もしツル Scene 14


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 マンションに戻ってみると、慎之介はダイニングテーブルについて座っている。ぼんやりと、何を考えているのだろう? 先週、伊勢から帰ってきてからというもの、どこか、深く考えているみたい。慎之介はなにかに気がついたに違いない。でも、それがどんな意味を持っているのか、分からなくて戸惑っているのかな?
 かくいう私だって、鶴の世界で語られてきた話と、人間の世界で語られてきた話の違いを知って、戸惑ったもの……。タンチョウの村の長老は、私たちを集めてよく話してくれた。

たしろ君

《人間という生き物は、自分たちが生きるために他の生き物を捕らえて、その毛皮を売ってお金を稼いだり、その肉を食べ物にしたりしている。それは、わしたちも同じことだ。わしたちも、カエルやドジョウを食べて生きている。でも、わしたちは必要以上に餌を獲ることはない。そこが鶴と人間との違いなんだ。人間のなかには、自分たちに命をくれた生き物に感謝する者もいるが、それ以上に、猟で獲った生き物を、お金儲けの品物と考えたり、贅沢な食事をするための食材としか考えていない者が大勢いる。これは罪深いことだ。》
 《人間の男の妻となった鶴たちは、知らず知らずに動物を犠牲にしてきた夫の罪を償い、自分たちが食べてきたカエルやドジョウに感謝するために、機織りをしているんだよ。誰に知られることもなく小さな部屋の中で、夫と自分の罪を償っていたんだ。夫はそこに気づくべきだった。そして反省することが大切だった。そうして、生き方を変えることができれば、正体を知られた鶴が恥ずかしい思いをして去って行く必要もなかったのだよ。》

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 《いいか、もしお前たちが人間と暮らしたいと思うならば、この物語をよく覚えておきなさい。そして、自分たちが他の生き物の命を戴いて生かされていることを夫が悟るのを助けて、鶴が去って行く必要のない「新しい鶴女房の物語」を作っていきなさい。》
 《そのためには、お前たちにも覚悟が必要だよ。その覚悟とは、「たとえ何があっても去って行かない」という“意志”だ。》

やよい小

 私はこの長老の話を、長いあいだ忘れていた。そして現実に正体を知られてしまうと、狼狽えた。でも、カラスに追い出され、雅子からも見放されたとき、“意志”という長老の言葉を思い出したのだった。その言葉を支えとして、私はこの家に帰って来た。“意志”をもつ鶴として、「鶴の生き方は決して恥ずかしくない、夫と二人で〈新しい鶴女房の物語〉を作ろう」という強い“思い”をもって帰って来たのだった……。

 この二週間のあいだ、何とかして「鶴女房」の話を理解しようと精一杯の努力をしている慎之介の姿を見て、私は「待とう」と決心した。慎之介が〈鶴の世界の昔話〉を探し当てるのを“待つ”ことにしたのだ。


つづく



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