見出し画像

【M-1グランプリ2020】2度目の黄金期と、存在しない2014年のM-1グランプリ

はじめに

先週放送された『M-1グランプリ2020』は、考えられうる最高の結末で幕を閉じました。

2010年に一度幕をおろしたものの2015年に再開されたM-1グランプリですが、私が渇望していた「あの頃のM-1」の面影はありませんでした。

それでもM-1は新しく歴史を刻みなおし、2019年には、番組外のスキャンダルではなく大会自体の内容だけで大きく盛り上がり、ひとつのピークを記録しました。

そして2020年のM-1は、これから迎える黄金期の最初の一歩になりました。私はすでに来年の盛り上がりを想像しています。

以下に書いた文章は、2015年から2020年までのM-1グランプリの振り返りです。そして2020年のことを語ろうと思って書き始めた私が最終的に到達したのは、2014年でした。

2020年のM-1グランプリ

「年末のお笑い番組」として完全に復活

最初に、あまり気にされたことのないデータを紹介したいと思います。それは「放送日」です。

2001年から2010年までのM-1は、どれもクリスマス近辺、つまり年末に放送されていました。

中学生だった自分にとって、クリスマスはプレゼントを貰える日でもありますが、M-1の日でもありました。

一方で2015年からのM-1の放送日は、次のようになっています。

- 2015年: 12月6日
- 2016年: 12月4日
- 2017年: 12月3日
- 2018年: 12月2日
- 2019年: 12月22日
- 2020年: 12月20日

ここから推測できることは、2015年時点はテレビ朝日もM-1を「視聴率がとれるか不安なコンテンツ」として見ていたであろうことです。

それが2018年の霜降り明星の優勝で盛り上がりを見せると、2019年にはとうとう放送日を年末に戻す勝負に出ました。これはミルクボーイの史上最高得点というカタルシスによって、見事成功を収めました。 

そして2020年、コロナ禍の影響で予定は狂ったでしょうが、それでもテレ朝は自信を持って決勝の放送日を20日に設定したことでしょう。

この2年間の成功で、番組側も確実に自信を取り戻したはずです。

おそらく2021年のM-1は、12月19日、いや12月26日に開かれると期待しています。

たとえ鬼滅の刃の視聴率が高かろうが、M-1は「年末にみんなが観ている番組」の地位をまた確立しました。

THE MANZAIと第2期のM-1グランプリ

2015年から振り返る前に、2001年まで一気に戻ります。

2010年までのM-1を「第1期」とすると、第1期のM-1でもっとも重要なことは、わたしたち視聴者が漫才を「批評」するようになったことです。

そしてこの「批評」のトレンドは、2011年から2014年までに開催されたTHE MANZAIによって少しずつ無効化されていきました。

このあたりの流れは、私が6年前に書いた「THE MANZAIはM-1を殺した―中川家から博多華丸・大吉まで」の通りです。

さて、2015年に再開したM-1グランプリですが、この年のM-1は名前こそ「M-1」でしたが、実態は「THE MANZAI」でした。

それはたとえば会場の反応ひとつとっても、笑い以外の反応が入っている(「へぇ〜」とか「おぉ〜」とか)時点で、第1期の緊張感はありませんでした。

さらに過去の優勝コンビから選ばれた審査員たちがみんな今田耕司の後輩であったことも、番組のカジュアル性を増幅させた要因のひとつです。

このときの優勝コンビがトレンディエンジェルであったことは、ほとんど答え合わせに近い結果でしょう。

2015年のM-1グランプリはピュアなお笑い番組として成功に終わり、同時に第1期のM-1グランプリが終わったことも示していました。

とても拙い文章ですが、拙ブログにそのときの感覚を記録しています。あまりオススメしませんが、興味があればどうぞ。

視聴者の「再教育」の必要性

2015年のM-1は、たった4年間のブランクにも関わらず、あたらしく歴史をつくり始めることになりました。

ここで重要なのは、視聴者も同じだったことです。自転車はブランクが空いても乗れますが、漫才の批評には「再教育」が必要でした。

2001年の私たち視聴者は、漫才を審査する審査員が抜かれたカットにサブリミナル的な影響を受け、自分たちも審査員に変化していきました。

視聴者はただ笑うだけでなく、漫才を観ながら審査員の点数を想像し、自身でも点数・評価をつける。漫才後に発表される審査員の点数とコメントは、単純なコンビのランク付けでなく、視聴者に対するフィードバックでもあります。

