もしツル Scene 18


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 八橋先生は頷きながら、それを一言一句聞き漏らさずメモを取っていた。鮎子は弁護というかたちで、この昔話に関する僕の疑問を解消してくれた。

 しかし、小さいカラスはよく理解できなかったと見えて、頭を左右に傾げながら、《それは……、つまり……》と言って、黙り込んでしまった。見かねた大きいカラスが《なるほど、よく分かった。しかしなあ、その説明では、俺たちの縄張りを荒らした鶴の姐さんの罪が晴らされたとは言えないだろう?》と反論した。
 『えっ?』と言って、鮎子は言葉に詰まってしまった。そのとき、八橋先生が突然口を開いた。

『判決を下す。被告人、安和慎之介は有罪。カラスに目玉二つを差し出すこと』

 「いい加減にしてくれ」と僕は思った。十分な審理も尽くしておらず、しかもあまりにも安易な判決であり、とても承服できなかった。
 『異議あり。先生は弁護人の説明に納得していたではありませんか』と言うと、《却下。おまえが有罪でないと、これからわしが書こうと思っている論文の話題性が減って、みんなからまた無視される。それでは困る》と答えた。呆れ果てた。無茶苦茶な判決理由だった。

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 八橋先生は《次に、鶴のやよいは無罪!》と言うと、今度はカラスが黙っていなかった。《おい! それはないだろう。兄貴の反論に弁護人は答えられなかったじゃないか。何を考えているんだ。無罪の理由は何だ?》と詰め寄った。
 《理由? それは、はっきりしておる。子どもの頃、わしはカラスの集団に追いかけられたことがある。それ以来、カラスが大嫌いになった。それが理由じゃ。文句あるか?》と言って、カラスを睨みつけた。よほどカラスに恨みがあるのだろうと思った。
 当然、カラスは納得しない。小さいカラスが《この老いぼれ、ヘボ学者、いい加減にしろ!》と言うと、《何だと?! もう一遍言ってみろ!》と、噛みつかんばかりの勢いで言い返した。《何度でも言ってやる。ヘボ学者、老いぼれ、また追いかけてやろうか!》

 それを聞いて八橋先生が切れた。
 《許さん!》と言うと、僕がリビングの隅に置いてあった、たも網を握りしめて小さいカラスめがけて振り下ろした。カラスはそれを身軽にかわし、嘴で反撃を始めた。
 《おい、やめろ!》と、兄貴と呼ばれた大きいカラスが止めようとしたが、お互いに興奮してまったく耳に入らないようだった。あっという間にリビングは大騒ぎとなった。僕は驚き、呆れ、どうしていいか分からず立ちつくしているしかなかった。

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 そのとき、鮎子が近づいてきて、
 『お兄ちゃん、今よ。やよいさんと一緒に逃げて』と言った。僕は、我に返り、やよいも鮎子の言葉を理解したらしい。僕たちは、そっとその場から抜け出し、玄関を開けて走り出した。
 それに気づいた兄貴カラスが《おい、やつらが逃げたぞ。その老いぼれなんかに構わず、あいつらを捕まえるんだ》と言い、二羽のカラスが追いかけてきた。それを見た八橋先生は《逃がさんぞ!》と言って、たも網を振り回しながら、すごい形相でカラスを追い始めた。
 階段に続く廊下を逃げながら、「何たることだ」と思って振り返ってみると、最後尾に鮎子の姿が見えた。彼女は『先生、きんつばがありますよ~』と叫びながら走っていた。

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つづく
Scene 16-18 の参考文献
北山修『悲劇の発生論』〔金剛出版, 1982年〕
北山修・橋本雅之『日本人の〈原罪〉』〔講談社現代新書, 2009年〕


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