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写真を拘って続けていたらぶつかった壁


ども!皆様!いかがお過ごしでしょうか。
アートを愛してやまないKDです!

といいつつ、実はほんの最近までとてもとても不調で、あまりカメラを楽しめていない自分がおりました。今日はその話をしたいと思います。


何故そんなにも悩んでいたか。


「既視感」


実は長らくこの既視感に苦しめられておりました。


ファインダーを覗いたその瞬間から、場所や条件が違うにもかかわらず、昔の自分の作品と重なってしまう、誰かが撮った写真が思い浮かんでしまうという状況が続いていました。


心の持ち方の変化


カメラを始めた頃から今までの変化を3段階に分けてみました。


●段階1:憧れ

昔はOOさんが撮っていたあそこに行きたいとか、同じように撮りたいという憧れが先行していました。なので当時は特に、その場所にいること、その人のイメージと重ねることは幸せになりました。

●段階2:独自性

その場に行って撮るだけで喜んでいた自分も、路地を歩いている人をただ撮るのでは誰でも出来るなとか、このぽつん簡単だなとか。
気づけば被写体や環境、構図を選ぶようになり、良い意味で自分らしさの追求、独自性の創出が出来ていました。

●段階3:回帰

さてオリジナルを目指すなかで、自分の中に存在するイメージ・レパートリーがそれなりに網羅される状況が生まれました。もちろん新しいアイデアもまだまだありますが、似たような環境下での撮影も増え、段階2の2周目が始まろうとしておりました。

ここに『既視感』を感じる瞬間が生まれたわけです。



自己分析



皆さんが上記のような壁にぶつかった時どのように乗り越えるでしょうか。

・たくさんの作品を見る
・映画やアニメ、漫画など違うアートに触れる
・とりあえず自分探しで撮りまくる

個々それぞれで方法が違うと思います。


私の場合は、根本から考える論理武装派なので、「既視感を感じて何故自分が嫌になるか」ということを深掘りしていきました。

・オリジナルの作品を撮りたいという欲求
・過去の自分より成長したと実感したい欲求
・同じものに対する飽き


加えて、〇〇すればバズるという勝手な考えがあり、その構図で撮ることが多いことにも気がつきました。こだわりが強くなる分には良い成長なのかもしれませんが、他人からの賞賛を得たいための過度な拘りは、楽しむ心を邪魔していました。


また引っ越しも要因だったかもしれません。新天地で撮るからには圧倒的でないといけない。東京の街に助けられてただけと思われたくない。そんな考えまで持ち始めるわけです。


まあお気づきの通り、この余裕のなさで撮っていて楽しいわけないですよね笑


更なる先へ



結局、カメラを持つと夢中になる。雨が降っていても風が強くても、むしろ嬉しそうにニヤニヤしながら撮るくらいには。




最終的に出た答えはこうでした。

自分の好きを共有しよう




これを当たり前に出来ていると言い切れるあなたはまだ犯されていない、大丈夫!笑



何のためにカメラやってるのか考えた時、日常の感動を、旅の記録を誰かに共有して騒ぎたいということが浮かびました。その写真を撮るまでのストーリーをお酒でも飲みながら話すなんて最高じゃないですか。


もちろんこだわりを捨てると言ってるわけではありません。「自分がその場でイメージ出来る完璧を撮る」という気持ちに変わりはありません。

今までと違うのは、勝手に持ち続けていた固定観念をぶっ壊し、良いと思ったものを自由に提示するということです。


誰かにインスパイアされてもいい、誰かと同じ構図でも良い。ただしそれがその場の最善だったからと言いきれる自分を持てること、これが更なる先へ進める心の在り方だと思ったわけです。


そんなこんなで最近はまた楽しく写真を撮りに行っています!
これからも私の感性をどうぞ優しく見守ってください。



以上!
次回の作品もお楽しみに!いいね、おすすめ待ってまーす!



〈参考〉

最近の自由な作例




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