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ラヴェル 『亡き王女のためのパヴァーヌ』

のまにまに DTM Orchestra
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『亡き王女のためのパヴァーヌ』は、
フランスの作曲家モーリス・ラヴェルが
1899年に作曲したピアノ曲、
および1910年にラヴェル自身が
編曲した管弦楽曲。

『逝ける王女のためのパヴァーヌ』や
『死せる王女のためのパヴァーヌ』
などとも訳される。

パヴァーヌとは、16世紀から
17世紀にかけて
ヨーロッパの宮廷で普及していた
舞踏のことである。

原題のinfante défunteは文字どおりには
「死んだインファンタ
  (スペインの王女の称号)」を意味し、
韻を踏んだ表現[要出典]が選ばれている。
ラヴェルによると、この題名は
「亡くなった王女の葬送の哀歌」ではなく、
「昔、スペインの宮廷で
  小さな王女が踊ったようなパヴァーヌ」
だとしている。よって、日本語の表記においても、
「亡き王女」と表現すると、
死んだ王女という意味が強くなるため、
あえて漢字を使わずに「なき王女」と
表記することもある。

この古風な曲は、
歴史上の特定の王女に捧げて
作られたものではなく、
スペインにおける風習や情緒に対する
ノスタルジアを表現したものであり、
こうした表現はラヴェルによる他の作品
(例えば『スペイン狂詩曲』や『ボレロ』)や、
あるいはドビュッシーやアルベニスといった
同年代の作曲家の作品にも見られる。
諸説あるが、ラヴェルがルーヴル美術館を
訪れた時にあった、
17世紀スペインの宮廷画家
ディエゴ・ベラスケスが描いた
マルガリータ王女の肖像画から
インスピレーションを得て作曲した、
とされる。

ピアノ曲はパリ音楽院在学中に
作曲した初期を代表する傑作であり、
ラヴェルの代表曲の1つと言える。

ラヴェルはこの曲を自身のパトロンである
ポリニャック公爵夫人に捧げ、
1902年4月5日、スペインのピアニスト、
リカルド・ビニェスによって初演された。
この曲は世間からは評価を受けたが、
ラヴェルの周りの音楽家からは
あまり評価されなかった。
ラヴェル自身もこの曲に対して、
「大胆さに欠ける」、「シャブリエの過度の影響」、
「かなり貧弱な形式」と批判的な
コメントを行っている。
その後行われた演奏もテンポが遅く、
だらけたものであった。
ある演奏会が行われた際、
ラヴェルがこの曲を演奏したピアニストに対し、
演奏後に「これは『王女のための亡きパヴァーヌ』ではなく
『亡き王女のためのパヴァーヌ』であるのだ」と
指摘したこともあった。

曲はト長調で4分の4拍子、
速度記号はラン(Lent, 四分音符=54)である
(後年、ラヴェル自身が録音した演奏により、
  54-70と幅が持たされている)。
2つのエピソードを挟んだ
小ロンド形式(単純ロンド形式)を取り、
A-B-A-C-Aという構成をしている。

優雅でラヴェルらしい繊細さを持つ
美しい小品であり、ピアノ版、
ラヴェル自身の編曲による管弦楽版の他にも、
多くの編曲者によりピアノと独奏楽器のデュオ、
弦楽合奏など様々に編曲され、
コンサート、リサイタルの曲目や
アンコールとしてしばしば取り上げられる。

オーケストラ版は、
1910年にラヴェル自身が編曲し、
1911年に初演された。
演奏時間はおおむね
6分半から7分程度である。
「管弦楽の魔術師」の異名に
恥じない華麗な編曲であるが、
『ボレロ』や『左手のためのピアノ協奏曲』から
連想されるような大規模な管弦楽編成ではなく、
むしろ『クープランの墓』
(これもピアノ曲の編曲である)などに
近い小規模な編成であり、
旋律美と知名度に加えて、
難度もあまり高くないため、
演奏会のプログラムやアンコールピースとして
取り上げられる機会も多い。
Wikipediaより抜粋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A1%E3%81%8D%E7%8E%8B%E5%A5%B3%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%8C

2021年04月 作成

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