一方で2015年の私たち視聴者は、THE MANZAIの価値観を継いでいました。

THE MANZAIでいう「ワラテン」という「アハハと思ったらスマホをタップする」感覚をそのまま引き継いでいた、というと理解できるかもしれません。

そしてそれは決勝コンビの選出にも関連していました。視聴者だけでなく、準決勝までを担当した大会の審査員も、おそらくワラテンの感覚をある程度頭に入れたうえでコンビを選んだはずです。

2015年は過去の優勝コンビが審査員席に座りましたが、2016年からは松本人志が戻りました。

これはいま振り返ると、とても重要な転換点でした。M-1グランプリに権威性が戻りM-1が「批評されるもの」になったからです。

視聴者は再度、若い視聴者であれば新しく、笑うだけでない特別な空間としてのM-1というものをインストールしました。

「これは漫才か?」という議論は、2015,6年であれば起きなかったでしょう(あるいは局所的に留まっていた)。2020年だからこそ起きたトレンドだと言えます。

昨年の最高点数、そして世間の盛り上がりは、ミルクボーイが一発で完成形を見せたことだけが理由ではなく、4年間で土壌を形成したことも影響したと見ています。

ちなみにふざけた例えに聞こえますが、2015年を2001年とすれば、2019年は2005年です。
2005年のブラックマヨネーズと2019年のミルクボーイの爆発は、わりと笑い飛ばせないぐらいには似ていると思います。

M-1の攻略法

というわけで、やっと2020年です。

しかし2020年はあくまで2019年のピークをそのまま引き継いでM-1を「黄金期」とした年であり、なにか歴史を変えるようなものではありませんでした。

なので大会を俯瞰するのではなく、すこし漫才の内容に入ってみようと思います。

さきほど取り上げた「これは漫才か?」というテーマはさほど注目すべきことではありませんが、「M-1で勝てる漫才とは?」というテーマは興味深くなりました。マヂカルラブリーの優勝によって一気に揺さぶりをかけられたからです。

たとえば第1期の終盤のM-1には「手数論」が流行りました。

2010年のM-1はアンチ手数論としてのスリムクラブが旋風を巻き起こしたぐらいです。

2015年以降のM-1はそのトレンドを引き継ぎませんでしたが、M-1の批評が再度トレンドになりつつある今年をはさんで、「M-1の攻略法」がまた作られる気配が出てきたように感じました。

たとえば当てずっぽうですけど手数論を昇華したネタが増えてくる可能性があります。言い換えれば「ボケの数に関係なく、ずっと笑わせて爆発もする漫才」という戦略があることを2010年代のコンビは気づいていることでしょう。

なんにせよ、第1期に想定されていた「M-1で勝てる漫才」とはまた違う、異なるタイプの漫才が次のトレンドをつくる未来を想像します。

M-1の多様性

もうひとつ。今回の決勝の投票がマヂカルラブリーに集中しなかったところ。ここが番組のハイライトだったと思います。

正直に言って、最終決戦の空気は完全にマヂカルラブリーの圧勝でした。マヂカルラブリーの2本目の段階で「あ、マヂラブ勝ったな」と思った(とくに昔からM-1を見ている)視聴者は多かったはずです。

しかしマヂカルラブリーに入れなかった審査員がいました。この絶妙なバランスを生み出した7名の審査員が、今年の裏MVPです。

「マヂカルラブリーに入れなかったから偉い」とか「入れたから偉い」とかではありません。会場とネットの空気を読み(審査員はあのときTwitterこそ開きませんでしたが、当然Twitterのタイムラインを内面化していたことでしょう。上沼恵美子を除く)、披露された漫才を自身の価値観と照らし合わして票を投じ、優勝したコンビを心から祝福したこと。

