいるんだよね。ただ、その過程での柔軟性は、よほど何度も何度も必要なのだろう。第一線の方々の方が、もっと…って。比べちゃったりしてね。
noteのこどものねぐせは、なんども描き直す noteだから。思いつくたび、えんぴつで描いてるようなもんです。え、それが理想ってもの?あ、そうなのか。
ただただ、書いてきただけです。
十人十色。
だからこそ、それぞれの個性の豊かさがある。
たまには、それを感じたくて、他の方の気になってる noteを訪れる。また紙の本だったり、友人との手紙や電話だったり、会えたらあったり。オンライン?だったり。葛藤しているのは、自分だけじゃないんだってね。(キットカットウ)バレンタイン近いから、三たびチョコっとユーモアも挟みつつ。
だから、気軽に、文も、ユーモアも、低山登山のハイキングからでもいいよね。途中で俳句なんか詠んだりして、俳句ing(ハイキング)。ユーモア入れ過ぎ?照れです。照れ。
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noteを読むだけと違い、短い期間でしたが、書き手として、noteって何だろうとか、どう変化してくのだろうかと、考えることも、しばしばあった。
なので、というか、それぞれの珈琲に、ミルクかお砂糖、お付けしますか?とお店の人にきかれるように、この本のご紹介と、この文を、ここに置いておきます。
それぞれ、どうぞ、ごゆっくり。
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実は、このページの、この辺り以外は、まだ読んでいないです。あわてて書きました。
あとは、ゆっくりと、ページめくりたくなったので。
珈琲をひとくちずつ、口にするように
じっくりと、読みます。
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(ことの他長い、あとがき)になってしまい、もうー遠足かよって、ごめん、ごめん、ごめんなさい。
最近、こどものねぐせの、いろえんぴつをたまたま書いてみて、ことの他、この軽い文と、note雑記とか、またこどものねぐせを、気にかけてくださっているのだなぁと思うことが、しばしばありました。
あとこれって、もしかして、他のnoteの方からのアンサーソング?かなと勝手に思うことも、しばしば。(勘違い?ま、その辺は、野暮だから。いい風に解釈して)まったく、わたしは、にぶいのか、敏感なのか、わかりません。
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とにかくそれぞれの方に、貴重な時間を割いて読んでいただき、ありがとうございます。この本のこのページを見て、街のコンセプトの noteだから、この本のご紹介だけでも、もしかしたら、他の方々もにも、響くとこがあるのかなぁと。とりあえずご紹介しました。
あと(いまの)こどものねぐせは、ちいさ過ぎる存在です、と、どこかに、ひとことだけ、書き添えておきたくなったのです。最近無理?して、たくさん書いてるから。
本来の自分は、クラスにひとり、窓際でぼーっと、外なんかみながら、 noteのすみっこに、スケッチしてるだけのこどもとおんなじ感じだから。ってわかるかな?ちいさいことを、ちいさいまんま描く。俳句や短歌、川柳や、スケッチ。
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このイラストのももろさんのように、現実的に、イラストレーターとして、第一線でご活躍されていて、ことばにできないような情感のイラストを描かれている方もいらっしゃる。
ただただ、すごいなと毎回、思います。おとなのくまの何かに読み入っているさま、子くま2頭の、表情、動きのこまやかさ。右側の子ぐまの静の表情をみた後、左の動の対称性、みごとだなぁって。
こんなイラストに素人が、毎回文を添えさせていただいてたことに、ただただ感謝してます。
ぼくの、書きたい、描きたいものも、ももろさんとは、違うんだけど、やわらかな感じの文や、短歌や、簡単な線画イラストです。特にこの子ぐま、右の子ぐまくんみたいな。と書いて、やっぱ3頭なんだよなぁって自分でも、構図を再度考える。だからイラストが好きなんです!って。
自分の根っこは、ことば、じゃなくて、なんとなく絵なんだろうとは、ずっと前から気づいてます。そこを封じられてる気持ちが、文であふれているのかなぁって。
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このフォーマットを作られた noteの方々にも、感謝しています。ありがとうございます。
どの方も、十人十色。情報化で、いろんな優れたものを簡単に目にすることが、多くなったいま、わたしも、落ち込みそうにもなります。文を書く以外にもいろいろありますよね。おつかれさまです。
つまづいた時には、でもさ、いろんな事って(ま、好みだからね)と、きみはきみだから、ぼくはぼくだからと、ときに軽やかに自分を励ます、もう一人の自分を落語のように、こころに持ちたいものだなぁって。八っつぁん、熊さん、ん?くまさん。あ、イラスト、ここにつながるの?いえいえ偶然です。
(うん、そうね)って、誰?
おあとがよろしいようで。
座布団の上で、正座し、深々とお辞儀をするこどものねぐせ。
長文をお読みくださり、どうもありがとうございました。
お元気で。
ユーモア、ほんわか気分を分かちあえれば嬉しいです。スキ、サポートをいただければ励みになります。