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テーマを設定せずに書いたnote

自分の欲望と、人としての理性。このふたつを調和させながら生きていくという、バランス感覚の保ったことを人間は自然とやっている。理性では、人を包丁で刺してはいないと。動物的な脳は、じぶんや、じぶんの大切な何かを守るためには、殺しもやむを得ない。そんな葛藤の中で、人間は生きる。

殺しは、悪か。

今の日本では、人を殺すことを絶対悪とされている。しかし、それは本当に悪なのだろうか。もちろん、殺しを肯定したり、人を殺したいわけではない。

だが、事実として、ここ最近まで日本では殺しが行われてきた。ほんの数年前や、今も、世界では殺しが行われている。ただ、殺す理由がないだけで、殺すことが最善の選択であるという状況にあったときに、ぼくは人を殺してしまうのではないかと思う。

なんの話だったっけ、忘れたわ。

そういえば先日、「泣きたい私は猫をかぶる」という映画をみた。普段アニメをみないぼくだが、これは面白い。

〈ネタバレ〉女の子が、男の子のことを好きだけど相手にされなくて、あるとき出逢った謎の「お面屋」に、猫のお面をもらう。お面をつけると猫になり、男の子に毎日会いに行くようになり、そのうち「猫のままでいいや」と思い始める。そして、猫の世界から戻れなくなる寸前で、男の子が現れて、一緒に人間に戻り、無事付き合ってハッピーエンド。

といった話。ラブストーリーと言っていいのか分からないが、とてもキュンキュンする映画に違いない。じぶんが猫だったら何をするだろう...と妄想しながら、映画を観すすめた。

ぼくが猫だったら、
一日ダラダラしてるかな
(人間でも、できるじゃん...)


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