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北条早雲

富樫倫太郎さん「北条早雲」を読みました。

「青雲飛翔篇」「悪人覚醒篇」「相模侵攻篇」「明鏡止水篇」「疾風怒濤篇」の五巻です。

北条早雲とは後世に呼ばれた名で、生前は「伊勢宗瑞」と名乗っていました。号が早雲庵宗瑞、子の氏綱から北条の姓を名乗り始めた事から、一般に北条早雲と呼ばれるようになっています。

ひと昔前だと、「北条早雲は素性の良くわからない、もしくは身分の低い人が下剋上で戦国大名に成り上がっていった」、なんて話の印象だったけど、現在では室町幕府の中枢に位置する伊勢氏の中の備中に所領を持つ支流で生まれたのが定説となっています。


通称は新九郎。備中荏原荘で生まれた新九郎は学問に目覚めたり友を得た後に京に出て幕府の下級役人になる。そこでも出世には興味がなく学問に励むのだが、応仁の乱による荒廃をまざまざと見て呆然とします。当時の悲惨な民の暮らしに新九郎は大いに悩みます。その上最初の妻子にも先立たれ死人のように彷徨ってしまう。どうしたらこの世の中を変えることが出来るのか。そんな時、姉が嫁ぐ駿河今川家に問題が発生。新九郎が幕府取次として下向することになり、そこから目の前の道が少しずつ広がっていく。自分に出来ることがあるのではないか、と


とにかく読みやすい。読んでてスイスイと進みます。中盤からはいよいよ伊豆に移りメキメキと頭角を現していきます。彼の中にあるものは「まずは民」。当時は重い年貢と戦乱による人買いや逃散、それに伴う土地の荒廃をどう解決するのか、その答えを見つけていきます。しかしそれは明らかに他の支配者とは違います。合いません。利権を奪われたくない者たちと争う事になります。関東に覇を唱える北条氏(後北条)はここから始まっていきます。前半の雌伏の時を経て伊豆平定から箱根を越え小田原へ。知略者早雲の快進撃は痛快でした。

以前読んだ、火坂雅志さん・伊東潤さん共作の「北条五代」も面白かったので改めて早雲のお話を選んでみたのですが、良かったです。早雲寺殿二十一箇条という北条氏の家訓がありますが当時の支配層の中でこういう自らを律する家訓というのはどれくらいあったのでしょうか。早雲はかなり進んだ政策を行っていたのかも知れません。面白かった。今大河でやってる北条氏とは異なりますのでご注意。

早雲寺殿二十一箇条




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