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平城宮跡から、足を延ばして くるみの木~不退寺~古墳群

 平城宮跡を自転車で流したあと、日没までなお時間があったため、もう少し寄り道をしていくことに。
 15時。お昼時をとっくに過ぎた、半端な時間帯……ならば、いつも行列ができているカフェ「くるみの木」はどうか。
 はたして読みは当たり、並ばずにあっさり入店することができた。悲願の初訪問。

すてきなたたずまい。こんな空間に、いずれは住んでみたい……暮らしの指針になりそうなお店だった

 古い倉庫をリノベーションした空間で、いちじくのタルトとティーソーダをいただいた。美味なり……
 同じ敷地内の生活雑貨店は定休日、グローサリーは売り切れだった。ショップが開いているときに、大人気のランチめざして再訪を試みたい。

萩の花咲く庭

 くるみの木でひと休みしながら、次なる針路を画策。休日は体力の続くかぎり、時間の許すかぎり動きまわるのが信条である。まずは、すぐ近くの古刹・不退寺に寄ってみることにした。8年ぶり2回め。

梢から覗く、不退寺の南門(鎌倉時代  重文)

 不退寺は、別名「業平寺」。平城上皇の「萱の御所」を受け継いだ孫・在原業平による創建とされる寺で、毎年5月28日には「業平忌」が開かれる。
 大通りからやや奥まったところにあり、ひっそりとした佇まい。春秋の特別公開期間に重なっていなかったため、拝観者はわたし1人だった。
 裏手に山を背負い、草むらに覆われた境内に「観光寺院」の形容はふさわしくない。大和古寺らしい風情が横溢するさまは、8年ごときのブランクではなんら変わらないのであった。
 受付をすませて、最初に通されるのは石棺の前。この点も、8年前と一緒だ。国道24号の建設のため消滅した近隣の古墳から移されたもの。

表面の凹凸は、鎌を研ぐのに使った跡だという

 このあたりは、古墳だらけ。不退寺が背負う裏山にも古墳がある。下の写真・本堂(室町時代  重文)の後ろにみえる茂みがそれで、その名も「不退寺裏山古墳」。

 お坊さんに、本堂を開けていただく。
 須弥壇の中央におわす本尊《聖観音菩薩立像》(平安時代  重文)。ツインのリボンのような側頭部の飾りと、おしろいに似た胡粉による彩色が魅力的な、在原業平の作と伝わるお像……といったことが観光ガイドには書かれているわけだが、これもだいぶ浪漫的な見方であって、リボンも白い彩色も後補で、業平とは残念ながら時代が合わない。
 しかし、この3つの要素が醸し出すイメージは、あまりにうまくマッチングする。伝説というのは、こうやって語り継がれていくのだろう。
 聖観音を護る《五大明王像》(平安時代、不動明王像のみ鎌倉時代  重文)は、奈良では稀少な密教の古像群。彼らも石棺と同じように、流転の末に不退寺へやってきたと思われる。

 本堂の東側、池に面して多宝塔(鎌倉時代  重文)が立っている。「塔」といっても、上層が失われた単層の建築。明治から大正にかけて、無住の期間が長かった不退寺。荒廃のほどが偲ばれる。

真言八祖を描く内陣の壁画は健在で、業平忌には開扉されると聞く
明治6年撮影の、在りし日の完全な姿の多宝塔がこちら

 前記のとおり、不退寺の周辺には大小含めて数多くの古墳がある。
 不退寺から国道24号のバイパスを渡ったあたりから、佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群が始まる。西に連なる分布は、平城京の北側を守り固める堤防のようだ。
 なかでも最大の前方後円墳が、ウワナベ古墳。下のマップからわかるように……ウワナベ古墳とその隣のコナベ古墳は、外周を自転車で走破することができる。これが、すこぶる気持ちよかった。

(参照:Googleマップ
古墳の鍵穴形をなぞるように、自転車で流した
ウワナベ古墳の南側、直線のあたり
この角度だと、前方後円墳らしく見えるだろうか? 左側が後円部
後円部。右側にくびれの箇所
コナベ古墳の南西側。暮らしのなかに古墳があるさまがおもしろいと思って、撮った一枚

 近隣の運動部の生徒さんたちが、向かい側から続々と走ってきた。彼らとは逆の向きを、のろのろ自転車で流すおじさんのわたし。古墳と融和して育っていく彼らのことを、とてもうらやましく思った。

 のろのろ運転をしばらく続けて、ふたたび平城宮跡へ、今度は北側から入場。
 朱雀門が見えてきた、俺の家も近い……


平城宮跡にて。空が広い



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