ガーネット)レムリア期の名残り、勇気のミカエル

ガーネットは柘榴石といわれるような姿をしています。りんごというかたもいる。

シュタイナーによると、ガーネットの姿は地球がレムリア期の初期にまだ太陽と月を内部にはらんでいた時の名残りの形状をしているのだそうです。

母岩付きガーネット


シュタイナーがいうには、レムリア期は分離の時代。

地球の内部に太陽があることはあまりに霊的すぎること、そこでは人は人になれない。

地球が人間を今のようには生じさせることができなかった。

そこで太陽は地球から分離したと言われている。

月は一番粗雑で地球のカスのようなものなので、離れていく。

最後に、人類が神様から離れて、失楽園がおこる。

そしてまだこの頃は、鉱物は植物のような状態だったのだそうです。

ガーネットは緑色の母岩の中にあるというのは、レムリア期の地球の状態を今に伝えるモニュメントなのです

そのようなことが「宝石と四季のお祭り」には書かれています。

実は母岩にあるガーネットを持っております。

瞑想をしていた時に、深く地下にもぐっていくと小さな祠のような部屋があり、そこに小さな観音様がいらっしゃったのです。

素敵だなとその光に包まれて触れたのです。未だにわたしの内部にその観音様はいる。時々、その祠の中に降りていく。

なので上記の文を読んだ時になるほどと思った。

すると何時間後にこのガーネットと出逢ったんですね。

まさに「観音さま!!」と思い、まよわず手に入れました。

その前にもある生霊事件があり、あなたの母親が心配しているよと霊が見えるという方にも言われました。身内がついていると。。。確かにその時に私はその身内というよりも、私の実家の家にある元型的な先祖の存在を感じていたんです。この価値観を背負っている人が私に迫ってきているなと思うことが何度かあったので、その元型的な存在と近い身内を投影しているのかなとも思いました。確かにその身内は厄介者とされた先祖の人と似ていると言われていたのです。

人は亡霊のような存在に自分のネガティブを投影するけれど、いや、それは私たちの弱さだと思うのです。
誰かのせいにして、その課題には向き合わない。それは良くない。
その存在を亡霊として存在させることの危険を感じます。

その時に、ひょこっと何故か、ガーネットが転がったんですよ。

その色が私が思う母親の色でした。
そこからガーネットが度々私を励ましてくれているのを感じることができました。
幼い頃に、ずっと私のそばにいて、肉体はないけれど、私がすることを、うまくできたら褒めてくれる存在として、感じることができた母親にその時にまたであえたのでした。

ガーネットは勇気の色ー血

地下世界はエーテルの世界といわれております。
小さなガーネットがいくつも表面にあります。
上記の本には、ガーネットができ始めたのは、太陽がまだ内部にあり、そして地球が霊的に非常に高い、霊的に高過ぎるような状態の時だったと書かれているとお伝えしました。
ガーネットは地球の深いところにあり、地球の中はガーネットで散りばめられている。
ガーネットは血液と非常に関係が深いと言われる鉱物です。人間の血液は人間の命を担っている。しかし、同時に人間の欲望、エゴイズム、利己主義的な願望であるとか、そういったものを担っている。
しかし、ガーネットの中にある血液はその欲望やエゴイズムから解放されて、浄化された純粋な血液であるということがいえるのではないか。とあります。
ガーネットには他にも思い出があり、その私を導く存在、私の大事にしていることを表しているなとおもうことがあって、とても腑に落ちた経験があります。
ガーネットは「自分を育てる」働きをしてくれます。それは自分自身が夢のために日々報われるかどうかわからないことに勇気を出して取り組んでいくことも助けてくれます。
それは、ガーネットは、勇気を司るからです。
私たちがいまより成長し、勇気を持って生きていくための大事なことを担っている。
日々、少しの勇気を行う。
恐怖を乗り越えなければいけないんです。
そのことにより、人は血液を純粋にすることが出来る。
人は大人になるごとに自分らしい生き方をする方向が作り上げていきます。
それはもしかして、周りの人達や自分からの期待とは違うかもしれません。ある時の自分が思い描いた人生とは違うかもしれません。
欲望やエゴイズム、利己主義的な願望を乗り越える。その欲望につかまらないために日々勇気をだす。
ちょっとしたいけど、怖いこと、不安を乗り越えることを行うこと。
それは小さなエゴが高次の霊的な自分へと歩んでいるということ。
日々、ちょっとした勇気を出す。
回り道をする。寄り道をする。真面目すぎる自分を置いて少し自分優先に過ごしてみる。
上記のようなことも勇気なの?と思われるかもしれません。
枠から外れて違うことをすることの勇気としてみれば、正義のために立ち上がることも、人の用事や心配事から解放されてサボってしまうのもちょっとした勇気です。
うちなる声を聞いて行動することは勇気そのものです。


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