もしツル Scene 21


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『慎ちゃん、どうしたの?』

と呼びかける声が聞こえ、僕は気がついた。まず目に入ってきたのは、起動したままのPCだった。その画面の中に長い文章がぼんやり見えた。顔を上げると、女性が立っていた。だんだん目の焦点が合ってきて、それがやよいであることがわかった。周りを見回すと、そこは僕の書斎だった。

 『なんだか、うなされていたわよ。鶴女房の原稿はできたの?』と、やよいが聞いてきた。僕はまだ状況がよくわからなかった。『やよい、君は人間に戻ったのか? そうだ! カラスはどうなった?』と聞くと、やよいは『なにを言っているのよ。鶴女房でもあるまいし。わたしは正真正銘の人間ですよ。カラスがどうかしたの? カラスに襲われる夢でもみていたの』と言って笑った。その笑顔を見て、少しずつ現実が戻ってきた。
 そうだ! 僕は鶴女房に関する原稿を書いていたのだ。締め切りが近いので焦っていた。そのうえ、原稿は思っていた以上に難航し、PCの画面を見ながら頭を抱えていたところだった。僕がやっと目を覚ましたのを確認すると、やよいは『もうすぐ晩御飯の支度が出来上がるから、早くお仕事を済ませてね』と言ってキッチンに戻っていった。その後ろ姿を見送って、しばらくの間、PCの画面に打ち込まれた文字をたどってみた。その文章は、

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《男の罪はどうなった?》

というところで終わっていた。どうやら僕は、長い夢を見ていたらしい。その夢の内容は、頭のなかで断片的なカードや写真のように散らばっていた。僕は記憶が薄れないうちに、それを繋ぎ合わせてみた。はじめに出てきたカードは、わなを仕掛けた男の罪だった。それに続いて、鶴を機織り部屋に封じ込めた罪、去って行かない鶴、男を裁く裁判……。
 この夢のなかには、僕がまったく気がついていなかった新しい発見が沢山あった。なかでも、「日本の昔話には“こころの法廷”がない」ということは、見過ごすことができない問題であるように思った。日本の神話や昔話のなかで、約束を破った側が決して罰せられないのは、“こころの法廷”が文化のなかに準備されていないからではないだろうか。
 それは、言葉を変えて言うと、夢に出てきた「カラスの兄貴」がいないことだ。カラスの兄貴は、夢のなかで僕にこう言った。

《もし、愛する人が鶴だったら、お前はどうする?》

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つづく



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