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美術展のレビューを書く 〜ウェブと作品リストの話

 某美術館で開催されていた展覧会のレビューを書きはじめようと思い、ウェブで下調べをしているが……情報が、どこにも見あたらない。
 7月に観てきた展示で、その翌日に会期は終了。さして遠い昔の話でもない。いったい、どうしたことだろう?

 過去の展覧会情報をウェブ上でどのように扱うかの判断は、館によってまちまちである。
 公式サイトのつくりにしてもそうで、「開催中の展覧会」のページ内で更新していく館もあれば、展覧会のたびに独立したページを作成してリンクを張っていく館もある。
 前者の場合、閉幕した展覧会の情報は「過去の展覧会」のページに移動されることになる。そっくりそのままの場合もあるし、内容をつづめたり、画像を減らすこともある。残すのは展覧会名と会期だけ、あるいはまったく残さないケースも。

 いま調べている某美術館は「内容をつづめたり……」の館にあたる。画像は全消去。展覧会名と会期、それに梗概だけが手短にアーカイブ化されている。
 この背景にはおそらく、著作権保護の観点や、図録・絵はがきなどのセールスへの配慮があると思われる。あとは、サーバを圧縮するとか? どんな事情にせよ、対応としてはよくある範囲内だろう。
 だが今回は、外部の複数のサイトに掲載された取材記事に関しても、公開が終了となっていた。会期中に確かに閲覧したはずだが、ページごとぽっかり消え失せているのである。記事投稿時のSNS告知はかろうじて残っていても、そこに記載されたアドレスはリンク切れ。
 ここまで管理が徹底されているのは珍しい。おそらく、事前にそういった取り決めがなされていたのだろう。こんな例もあるんだなぁ。
 会場の写真や当時のレビューを参考に展示を回顧できないのは残念ではあるが、それぞれの館に考えがあるだろうから、こればかりは致し方ない……

 公式サイトや取材記事を頼りにできない現在、手元に残されているのは、A4サイズのリーフレットと作品リスト、鑑賞時に鉛筆で記したメモ書きくらい。図録は刊行されているけれど、購入していなかった。
 これらを手がかりに、記憶をたぐりよせながら書いていくにあたって心強いのは、作品リストの存在だ。
 作品リストは、会場の雰囲気を後から思い返すには、けっしてあなどれない便利なツールだと思っている。考えようによっては、各種サイトや図録すら上回るほどに。
 リストの番号と展示順は順不同の場合もあるが、おおむねそのままで、再現性はそれなりに高い。会場の見取り図が載っていることもある。メモと併用すれば、さらに再現性は高まる。

  「図録のほうがいいのでは」という声もあるかもしれない。
 だけれど、図録を毎回購入するわけにはいかないし、図録は図録で、本としてふさわしいレイアウトや掲載順に整えられているから、実際の会場とはどこか違うなと感じることがわたしなどは多々ある。
 とくに、図版の色や見え方などは、実物とはやっぱり違う。図録を見すぎると、図録から受ける印象に引っ張られて、会場で受けた印象が知らず知らずのうちに上書きされてしまう。それは、作品解説や論考にしても同じである。作品を自分で観た・感じた、そこから得た感触こそを大事にしたいものだ。
 また、構成の面からしても、巡回展で共通の図録であれば似て非なる内容になっていることがある。そもそもが開幕前に制作されたもので、会場内の雰囲気をかならずしも再現してはいないのだともいえよう。
 もちろん、図録は作品図版を細部まで確認したり、作品解説や論考を読んで理解を深めたりといった用途には適している。ブックデザインに工夫を凝らした、美しい仕上げの図録も増えた。
 そんななかでも、作品リストの有用性は、もっと認められてよいのではとわたしは思っている。

 昨今では、作品リストのデータをウェブに上げてくれる館のほうが多数派といえど、会場配布のみとする館もまだまだある。そしてこの館のように、閉幕後に作品リストのデータを消去してしまうケースは案外多い。
 油断してリストを貰わずに帰宅したら、ウェブにデータがないと判明して後悔……といったことを、わたしはじっさいに何度か経験している。
 そんなこともあって、図録を買う買わないにかかわらず、展覧会を記録に残したい、記事にしたいと思ったら、かならず作品リストを持ち帰るようにしているのだ。

 作品リストとメモさえあれば、執筆は、じつはそんなに苦ではない。
 それは、会場で作品をよく観て、よく感じ、考え、さらにそれを忘れてしまわぬように、メモにこぼさず残しているからだ。
 作品リストの文字列は、会場に身を置いていたその時間を如実に甦らせてくれる。

 プレスリリース丸写しの記事を読んでも、つまらない。意味がない。

 ——常日頃からそんな思いをいだいていたからこそ、わたしはこのnoteをはじめたのだし、いまも同じ思いで書き継いでいる。
 作品リストとメモさえあれば、ウェブサイトが消えていようと、生成系AIだろうと、ちっとも怖くはないのである。
 さあ、書くぞ……


「八幡の藪知らず」の竹林(千葉県市川市)

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