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佐藤雅晴 ナイン・ホール

2013年、当時勤めていた施設内の、映画館が一ヶ月空くというので、そこを使った変則的な展示を佐藤さんと二人で企画した。小さいけれど、彼にとって、公立美術館では初となる個展だった。予算が30万円だったのを覚えている。公立館でまともな展覧会を作ったことのある人なら「いやちょっと、それはさすがに」と言うだろう。そこを、スポンサーを募ったり、他の施設に協力してもらったりして、なんとか実現させた。

上の画像が、本展のメインビジュアル。下は、会場で配布したテキスト。

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ナイン・ホール

佐藤雅晴は、実際の風景を撮影した写真をパソコンに取り込み、その上からペンタブレットを使って色を塗り、静止画を作っていく。気の遠くなるような絵の再構成作業が終わった後で、写真のレイヤーを削除する。現実の風景に基づいていながら、すべてが彼のデジタルな筆によって描かれた絵は、実写と、創造されたものとしての絵画の中間に属するものである。

しかしただリアルなだけなら、油絵でもCGでも、同様の意図を持って制作する者がいるだろう。佐藤はそのリアルな風景の中に、ある種の商業アニメーションに見られるような図像を投入した。たとえば、2009年の作品、《Avater 11》(2009)は、様々なシチュエーションの中、人物の頭部が振り返るアニメーション作品であった。背景は重さや質感をありありと感じさせる、写実的な絵画によって作られている。対照的に、振り返る人物の頭部は、シンプルな輪郭線、制限された諧調で表現された、セル画のような薄っぺらい図像となっている。

佐藤は日本の商業アニメーションに見られる、多くの作業スタッフがなぞるために生み出された、「無個性な描写」に興味があったと言う。中でも佐藤が採用しているのは、デフォルメの効いたテレビ用アニメーションのものではなく、例えばプロダクションI.G.による劇場用アニメーションのスタイルを思わせる、現実の人間に近いプロポーションと、渋い、やはり現実に近い色彩を持った図像である。商業アニメーションの作り手たちは、アニメーションという架空の世界にリアリティを持ち込むためにこの表象を採用しているのだが、佐藤は逆に、想像による世界観に浸るのを避け、あくまでも現実世界に一方の足を置くために、動画であると明確に主張しつつもリアルな人体に最も近いスタイルを選択している。

この背景と動画部分の組み合わせから、私たちは不思議なリアリティを感じることになる。

現実の風景を撮影した写真、写真をなぞったCG、作家のクリエイションとしての背景絵画、そして、モデルから描き起こされ、また商業アニメーションの極度に抑制された描写をもって現前する人物(あるいは動くもの)まで、佐藤の作品は、現実世界から絵画までの間のいくつかの層をそなえている。現実とファンタジーの境界は、ここに至って一本の線ではなく、層の重なった厚いものになる。アニメーションという時間軸を持つ作品を見ている間、その厚いものの間を絶え間なく行き来させられる私たちは、現実世界に難なく滑り込む非現実を、否応無しに受け止めることになるのだ。

例えば《バイバイカモン》(2010)ではウサギとクマの着ぐるみが、一方はバイバイと手を振り一方は手招きをし続ける。《ヒーロー》(2011)では動かない自転車を戦隊もののヒーローたちがこぎ続ける。前述の《Avater 11》では、人物の頭部が振り向き続ける。この「生き物・のようなもの」が意味のない動きを繰り返すような、不条理な情景を、私たちは言いようのない不気味さとともに、すべてが現実を下敷きにしていることによって、いつか見たことのある風景として感じていくのである。

今回、映画という虚構の世界を共有する劇場、映像ホールを展覧会場にして繰り広げられる、佐藤の新作《ナイン・ホール》は、人間や動物にある目、耳、口など、外部に向けて開いている「穴」をモチーフとした映像インスタレーションである。これまで佐藤が追ってきた、図像に宿るグラマラスな存在感が、映像においては身体機能のメタファーを介して、上映場所としては映画館の中で、現実と虚構の間に増幅されて立ち現れる。

佐藤が見せる、一本の線ではない、現実と虚構、日常と非日常の境界。これらの境界がもともと曖昧であることを、大きな自然災害と原発事故という非日常を抱えた今日の状況の中で、私たちはより深く理解することになるだろう。

(2013年2月15日〜3月7日、川崎市市民ミュージアム映像ホール)

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彼は数日前、がんのためにこの世を去ってしまった。45歳だった。なけなしのお金で展覧会を作ったような、私たちの情熱は、どこへ行くんだろう?放出されて、それっきり、消えてなくなってしまうのかな。というのが、彼の早すぎる死に対して、私がやり場のないいらだちと共に思ったことだった。せめてこうしてテキストを残そうと思う。佐藤さんと自分自身のために。

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