城巡り旅行(その二)
その一に続いて二日目の旅程を記します。
一日目の宿泊を静岡県三島市で済ませ、バスで箱根方面へ。この日は天候が悪く朝は小雨、天気予報を見ながらあらかじめ決めていた予定を変更しました。
芦ノ湖、箱根神社と箱根関所跡
小雨の後に回復する予報だったので、山城巡りを後にして一気に元箱根港に着き、箱根神社へ。
箱根神社参拝時まで雨でしたが、次に向けて歩く頃には雨も上がり始めます。芦ノ湖の湖岸を歩きながらバス停へ。晴れていたら富士山が見えていたはず。
箱根に関所が設けられたのは中世以前からだったようですが、イメージするのは江戸時代でしょうか。「入り鉄砲に出女」は聞いた事があります。江戸に入る鉄砲(江戸の治安維持)と江戸から出る女性(江戸にいる藩主に関わる帰藩が許されない妻女など、いわゆる人質)を監視していました。もちろん犯罪者などの逃亡も防ぐ関でもあります。明治時代に廃止されましたが、平成に復元事業が起こり今に至ります。
資料館を拝見したあと、いよいよ最後の目的地へバスに乗ります。
最後に今回の旅で一番期待していたお城「山中城」。芦ノ湖から三島方面に下る途中にあります。雨も上がり何とか城跡を回れて良かった。
山中城
戦国時代、北条氏(現在大河ドラマで放映されている北条氏ではない)が築いた城。小田原城の支城になる。前記(その一)でも触れた豊臣秀吉の小田原征伐時、西からくる軍勢を防ぐために整備増築が行われたが、完成を待たず豊臣4~6万の軍勢に総攻撃を受け半日で落城した。しかし豊臣軍もかなりの戦死者を出したのでお城の防御力も中々のものだったと思われる。
山中城には戦国期の北条氏に見られる特徴があり、よく保存整備されています。それは堀を仕切った「畝掘」「障子堀」です。ただの堀ではなく、仕切っているので堀底の移動が困難になり、上から狙い撃たれても自由に逃げ辛い(守備側の攻撃も的を絞れる)。ちなみに写真では仕切や堀の深さはそうでもないように見えるが、当時の仕切上は人が一人しか歩けない狭さだし、堀はもっと深かった。とにかくこれは見てて本当に美しい。来た時期も良かった。唯一の心残りはここでも晴れていたら富士山が望めたのだが、残念でした。
ここからいったん下りて南側の城跡に向かいます。
これにて山中城巡りは終了。山中城は当時の東海道を取り込んで築かれていました。岱崎出丸入口から整備された「箱根旧街道」が伸びていて歩けます。
以上で今回の小田原、箱根の旅を終わります。実はもう一か所行きたかった所があったのですが、二日間の歩き詰めで足がもう限界なのと、帰りの時間が気になったので断念。また伊豆方面や静岡駿府など行く機会があると思う(思いたい)ので次回企画したい。しかし、平地だけならここまで足にくることはないのだけど、小田原総構(小田原駅北西方面)も高低差があり、石垣山城見学後の結構急な下り、山中城も起伏がある。運動不足からのいきなりハードな歩きはきつかった。
実はここ二年間遠出する事が出来ず、お城巡りに対する情熱に陰りが見えそうになっていた。実際旅行に出る一週間前ぐらいから状況も考えてキャンセルも頭に浮かんでた(天気予報もイマイチだったし)。しかしやはり行って良かった。航空機や新幹線など使うような遠出のお城巡りは1~2年に一度しか出来ないが、また考えたい。プラン考えるのがまた楽しいのです。ありがとうございました。
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