ほんのひととき

本をよむ

昨日、本棚にある古い本を読んだ。

奥付を見ると、20年から30年くらい前の本だった。



短編集がすきだ。

どこからでも読むことができて。

ぱらぱらっとめくっていくと、あっ、と思うページに出逢うときがある。

この作者さんの、ほかの色合いで描かれた作品は、どんなだろ?とゆっくりと読む。こんどは各駅停車にのりかえるように、のんびりと。


ふとしたときに本屋さんや、古本屋さんでそういう本たちに偶然出逢ったりすると、うれしくなる。

どんなにちいさくたって、短くたってかまわない。そこにあるのが、文でも、絵でも、写真でも、木工でも、布物でも、なんでも。

本と書いたけれど、単館の映画館でじんわり、それでいて見終わったときに、すこし前向きになれそうな地味な映画(邦画、洋画など問わず)を観たときもおなじようなことを感じてる。ぱらぱらと散らばって腰かけて観てるひとびと。そして見終わると、またそれぞれの家路へともどっていく。(2人できてるひとびとは、帰りがけにどこかで映画の話なんかもしたり。いま街中ではむずかしいけど)その足取りは来た時よりもすこしだけ軽くなって。


そういう時間が、すきだった。

去年から、ずーっとそういう時間にふれる機会が個人的にへってきているように感じていた。

いままでそんなに聴いてこなかったラジオを新鮮なきもちで聴き、馴染みのある本の時間にふれ、こころ踊る音楽や、こころなごむ音楽を聴く。


ひとびとのサイクルだけでなく、木洩れ日、季節ごとの虫たちの奏でるおと、処暑のころには、朝、夕がすこしずつ涼しくなり秋の空気も。


朝方には(いくぶん静かになったとはいえ)、まだ蝉も鳴き、トンボも飛び、稲穂もすこしずつ実りをつけつつある。雫をまとった物干し竿を、ひょいとゆびでぬぐう。


洗濯機のゆすぎの、みずおと。濡れた靴につめた新聞紙をぬき、陽射しが当たる陽だまりへと、スニーカーなどをおいていく。日時計のように、陽の当たるところが移りかわるのに合わせて、くつをうごかしてく。

古くなった本たちも、まるで紅葉のように色合いや風合いが移りかわっていく。親しみのある本なら、ついてしまった本のヤケや、シミさえも、なんだか、いとおしいような。

いっしょに跨いできたその歳月を想いながら、きょうも本を読む。


読書の秋


そうだ!バームクーヘンも、たーべよーっと。



(※ 医療関係者の方々、またそれぞれの方々の、様々なところでのご尽力に、ありがとうございます!)

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