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お遍路に行きたい

 4月は、新しいはじまりの月。美術館の展覧会だけでなく、いろいろなことがスタートする。
 より身近なところではテレビ番組がそうで、NHKの朝ドラも新しいものが放送開始となった。朝ドラはいつも自動予約していて、見逃しがないようにしている。たいていはリアルタイム視聴ができるから、結局、再生することなく録画を消してしまうのだけれども……

 朝ドラの新番組とともに、自動予約をめずらしく設定したのが、J:COMテレビで放送中の「四国 歩き遍路の旅」。
 空手の日本チャンピオンという細マッチョの男性が、40代に差しかかることを契機に歩き遍路を決意。その旅路に取材クルーが同行してカメラを回すという、いたってシンプルなつくりの30分番組で、ほぼ毎日放送されている。
 ナレーションは男性のモノローグ。語りのプロではないゆえ、ぼそぼそと聞き取りづらい(暴言)のだが、その素人くささがローカル番組らしくてまたよい。
 屈強な空手のチャンピオンにとっても、歩き遍路の道のりは、とても楽ちんそうにみえない。
 番組の最後にはその回に歩いた距離と、これまで踏破してきた距離がテロップで表示される。歩き遍路がいかに過酷なものか、数字においても痛感させられる形だ。

 しかしながら、過酷さ以上に、四国の人びとのあたたかさが画面越しにも深く感じられて、よいのだ。
 四国遍路を経験した誰もが、そのありがたみを異口同音に唱える。本や雑誌の類でそんな記述を読んでも、正直、いまひとつ実感として伝わってこなかったのだけれど……映像の力はすごいものだ。
 演出であったり、カメラの前だからという構えも、若干はあるのだろう。
 それでもわたしにとっては、出版物で見聞きしていたことの裏づけがとれたような気がして、なんだかとても得心がいってしまうのである。

 ――ほんとうは、それではいけない。
 努力をする人や、それをあたたかく迎える人々の映像を画面で観て、家のソファでひとり悦に入っているなんて、どうもわたしらしくない。
 体感しなければ……

 四国遍路へのあこがれがことさらに強まっていくなか、過去のアルバムをめくっていたら、新聞の切り抜きが出てきた。
 「遍路は努力の結晶、僕も進む」
 16歳の男の子の投書だ。
 要約すると……

 家族で車遍路をしたことがある。お大師様は車を使わず、整備されていない道を歩きとおした。究極の努力だ。僕は弓道をしているが、遍路にどこか似ている。その極致がとてつもなく遠いところにある点だろうか。遍路の長い歴史は、いろいろな人の努力の結晶だ。僕も進んでいきたい。

(朝日新聞2019年12月23日東京版より要約)

 自分が恥ずかしくなるくらい、立派だ。いまは大学生だろうか。きっと壮健な若者に育っていることであろう。
 この若者は、大学の長い夏休みを利用してまた四国へ足を運び、歩き遍路の旅へ出るのかもしれない。
 人生の余暇ともいうべきモラトリアムのうちに、わたしもそうしておけばよかった……といつも後悔しているけれど、まだ手遅れではないのかなとも、思わなくはない。

 ――そんなことを考えはじめる前に、とりあえず、「四国 歩き遍路の旅」の録画を視聴しなければ。もう10本分ほど、溜まってしまっている。こちらはあせらず急がず、ちびちびと……


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