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八橋先生の表札 その1

「もし愛する人が、鶴だったら」番外篇

八橋先生 small

(cf. もしツル Scene 10「八橋先生登場」)


 研究室の窓の外に広がる伊勢の山々を見つめながら、わしはつい先ほど見た夢のことを考えた。

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 メタンガスの泡が立ち上り、腐った生ゴミが異臭を漂わせながらゆっくり流れる小さな川に架かっている木の橋を渡って、そのアパートにたどり着いた時にはもう夕方になっていた。アパートの向かい側に広がる原っぱから蝉の鳴き声が聞こえてくる。
 アパートの玄関脇に緑のタイル張りではめ込まれた「南木荘」という文字を、僕は三回読み返した。木造二階建ての古いアパートで、一階は店舗兼住居で、パーマ屋、家電の小売店、造花屋が店を開いていた。造花屋の店先に立て掛けてある「祝開店」の花輪を見ながら玄関をくぐると住人が共同して使う下駄箱があった。スリッパに履き替え、薄暗い階段を昇ると、二階の踊り場で酔っ払いが一升瓶を抱えて座っていた。白い開襟シャツによれよれの黒ズボン、鼻の頭は赤く染まっていた。

『兄ちゃん、一杯やるか?』

 ろれつの回らない言葉を無視して廊下を進んだ。廊下は、小さな裸電球の光の加減で全体が黒く光って見えた。僕は手前から三つめの右側の部屋の前で立ち止まった。こげ茶色のベニヤ板で出来たドアの上部に菱形の小さな擦りガラスがはめ込んであり、蒲鉾板に「八橋」書かれた表札が打ち付けられていた。
 それは記憶の底に焼け残っている懐かしい古びた表札だった。一息置いてから、左手にスーツケースを抱え、右手でドアを開けた。手前が三畳の薄暗い部屋。その奥に六畳の居間があるだけだ。

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 奥の部屋では、思ったとおり父と母が小さな卓袱台を囲んでいた。浴衣姿の母が、入口に立っている僕に声をかけた。

『お帰り。遅かったね、早くこっちにいらっしゃい。晩ご飯できてるよ』
『そろそろ来る頃だと思ってた。母さんがイライラしてたぞ。素麺と寿司が無駄になるって。なにしろもう時間がないからな…』
『きんつばもたくさん買ってあるからね』と言いながら、母は一つ一つ料理を並べた。

 不思議な光景が目の前にあった。ランニングシャツに半ズボン姿の父の膝に、かすりの寝巻きを着た一人の子どもが坐っていた。それは紛れもない7歳の僕だった。何も言わずぐったりして、半分眠っていた。たぶん、病気で熱が高いのだろう。子どもの頃はとても病弱だったのだ。

『突っ立てないで、まあ座れ』、父は言った。言われるままにスーツケースを畳に置き、両親と7歳の自分と対面するようにして腰を下ろした。
『お酒、飲めるよね』、母がコップを差し、まず父に注いだ。
『おまえ幾つになった?』、ビールを手にして父が言った。
『…もう37歳になるよ』
『早いねえ…。三十年ぶりだね』、そう言いながら、母は僕にもビールを注いだ。
『お父さん、今日は私も一杯飲ませてもらいますよ』
『おう、飲め飲め』

 母は嬉しそうに自分のコップにビールを注いだ。父がコップを持ち上げて『さあ、乾杯だ』と言った。よく冷えて口に残る苦みが格別だった。父と母は若かった。僕が7歳の時のままだった。

『よかったね。やっとお父さんの願いが叶って』と、母が言った。
『お前が成人したら、母さんの作った素麺と寿司を肴にして、二人で酒を飲むのが俺の夢だったからな』。父は7歳の僕の頭を撫でながら、僕の顔を見てそう言った。
『よく来てくれたな。礼を言うよ』、コップを置いて父はそう言った。
『子どもが出来るんだってねえ』という母の言葉に少し驚きながら、
『ああ…、たぶん今日か明日あたりの予定だよ』と言って、若い母の顔を見た。
母は嬉しそうに頷き、『お父さん、私たちも孫を抱きたかったわね』と言いながら、父のコップに二杯目のビールを注いだ。
『それを言うなって』と言った父の眼は少し潤んでいるように見えた。そして、ふと思いついたように、
『おい、いま昭和何年だ?』と聞いてきた。

 それを聞いた僕は、父と母の時間は昭和39年で止まったままなのだということを思い知った。
『平成6年、1994年だよ』と答えるのはつらかった。
『そうか、時代は変わったんだな』と言って、父は何度も頷いた。
『東京オリンピック、買ったばかりのテレビで見たかったわねえ…』、母は半分ビールが残っているコップを見ながら、そう言った。

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つづく

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