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書くと描く

こどもの頃、描くのが好きで、得意でもあった。小学生の高学年で同級生で、マンガの模写や、イラストが上手な子が2人いた。身近な絵のことで、あっ、すごい、と思ったのは、今思えばそれが初めてだったと思う。

当時流行ったマンガや、ゲームのキャラクター。交換日記みたいなものに、その子たち2人は、ポップに、そっくりなマンガのキャラクターを、いとも簡単に描いていた。いま思い出すが、そっくりだった。ショックでもあった。マンガの作者でもないのに、そっくりな絵がある。それが、うまさという技術への戸惑いだったのかもしれない。1人の子は、ふつうに落ち着いた子。もう1人の子は、こどものように、次から次にイラストを描く。読んだことのないマンガのキャラクターも描いていた。知らない世界を知ってるんだと感じた。

あるとき一緒に大きな絵を描くということがあった。そうそう、もう1人絵の上手な子がいた。この子の絵は、覚えていない。でも、マンガ調やイラスト風でない、絵だったと認識している。そのポップなイラスト・マンガの子。自分、絵の子。同じ班でも、なんかやっぱり、みんな描く絵が違うんだなぁと。どんな絵を描いたのか、覚えていない。でも、絵を描くということを、描くもの同士が一緒に取り組むという体験は、あれが初めてだったのかも。

誰かからのペンや筆から、産み出される世界。

最初の2人には、藤子不二雄さんのようで、なんか2人の技術に、入り込めない自分がいた。(2人とも勉強もできていた方と思う)交換日記には、一生懸命、マンガのキャラクターを丁寧に描いた。いま振り返ると、肩に力が入っていたのかもしれない。

天真爛漫な描くことだけで、喜びのような子は、それなりに親しくしてくれていた。小学生の同じ班ということもあったと思うけど。こどもの頃は、偶然で仲良くなることもよくある。そういえば修学旅行も、同じ班だったなぁ。そうか、トキワ荘みたく、やっぱり絵で会話してたんだ、と思う。(思うばかりの文だ。思い出してるんだから。)

いま、noteを書いたり、読んだり、見せてもらったりしていると、なんだか今日ふと、絵について、イラストについて、書くことについて、ぼんやりと思った。

あの頃と違い、イラストはデジタルの技術が、どんどん進んでいる。身体を動かすのが好きな運動部で、絵の道を選べなかった、選ばなかった自分は、いまだに長なわとび飛びの中に、入れなくて、いつまでもタイミングを見計らってるようなものかもしれない。

文で絵をぼんやりとかいているのは、そういうことなのかも知れない。

書くでなく、描くだったのかも。

時の波に流されて、いつのまにか、もう大人と呼ばれる方まで、ずいぶんときている。

たとえて言えば、あの頃の自分がにこっと笑って、屈託なく

描けばいいじゃん、って言ってくれる。

そうなんだけどさ。大人って、いろいろなんだよ。

分かっちゃいる。描けばいい。

時間は、そこにある。

何に使う?

大人の時間は、自分だけのものじゃないんだ、とその子に言う。

描かないの?とその子が言う。

そうだね、描くよ。

という、描くよを、いま書いた。

なんとなくだけど、書く、描く人には、この子どもの部分との会話が、ずっとあるんじゃないかな?

あとはね、描いても、それは、自分のための絵。そういう絵もあると大人になって、また知った。見せなくてもいい。一人で将棋をどう打つか、考えるような時間があっていい。無理に自然を写真におさめなくても、ただぼーっと、こころに蓄えることが、こころの絵の具になることもある。また描きたいときに、その絵の具で描けばいい。

手紙の端っこに、今日もイラストを添える。

大人になった自分から、友だちへの手紙には、よくちょっとだけの、その時の思いつきをイラストでさらっと描く。(こっちは、忘れてるころ、あれよかったよと言ってくれることもよくある)

一昨日の、(サンタさんの忘れ物、トナカイのママチャリ)は、その日に思いつき、パッと書いた。手直しは、何度か入れたけど。これが自分へのギフトなら、誰かへとnoteに書いてみた。思いもよらず、たくさんの人が読んでいる。noteでの書き方、使い方は、まだ戸惑っている。わたしみたいなタイプは、ただ書く、描くが、向いているから。読者の方とのやりとりは、失礼なものになっていたら、ごめんなさい。ほんとに不器用なんです。だから、たぶん書いている。

追記、小学5年生の時、作文の授業で、身近なことやお話(物語?)をそれぞれ書くという授業があった。そのときの自分は、物語を書くことを選んだ。その時、そのマンガ・イラストの子、自分、絵の子、と同じ班で、それぞれが、身近なことや、物語を書いたんだと思う。失礼ながら、他の子の作品は覚えていない。ただ自分は、短い物語を書いた(何人かの子どもを主人公にした冒険もの。なんかの影響は、もろに受けてたと思う)落ちは、枚数が足らずか構想がまとまらず無理矢理まとめた。出だしは凝っていたのだろう。みんなより取り掛かるのが遅かったと思う。(絵は描いても、オリジナルの物語は、初めてだったから)ただ書いている間は、すごく楽しかったのを思い出した。書いたものを班で回し読みして、感想を1人1人書いてもらうのも、じれったくて照れくさかった。他の子の感想は覚えてないが、そのマンガの子が、読んでてわくわくしたとかとポジティブな、のほほんとした感想を書いてくれてたことを、ぼんやりと思い出す。いまも、その続きを書いているだけなのかもね。








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