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妊娠の終わり

前回の日記から間が空いてしまったけれど、記録のために残しておきます。

(流産に関する記載があるので、今つらい方はお気をつけてください)


検査結果を待っていたNIPTは、18トリソミー陽性という結果だった。21トリソミー(ダウン症)よりもさらに深刻な場合が多く、産まれても長く生きられない可能性が高いし、そもそも妊娠がかのまま継続できない可能性も高い遺伝子疾患だった。

そして結果が出る前から考えていた通り、ここから羊水検査等、さらに結果を確定させる検査を受けるにあたっては、やはり日本に帰りたいと思った。今の国では言葉の壁もあり、また国が変われば医療も価値観も違うので諸々詳細な情報や説明が満足に得られないことがかなりストレスとして溜まってる。そしてこういう重要な局面ではしっかり納得した上で、今の状態を理解して、その後何かしらの結論が必要になるなら検討して出したいという気持ちが強くあった。


夜にこの結果が出たのが0日目として、ここから怒涛の一週間が始まった。

1日目、日本に緊急帰国するならなおのことやらなきゃいけない仕事がたくさんあるので、職場に行かなきゃいけないけれど、朝から涙が出る。一人なら逆に無の境地で行けるけど、夫を見るとなんだか気弱な自分が出てきて泣いてしまう。でも行かなきゃなので泣きつつ出発。
仕事をしつつ、元々さらなる検査をするならここに行きたいと思っていた、日本の専門の検査機関のオンラインフォームに、帰国するならいつのタイミングがいいか等、問い合わせた。するとすぐ電話をいただき、海外にいるならまずオンラインで遺伝カウンセリングが受けられるのでそれを提案いただいた。明日の朝に早速受けさせてもらうことになり、問診票やこれまでの検査結果をメールで送付した。

2日目、早朝から夫と一緒にオンラインの遺伝カウンセリングを受けた。1時間くらいかけて、とても詳細に説明を受け、こちらの質問にも答えてもらえた。NIPTの次のステップでは羊水検査だと思い込んでいたけれど、18トリソミーの場合は、エコーでわかる特徴がたくさんあるようで、そのエコーはもちろん熟練した専門の医師が見ないとわからないことだけれど、そういう病院でちゃんと見てもらえれば羊水検査を受けるまでもなくわかることが多いとのこと。
あと、こちらの病院で明確な出産予定日をまだ聞いていなかったので、自分で移植日を2週目0日と数えていたのだけれど、正確な日にちを教えてもらえた。私の場合5日目の胚の移植だったので、移植日は2週目5日。だから5日遅れて数えていたことになり、この時点では14週2日。そして週数から考えて前回のエコーの時の胎児のサイズは小さめであることも聞いた。
日本に帰るなら、検査とその後の経過観察のために1か月くらいみると良いという見通しも。
本当にいろいろな疑問が解消されて、内容として希望的な情報は実際あまりなかったものの、ただただわからなさと不信感で不安だらけだったのがだいぶ整理されたという点では好転した。そして夫と話して、帰国することは決定として、その日のうちに、職場でまず相談しなきゃいけないポジションの人たちに連絡した。今帰国すると、大きな仕事を一つできなくなるのと、それ以外にもいろいろ支障が出るのだけれど、そして帰国がいつまでになるかまだ不透明であること等お話しした。驚かせてしまったと思うけれど、みんな優しくて、何も心配せず健康第一で、カバーできることはすべてやるので問題ない、と言っていただいた。

3日目、多めの出血あり。これまで茶おりはゆるゆるあったけど、この日は結構量が多かった。あとここまでの妊娠期間中にはなかった頭痛もかなりあり。でも腹痛はそんなに感じない。
片付けなきゃいけない仕事のことを考えると、この1週間後くらいに日本へ出発できたらと思っていたけれど、出血が多くて帰国前にさらに悪化すると嫌だな…と思って、4日後のフライトにすることを決定して予約した。
つわりは結構楽になってきた感あり、匂いづわりは残ってるし力も出ないけど、もう吐き気は無し。

4日目、頭痛が相変わらずひどいのと、お腹が少し痛い時があり、そうしてるうちに赤い血が多くなったから気が進まないものの病院へ。希望的な状況でない中、またこちらの病院にかかるの嫌だな…というので嫌だったのだけれど。しかもいつもの病院の医師がいないので、別の病院に行くように言われ、しばらくベッドに横になって医師に状況すべていろいろ説明したにもかかわらず、そこからさらに次の病院へと言われ、でもいちいちこれにイライラしてる元気もないので言われた通りに。次の病院でもかなり待って、ようやく診察受けたところ、心拍停止を告げられた。エコーで見る見た目も、機械のせいかはわからないけれどこれまでよりもかなり儚かったし、動かなかったし、やはり…という気持ちは大きかった。これが14週4日のことで、胎児のサイズとしては11週の終わりくらいとのことだった。
この後大量に出血するかもしれないけれど、経過観察することに。
元々良い情報が何もないので期待はしていなかったけれど、確定したことでやはり涙が出てくる。家帰ってからはさらに涙が止まらず、夫がずっと頭や背中をさすってくれた。
夕方、そばを茹でてもらって食べて、おいしかった。
頭痛が続くけど、もうナロンエース飲んでいいんだと気づき飲んで、それでも痛い。

