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日本語に「複数形」が出現するか? 「〜たち」の変化から考える

英語で two little pups のような言い方があります。ここで pups は pup の複数形であり、英語は「複数形のある」言語ということになります。複数形がある、ということは、単に複数であることの表現ができるのではなく、それが「文法的に義務的」であるということです。義務的であるので、two little pup では「文にならない」というわけです。

一方、日本語は「複数形のない」言語ですから、上の例文は「二匹の幼い子犬」のように訳出することができます。日本語的な感覚でいえば、two と述べた時点で複数であることは明白なのに、なぜ pups とまで言う必要があるのかということにもなりますが、それが「複数形がある」ということなのです。

さて、two little pups という文の全体を訳す場合には、pups に対応する部分は単数と同じ「子犬」で良いわけですが、もし pups の部分だけを取り出して訳すということになれば、あなたはどのように考えますか。「子犬たち」のように言いたくなるでしょうか?

「〜たち」という日本語の複数表現は、本来は一定の敬意を含み、人や神に対して使われる、というふうに説明されます。複数を表現する接尾辞は他に「〜ども」「〜ら」「〜ばら」などがあって使い分けられてきました。しかし近年は「〜たち」が好まれ、他のものは選ばれにくい傾向にあるようです。

またもともとは主に人に用いるものであったのが、動物にも使われ(「犬たち」)、植物にも適用され(「花たち」)、さらには「家たち」のように無生物にまで拡張する例が、このごろ増えているように思います。統計調査をしているわけではないので、思うとしか言えないのですが、言葉遣いに注意されている方(この記事の見出しに関心をひかれたような……)なら、同じように感じていないでしょうか。

こうしたことは「言葉の変化」であり、変化は常にあるものです。変化することが言葉の生命であるとも言えるのです。ただし変化を促す要因はその時々によって異なる場合があり、これは内的なものと外的なものに分析することができるでしょう。外的なものとはもちろん異言語(「外国」語であるとは限らない)からの影響で、語彙の面では借用語(外来語)の形でかなり容易にあらわれるものですが、文法的要素に入り込むのはまた別の問題かもしれません。

現代北京語では、「〜たち」に似た働きをする「〜メン」という複数表現がほぼ義務的になっているということですが、これは古典漢文にはみられず、近世の俗文学から現れることからすると、モンゴル語や女真語などからの影響が、変化を起こした要因の一つになった可能性が考えられます。これらの言語をもつ民族から圧力を受けたり、征服されたりしたことが背景にあるかもしれません。

フィンランド語の場合、本来は基本的語順が OV(Object-Verb) 型(日本語と同じ類)であったのが、長くこの地を征服していたスウェーデンからの影響を受けて VO 型に逆転したと考えられているようです。

現代日本語に起きている「〜たち」の拡大という現象は、おそらく直接的には英語教育や英語からの訳文による影響であり、その背景には英語圏の国からの経済的、文化的、政治的な圧力を常に日本人が感じていること(あるいは「軍事的同調圧力」も数えるべき?)があるのではないかとわたしは思います。

もし複数であるものの名詞に「〜たち」などを付け、複数性を標示することがあたりまえになり、付けなければおかしいとまで感じられるようになると、日本語には「複数形がある」と言わなければならないことになるでしょう。

ところで two little pups という例では複数形の s を付けないと「文にならない」と言いましたが、「二匹の幼い子犬」では「匹」という助数詞(量詞)がないと文になりません。文の構成を支えるという点では、この構文で英語の複数形と日本語の助数詞は似た役割を負っていると言えそうです(「複数形がない」という点で日本語と近い中国語にも豊富な量詞がある)。また数量に関わるという点でも両者は近い領域にあるとも言えるでしょう。

そこで、英語の表現に引かれて「二匹の幼い子犬たち」と言ったとすると、現状では「〜たち」はなくても文になるという意味で逸脱的です。しかし、将来的に日本語に「複数形がある」と言わなければならない所まで変化が進んだときには、「〜たち」と「匹」の文を支えるという役割が被ることになり、押し出されるように助数詞の使い方に影響が波及する可能性もありそうです。

あるいは、助数詞の体系が複雑であり、複雑であるということは安定性が低いので、その領域に異言語からの影響を呼び込んでいる、という見方もできるかもしれません。

なお『Two LIttle Pups』は1936年に公開された Metro Goldwyn Mayer/Harman-Ising Pro. による 7 minutes cartoon の題名であり、これはアメリカのアニメ黄金期を語る作品の一つ。わんちゃんがかわいい。

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