Fingertip spectacle!

東京芸大がクラウドファウンディングで「コロナ禍で困窮する学生」と「発表の機会を自粛によって奪われたアーティスト」の支援に乗り出し、多浪生への授業料減免の実施が見えて、又、コロナ禍で学校がオンライン授業を開始、近隣の小学校から高校までが来週から普通に授業を始める話を聞いてこれらについて雑感をnoteに書き連ねた作業がひと段落を迎えた。

snsとnoteで心の奥底に溜まった鬱憤を吐き出し続けたお陰で、昨晩、急に気持ちが楽になる瞬間があった。これまでにも経験があることだが、大きな障害を抜けた瞬間だった。
人なら誰でも自分の目の前に大きな問題が立ちはだかる。それに対して萎縮や敗北や我慢が強いられる状況にあれば、心はずっと浮かない状態が続く。
所謂「不幸」というものだと思う。
このような状況に陥らずに「幸せ」に生きていける人生とは如何に稀なものか。そうあるものではないと思う。

私が書かなければならないのは、「抜ける」という事実。
今、苦しみの最中にいる人へ、その苦しみがいつか「抜ける」ことが「在る」ということを伝えたい。
何十年かかろうとも必ず抜ける日が来る。
と言いたい。
諦めないで欲しいのだ。

私は昨日、自分の中でのわだかまりが綺麗に溶けた感じがした。
20年控えてきた大きなキャンバスに絵を描くということだ。
私が大きなキャンバスに絵を描くことを控え続けてきたことには様々な理由がある。これらの全ては今の世界中の絵画の問題とも繋がるので、全て話尽くそうと思う。

そして、私はこれからF150号の制作に入る。
ここに、コンセプトの全てを書き連ねていこうと思う。
今回の作品で私は世界に通用する技芸を見せる。
そして絵画の技芸の価値を世界中に伝播する。
そしてこの技芸が誰にでもできるものであることも世界中に伝播する。
ここに描くチップスと映像と画像を並行して全てを公開する。

絵は特別な才能のあるものに描けるものだという誤解がある。
これが完全な誤解であることは私のこれから書くチップスを読んで頂ければ必ずご理解頂けると思う。
何より私は世界中の誰よりも簡単にわかりやすく絵画の技芸の指導をすることができる。
おこがましい発言だが、絵画の世界を変えるために公言させてもらう。
ここで遠慮してしまえば、絵画の中にある余計な神話を打ち壊すことができない。

私がF150号でこれから描く世界はとても奇妙で神秘的な世界だ。そして脳神経でくだらないゲームに興じているポンコツどもには最も不快な網膜的な審美眼を全開使った所謂、美しい、かっこいい絵画である。
脳神経のポンコツどものお陰で、世界中の人が美しく、かっこいい絵画を鑑賞したり、見たり、技芸を学ぶ機会は奪われている。
ポンコツが唱える脳神経は、絵画ではない。こいつらの居場所が絵画の中にしかないために絵画の世界を巣喰い、絵画の世界が成立しなくなってしまっている。
絵画でない絵画はいらない。
ばい菌を排除するように、絵画を否定するポンコツは絵画の外の世界で好きなようにやってくれれば良いのであって、わざわざ絵画の世界で絵画に落とされた利益を啜って絵画を否定することで身を立てていく必要は絵画にとってはないのである。

絵画には絵画の価値がある。
絵画の領分を越えて価値を過剰に訴えようよする気はさらさらない。
誰にでも描けるものである以上は、絵画を販売して利益を得る必要はないと思うし、利益を得ようとして、技芸を外に出さないように意固地に黙り続ける姿は醜いの一言だ。
絵画には素晴らしい力がある。
その素晴らしさは、新しい可能性は、絵画の隙間を見て今更これまでになかったスタイルの絵を考え出していくような馬鹿で無意味なものではない。
そんなものは絵画の価値ではなくただのゲームだ。

人の想像を言葉でなく、形にすることは、カメラにはできない。
絵とputtyにしかできない。
想像を色と形にすることはそれほど難しいことではない。
それなのに絵画の世界は脳神経のポンコツの言うことに逆らえず派閥に敗れ、情けなく迎合し、ゴマをすり、黙りこくり、何にもしない。つまりがん首そろえて全て何もできない無能な馬鹿だ。

画家の生きる道はある。
但しそれは絵画の確固とした価値を正しく社会に認知して頂いてから確立していかなければならない話だ。
誰でもサッカーができるように、誰でも野球ができるように、絵画も基本的な所で描くことは、基本という低いレベルでなくともかなり高度な所まで誰にでもできるものだ。
社会の誰もが絵を描くことを受け入れ、ある程度高度な技芸を誰でもできるように環境が整ってから本当の稀な才能が浮き彫りになる。
その才能はポンコツの画廊やポンコツの美術館、評論家に背負える話ではない。
社会の誰もが絵画の美しさ、かっこよさを認識できるようになり、誰にでも測れるようになってから本当に稀な才能は浮き彫りになる。
これからこれまでポンコツたちが捏造した偽りはボロボロを剥がれ落ちるように露見する。間違いない。ポンコツどもが恐れ隠蔽し続けている通り社会はクレバーなのだ。

Fingertip spectacle!は技芸の粋を集めて描く。
世界最高レベルの技芸を手に取るように紹介する。
これによって誰にでも簡単に絵が描けるようになるだろう。
何より最高に高められた技芸は最高に描きやすい技術でもあるからだ。
これをどこまで上げるかは「想い」にかかる。
その「想い」を抱く「天才」が現れる前に私は技芸を伝えなければならない。
私はFingertip spectacle!を網膜的に最高の状態に仕上げて1枚ずつ完成させていこうと思う。
早ければ数日。長ければ20年かけて1枚を完成させていくつもりだ。
いたずらに時間さえかければ良いというものではないが、時間をかけなければ生み出されないものがある。

最後に私は画廊だとかコンクールとか公募団体の搬出があるからといったことで作品を完成させるということが大っ嫌いだ。馬鹿じゃねーかと思う。
出すことが目的になってしまい。出したことで満足している。それで鼻を天狗にする姿はゲスの極みだ。不思議と周りもそれで許してくれる。私はそのような姿の中に最高に素晴らしい作品を生み出す可能性を感じたことがない。


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