5日目、帰国まであと3営業日でやらなきゃいけないことたくさんなので、出勤。仕事がんばりつつ、出血が多くて貧血が心配。お腹は痛い時はあるけれどそこまでじゃない。一番一緒に仕事していて、不在が一番影響する、私の指示で働いているスタッフの人に伝える。体を大切にしてほしいと労りの言葉をもらった。リモートで今後も仕事は一緒にするけれど、とりあえず私がしばらく不在になること等、完全に受け入れてもらえてよかった。
これまでずっと通っていた病院のナースから電話があって、結果を話したら、「とても残念だけど、障害がある子を産んだらこれから先の人生ずっとお世話しなくてはいけなくて大変だから、これでよかった」みたいなことを言われた。実は心拍停止を確認した医師からも、「どちらにせよ胎児が(NIPTやエコーの結果)通常じゃなかったから、これでよかった(It was good because the baby was abnormal.)」と言われた。
この国では本当にそういう価値観で、特に日本よりもさらに障害のある人を支える仕組みが整っていないから、そうなってしまうのだろうと思うけれど、こういう直接的な言葉の配慮のなさに、少しずつ確実に精神が削られていくから、もうこの国の医療機関となるべく関わりたくなくなる。
仕事はいろいろ進めて、家に帰って、また少し泣いて、夫と話す。
夜寝る前に生理痛の重めの時くらいの腹痛があって、またナロンエース飲んだけどなかなか寝られなかった。

6日目、前日の夜の腹痛は朝になったら比較的治っていたし、昼過ぎまで全然痛くなくて出血もあまりなかったので仕事がんばれて、また必要な人への連絡等もできた。そしてようやく仕事がひと段落済んだ夕方にお腹が激痛になり、もう無理かも、くらい痛い状態で車に乗って渋滞に耐えて、これが波がある痛さなのだけどその波が頻繁にくるたびに意識が遠くなりそうになりながらなんとか家について、トイレにこもる。なんかいきみたくなるような痛さの中、大量の出血と、かたまりがいろいろ出た感じがした。
ある程度出た感じがした後、立ち上がって手を洗っていたらものすごい目眩で、呼吸も荒くなり倒れそうになり、すぐ横になった。しばらくお腹の痛さに耐えながら、ウトウトしつつ覚醒するのを繰り返して、何時間かかけて落ち着いた。お腹すいてきたし何か血になるものを食べなきゃと思い、軽く食べてから寝た。

7日目、朝起きたら腹痛そんなになく。出血はあるけど、生理3日めくらいかなという感じ。ただ鮮やかな赤い血が出続けるので貧血は間違いなし。でも気持ち悪さ等なく、ごはんしっかり食べられる。朝から在宅で仕事をいろいろ片付ける。とりあえず出国までに急ぎでやらなきゃいけないことは終えて、夕方家を出て空港に向かう。そして今飛行機の中で、これを書いてる。
日本帰ってもリモートワークはしなきゃだけれど、とりあえず到着して、安心したい。そしておいしいもの食べて、休養しよう。

このような、これが一週間ですべて起こったことなの?と思うような日々でした。あまり普段そんな激動なことない、どちらかというと穏やかな生活だから、これが本当に私に起こっていることなんだろうか、という不思議なような感覚に何度か陥った。


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この期間、夫といろいろ話した。
夫は基本的に楽観的でポジティブな面を見るので、今回私が仕事と妊活含め、いろいろがんばったことを労ってくれた。「でもすべて無駄になってしまったよ」と言ったら、同じ経験をした人に会った時に優しくできるね、と言われた。
そうだけど、でもできたらしたくない経験だったよ、と私は言った。夫に対する甘えから、こういうことを言っちゃうけど、でも今はとことん甘えさせてもらう。
でも、とにかく今は日本に帰っておいしいもの食べよう、つわりで失った分しっかり栄養をとろう、回復したらどこか遠出もしよう、そのこと考えておくね、と言ってくれた。お酒ももう飲めちゃうしね、元気になったら飲もうと。
夫は本当に、私を元気づけるためになんでもしたいと考えてくれてる。
今は私が外で仕事して、夫は家にいるという人生のフェーズだから、その分、仕事しながら妊活もするという点で私の負担がめちゃ大きいということも疲れる気持ちになる一因だったけれど、その分、夫は常に100%私に対応できる立場にいて、私が家にいて夫と話したい時はいつも私に注意が向いていて、私を全力でなぐさめてくれて、もちろん家事はすべてやってくれるので、そういう体制で不妊治療ができたのはたぶんよかったことだと思う。

でも本当に、失ったものが大きい。
お金、時間、元気、つわりでとてもつらかった。そして流産の排出も、すごく痛かったし、たくさんの血が出たし、本当にきつい経験だった。損得で言うと、完全に損。
せっかくの海外駐在、不妊治療やつわりがなければもっと仕事がんばれただろうし、もっと国内旅行も楽しめたと思う。

無理にポジティブになろうとしたくないので、得たものなんてあるかな?とは思うものの、ただすべてのものごとは捉え方次第で違う見え方もあるので、良かったことがゼロではないのかもしれない。

「ある程度できることはやったという実感」は、あると思う。今後妊娠できるかできないかはおいておいて、妊娠にかかわることを一定期間とにかく頑張ったことは、私たちの中に残る。
そして、夫と一緒に困難を経験したことも、得たことなのかもしれない。まだ乗り越えたとは言えないけれど、付き合い〜結婚までまったくドラマや浮き沈みなく穏やかにきた私たちにとって、初めての困難だった。子どもがいないという点でその困難は続いている。でも、特に喧嘩とかしたりお互いを傷つけることなく、仲良く来られていて、それは実績というか、自信になっているかも。

夫も、この妊娠のことだけうまくいってないけど、これまですべてがうまくいってきたからね、こういうこともあるよね、と言っていた。

今後どうしていくかは本当にわからないし、まだ考えられる段階にもないけど、どうなったとしても、私たち次第なのよね。

いつか振り返る時のために、ここに記しておきます。

おわり

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