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シュトラウス2世  喜歌劇『ジプシー男爵』序曲

のまにまに DTM Orchestra
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『ジプシー男爵』
(ドイツ語: Der Zigeunerbaron)は、
ヨハン・シュトラウス2世のオペレッタ。
『こうもり』に次いで有名である。
1885年10月24日、シュトラウスの
60歳の誕生日の前日に、
『こうもり』と同じくウィーンの
アン・デア・ウィーン劇場で初演された。

ハンガリー人の作家ヨーカイ・モールの
短編小説『シャーッフィ』(Sáffi)を基に、
ハンガリー人ジャーナリストの
イグナーツ・シュニッツァー(ドイツ語版)が
書き上げた台本には、
ハンガリー情緒がふんだんに盛り込まれている。
わずか6週間で書き上げたと
いわれる『こうもり』とは異なり、
シュトラウスはこの作品を
2年の歳月をかけて作曲した。
初演は大成功を収め、
以後ハンガリーを題材にした
オペレッタが数多く作曲され、
人気を博していくことになる。
序曲や第3幕で演奏される
凱旋の入場行進曲、
そして劇中で使われるワルツを用いて
作曲された『宝のワルツ』などは、
演奏会で単独でも演奏される。

芝居を好んだという当時の
オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は、
この『ジプシー男爵』を大いに気に入り、
劇場の皇帝席にシュトラウスを呼び寄せた。
シュトラウスは非常に興奮しながら、
その時のことを友人グスタフ・レヴィにこう語った。
「皇帝は大満足の様子であった。
そして仰せられた。シュトラウス君、
君のオペラをとても余は気に入ったよ。
とてもすばらしい。皇帝は仰せられたのだ。
「オペラ」だって!」
シュトラウスは当初『ジプシー男爵』を、
オペレッタではなく「喜劇的オペラ」と
名付けようとしていたという。
シュトラウスは、オペレッタばかりでなく
オペラにも進出したいと考えるようになっていた。
皇帝から不用意に飛び出た「オペラ」発言は、
そんなシュトラウスに大きな喜びをあたえたのである。
現在もオペラとオペレッタを区別する
習慣は欧州に若干残っているが
(それでもカンパニーを含む劇場、
歌手、指揮者などを含めほとんど垣根がなくなっている)、
当時はウィーン国立歌劇場が
オペレッタを一切上演しないなど、
より厳格だった。
Wikipediaより


1974年 吹奏楽コンクール
阪急百貨店吹奏楽団の演奏が
印象的であった・・・

2018年11月 作成

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