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中島敦の誕生日にて、「山月記」を読み返す。

「隴西の李徴は博学才頴、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山、號略に帰臥し、人と交を絶って、ひたすら詩作に耽った。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである・・・」(中島敦「山月記」冒頭)

端午の節句・5月5日は、上記の「山月記」で有名な、文豪・中島敦の生まれた日です。
高校の現代文の教科書で必ずと言っていいほど登場する「山月記」は、私の父が大好きな作品です。
「詩家としての名を死後百年に遺そうとした李徴に、中島敦は自分を重ねたのだろう」と、父はいつも語っています。

私自身、中島敦の文章の美しさと、「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」という言葉は忘れることができません。

臆病な自尊心と尊大な羞恥心。

「己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった」(中島敦「山月記」より)

才能と努力。
人間が何事かを成すときに避けては通れないテーマを、哀しく、そして美しい文章で綴っているからこそ、父も私も、この「山月記」に惹きつけられるのかもしれません。

私は「己の珠に非ざることを惧れるからこそ、刻苦して磨かなければ」と思うばかりです。

最後に、私が大好きな中島敦の言葉を二つばかり。

「昔、私は、自分のした事に就いて後悔したことはなかった。
しなかった事に就いてのみ、何時も後悔を感じていた。」

「頭は間違うことがあっても、血は間違わない。」

中島敦 「光と風と夢」より。

改めて、生誕おめでとうございます。

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