画像1

ムソルグスキー 交響詩『禿山の一夜』(原典版)

のまにまに DTM Orchestra
00:00 | 00:00
交響詩『禿山の一夜』ニ短調は、
モデスト・ムソルグスキーが作曲した管弦楽曲。
『はげ山の一夜』とも表記される。

「聖ヨハネ祭の前夜に不思議な出来事が起こる」
というヨーロッパの言い伝えの一種、
「聖ヨハネ祭前夜、禿山に地霊チェルノボーグが現れ
 手下の魔物や幽霊、精霊達と大騒ぎするが、
 夜明けとともに消え去っていく」
とのロシアの民話を元に作られている。
聖ヨハネの前夜祭は夏至祭の前夜であり、
題材としてはシェイクスピアの『夏の夜の夢』と
同様であるといえる。

1858年にゴーゴリの
『ディカーニカ近郷夜話』に収める短篇
 「イワン・クパーラの前夜」
(イワン・クパーラは聖ヨハネ祭を意味する)を
3幕のオペラ化にする案がムソルグスキーや
バラキレフらの間で話し合われたことがあった。

1860年夏の手紙でムソルグスキーは
メングデンの戯曲『魔女』(Ведьма)の
中に出てくる禿山の魔女のサバトのための音楽を
書く計画について語っているが、
このときの音楽は残っておらず、
現行の『禿山の一夜』とどのような関係に
あったかはわかっていない。
初版は独立した管弦楽作品として
1866年から1867年ごろにかけて作曲された。
ムソルグスキーが初めて書いたある程度の
大きさを持った管弦楽曲だったが、
この曲はムソルグスキーの生前には演奏されなかった。
ムソルグスキーはその後この曲を別の作品中で
使用するために何度か書き直しているが、
それらはいずれも日の目を見なかった。

長らくリムスキー=コルサコフが
編曲した版が広く知られていたが、
近年ムソルグスキー自身の手による
原典版も知られるようになり、
こちらもムソルグスキーの典型的作風を
示すものとして普及している。

作曲者による原典版(1867年)

音詩『聖ヨハネ祭前夜の禿山』は、
1866年から1867年にかけて作曲され、
1867年6月23日、まさに聖ヨハネ祭の
前夜に作曲を完了した。
1866年3月にリストの『死の舞踏』を
聞いたことがきっかけで作曲されたのかもしれない。
リムスキー=コルサコフにあてた手紙には、
「魔物たちの集合〜そのおしゃべりとうわさ話〜
 サタンの行列〜サタンの邪教賛美〜
 魔女たちの盛大な夜会」
という4つの場面が曲想として
構成されていると記されている。
サバトで終わるところは
ベルリオーズ『幻想交響曲』の
最終楽章と共通する。

バラキレフは、
その粗野なオーケストレーションを批判し、
修正を求めたが、ムソルグスキーが修正を
拒絶したために演奏を断った。
演奏も印刷もされないまま、
この版の存在は忘れられていたが、
1933年にソ連のムソルグスキー研究者である
パーヴェル・ラムによって再発見された。
デーヴィッド・ロイド=ジョーンズ指揮による
1971年の録音や、アバド指揮による
1980年の録音で聴くことができる。
Wikipediaより

2016年作成 Sibelius7.5

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?