「そんなことで」と言われるかもしれませんが、票が割れた瞬間に大きな感動がありました。恥ずかしながら、いまの日本に対する小さな反抗に見えたからかもしれません。

2014年のM-1グランプリ

というわけで「2020年のM-1の感想を書こう」と思って書きはじましたが、これからが個人的な本題です。

2020年のM-1には出場しなかった和牛について、私の書きたいことを書かせてください。過去のブログを読んでないと、単なるポエムに見えるかもしれません(笑)。

私にとって和牛は、M-1の価値観がリセットされてから再教育されるまでの、その隙間にいたコンビでした。

和牛はM-1の申し子でありながら、彼らの全盛期には「M-1」は存在しませんでした。

私がいつも思い出すのは、5年連続出場したM-1のどれでもなく、2014年のTHE MANZAIです。

軽犯罪かな? まあいっか。見れるうちに見ましょう。

「頑張っていきましょう、ゆうてますけど」という川西に対し、「頑張っていきましょう、って言ってなかったよ」と難癖をつける水田。

まだ観たことのないテーマのしゃべくりで、後半で爆発もある。これは完全にM-1向けのフォーマットの漫才でした。

しかし彼らは同組の博多華丸・大吉の前に敗北します。

M-1が「殺された」瞬間、和牛はもっとも近い場所にいました。

その後和牛は、2015年のM-1に出場するも6位、2016年は敗者復活組として出場して準優勝となります。

そして2017年。和牛は(M-1的な)ピークを記録しました。

予選の「ウエディングプランナー」、決勝の「旅館の女将」は、それぞれ伏線を気持ちよく回収する漫才であり、さらに2人の演技力も抜群でした。

しかしそれでも彼らは優勝できませんでした(ちなみに上沼、松本、巨人が和牛に入れ、春風亭小朝、博多大吉、中川家礼二、渡辺正行がとろサーモンに投票)。

2018年。和牛はピークを必死で保ちます。

予選の「ゾンビ」は、ボーイズラブを漫才コントに昇華した完成形のひとつであり、優勝するポテンシャルは十分にあったと思います。

しかしこの年も、霜降り明星の突出したスター性の前に、またもや準優勝となります。

そして2019年。私の感覚では、彼らの(M-1的な)ピークは終焉を迎えていました。

最終組のぺこぱが和牛を抜いて3位となり、3連続準優勝だった和牛は4位で最後のM-1を去りました。

ぺこぱが追い抜いた瞬間、番組の盛り上がりは最高潮に達し、私も大声を出しました。そしてそのすぐあと和牛のことを思い、心のなかで冷酷に別れを告げたことをよく覚えています。

M-1が輝かしく「生き返った」瞬間、和牛はその場にはいませんでした。

そして2020年。和牛はM-1から卒業しました。

おわりに

2020年のM-1グランプリは、私のような昔からのM-1ファンも、おそらくもっと若い年齢のお笑い好きも、みんなが満足する大会になりました。

この成功をもとに、来年のM-1はさらに「攻める」ことができます。期待も込めて書きますが、来年のM-1はめちゃくちゃ面白いメンツが並ぶはずです。

そして来年のM-1が面白くなるほど、私はM-1が凍結されていた頃を思い出すでしょう。

もしM-1が2010年に終わらず、あのまま続いていたら。

もし「2014年のM-1グランプリ」が存在して、和牛が番組後半で登場していたら。

彼らはトロフィーを受け取れていたでしょうか。その年も松本人志の投票がまた外れ、準優勝だったでしょうか。

そのほか

上記は章立てをきちんとして連載にしようかとも思いましたが、そこまでの熱量はなかったので、雑ですがひとつにまとめました。

ついでに上記と関係ない話も書いておきます。

ひとつはニューヨークです。

私は準決勝をストリーミングで観て、腹を抱えて笑っていました。しかし決勝で同じネタを観たとき、テレビを通しただけなのに、わずかでも彼らのネタを急に笑いづらくなったことを感じ取りました。

2020年に「コンプライアンス」について考えるなんてダサいでしょうか。しかしそれぐらいに私たちはコンプライアンスに支配されています。

ニューヨークのネタの序盤で「イッキ飲み」が出たとき、いや、出るだろうなと推測しはじめた段階から。私の頭の中の一部を「光本勇介」という単語が占めてしまいました。そしてこの言葉を追い出したときには、もうネタは終わって採点に入っていました。

ニューヨークのネタは、たしかに。後半の大きな転換が足りない面もあったかもしれません。

しかしそれに加えて、コンプライアンスに打ち勝つことができなかった。彼らの挑戦を100%支持しつつ、それでも圧倒的な壁になっているコンプライアンスについて。まだまだ考え続けないといけないと知りました。

そして最後に、一番楽しい時間である「面白かったネタ」の紹介を。批評なんてせずにこれだけ書いてるほうが絶対に楽しいですよね。

涙を流して笑ったのは、2回戦でスーパーニュウニュウがやっていた「ヨガ」のネタ。もう一度見て大笑いしたかったんですが、残念ながらもう見れなそうでした。

ここ数年ずっと「決勝で見たい!」と思っているのはストレッチーズ。今年も面白かったです。M-1の動画はなくなりましたが、彼らの公式チャンネルで観ることができます。

ちなみに本当に彼らの決勝進出を祈ったのは2年前。

2018年のM-1グランプリの決勝にストレッチーズが出れなかったとき、ちょっとだけ「ふざけんなよM-1」と思ってしまいました(笑)。

「準決勝に出てほしかったな」と思ったのは、黒帯とぎょうぶとダイヤモンド。

今年はコロナ禍の影響もあり、2回戦の動画を全部見れるというバラエティ好きにとっては最高の環境でした。

来年も2回戦の動画が見れたらいいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?