もしツル Scene 19


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 僕とやよいは、階段を駆け上がり屋上に出ようとした。やよいは飛ぼうと思えば飛べるはずだが、狭い階段を一段ずつ上っている。人間と鶴が同じ速さで歩くことがこんなに難しいとは思わなかった。
 階下からカラスたちが追いかけてきている様子はなかった。やよいと歩調を合わせてやっとのことで最上階の12階までたどり着き、屋上に出るドアを開けると、そこに二羽のカラスがいた。僕たちは立ち止まり、エレベーターの前まで後退りした。それを待っていたように、カラスたちが踊り場に入ってきた。僕たちは踊り場で二羽のカラスと対峙した。

《姐さんよ、残念だったな。男がいなければ飛んで逃げることができたのになあ》と、大きいカラスが言った。小さいカラスが、胸をそっくり返して、
《諦めるんだな、お前たちもいよいよ税金の納め時だ》と言うと、大きいカラスが、
《それを言うなら、年貢の納め時だ! もういい、お前は黙ってろ!》と言って、小さいカラスの頭を羽根で叩いた。大きいカラスは、落ち着いた声で話し始めた。

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 兄さん、人間は勝手なものだな。自分たちの満足のためだけに遊びで狩りをしたり、満腹を味わいたいためだけに生き物を乱獲したり。そのおかげで、どれほど多くの動物たちが犠牲になったのかを考えてみたことがあるかい? 
 俺たちはずっと昔から、森の中で他の生き物と折り合いをつけて暮らしてきたのに、人間が山を削りゴルフ場や宅地にしてしまった。しかたなく、俺たちは都会に出てきて、電線や、わずかに残っている公園や、寺社の森に住まざるを得なくなったんだ。
 テレビや雑誌で、都会にカラスが増えたことを取り上げて、「困ったことだ」とか「駆除する必要がある」とか言われて、ますます俺たちは肩身の狭い思いをしながら生きているんだ。
 兄さんよ、俺たちは遊びで人間狩りをしたり、お前さんたちの食べ物がなくなるほど食い荒らしたりはしない。その日を生きるのに必要なだけしか口に入れないよ。それをどう思う? 
 こんな大きな話でなくてもいい、自分の身の回りのことを一度よく考えてみてくれよ。無自覚に犯している罪がないか、どうかよく考えてみてくれ。

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 この国では昔から、「いや、誠に申し訳ない。悪かった」と謝って「水に流して」終わり、という考え方が根強くあるけど、そこに、お前さんたちの文化の問題があるんじゃないかな。その考え方をもう一度、見直してみる必要があるとは思わないか?
 大切なことは、「悪い」と思い続けることだよ。「もう十分、思い続けてきた」と、すぐに反発する連中もいるけど、肝心なことは、思い続けることの重圧に耐えることだ。そして、重圧に耐えるつらさを我慢して腹の中に置いておくことが大切なんだよ。そうすれば、やがてその思いが腹の中で熟成して「罪悪感」や「倫理観」と呼ばれる精神に変わっていくだろう。その時が来るまで“待つ心”を育てることが必要だとは思わないか。
 裁判官のじいさんは、お前に両目を差し出す有罪の判決を下したけど、それは「心の眼で無自覚な罪を見つめろ」という意味だよ。お前さんにそれが出来るかい? 両目を失って、心の眼で無自覚な罪を見続ける重圧に耐える覚悟があるかい。
 しかしなあ、それができなければ、小さな部屋の中で、たった一人で夫の罪を償うために機織りをしていた鶴のつらい気持を理解することはできないだろう。お前がそれに耐えることができれば、正体を知られた鶴が恥ずかしく思って去って行かない、“新しい鶴女房”の物語ができると俺は思うよ。

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 カラスの話は、心の奥に深く突き刺さった。
 長いあいだ、この国では鶴女房の物語を、「正体を知られた鶴が去って行く、あわれで美しい昔話」として読んできた。その理解が間違っていたとは思わないけれど、見方を変えれば、僕たちがまったく気づいていなかった別の問題がこの昔話の中に隠されていることを、カラスに教えられた気がした。言い返す言葉がなかった。

 カラスがふたたび口を開いた――



つづく

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