項羽と劉邦。垓下の歌、烏江亭に題す

宮城谷昌光さん「劉邦」読了。

秦の始皇帝と、その死後二世皇帝を傀儡とした宦官趙高の暴政に悩んだ民衆の不満は噴き出し始める。若い頃の評判は良いとは言えなかった劉邦だったが不思議と人望を集めていて、泗水の亭長となり、少しずつ反秦の渦の中で仲間を増やしながら名を上げていく。

中国古代史でも有名な漢の高祖「劉邦」と覇王「項羽」。個人の能力は決して大きくなかったが人に慕われ使うことにも優れ、確実に力をつけていく劉邦と、自らの武力の高さゆえに人を上手く使えず慕われず、ある意味孤独な項羽。これだけ対比のはっきりした二人のせめぎ合いは読んでて面白かった。

陳勝・呉広の乱、劉邦関中入り、鴻門の会、楚漢戦争から垓下の戦いまで、文庫三巻分でたっぷり描かれているが、クライマックスの場面である四面楚歌、そして有名な「垓下の歌」と、項羽の最期が何か日本人の心の琴線に触れる。哀愁と言うのだろうか、グッとくるものがある。

「垓下の歌」 項籍

力山を抜き 気世を蓋ふ

時に利あらず 騅逝かず

騅の逝かざる 奈何すべき

虞や虞や 若を奈何せん

「我が力は山をも動かし、気迫は世を覆いつくすほどであったが、天は我に味方せず、愛馬の騅も進まなくなった。騅が進まないのに一体どうしたらいいのだろうか、虞よ、虞よ、そなたの身をいかにすべきなのだろうか」

この後、虞美人に関しては色んな説があるけど、作中では自刃。項羽は僅かな配下を連れて南に走り烏江までたどり着く。烏江の亭長に江を渡る事を促された時、項羽は「私が江東から多くの子弟を連れて発ったが、今は一人として帰る者がいない。確かに帰れば迎えてくれようが何の面目があろう、天が私を滅ぼすのだ、渡る事は出来ない」。このようなことを言い漢軍を迎え撃つ。後の世、唐末期の詩人「杜牧」は烏江亭を訪れた際に項羽を偲んで詠んだ

「烏江亭に題す」 杜牧

勝敗は兵家も 事期せず

羞を包み恥を忍ぶは 是れ男兒

江東の子弟 才俊多し

巻土重來 未だ知る可からず

「戦いの行方は兵家(戦略家)でも容易には予測できない。例え負けても恥辱に耐え再起を図ってこそ真の男子といえる。江東の若者達には優れた者が多いであろう、力を蓄え土煙を巻き上げるような勢いで出直していたらどうなっていたかは分からないのに」

しかし、項羽はそれが出来なかった。劉邦は何度も負けたがその都度立ちあがったからこそ最後に漢王朝を開く事が出来たのかもしれない

古代中国歴史物には沢山の名前が出てきて、読み方を忘れたり覚えたりするのが大変だが、この「劉邦」の元に参じる張良や蕭何、曹参、樊噲、夏侯嬰、盧綰をはじめ多くの配下たち。項羽の軍師といえる范増と劉邦の危機を救う項伯。韓信、張耳、黥布、彭越と魅力的な人物が描かれていて歴史好きには大満足なお話でした。

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