先日、家が結構な時間停電になった。すこし前まで諸般の事情で絶対に停電にならない地域に住んでいたので、実は数時間単位で停電を経験するのは少なくとも自我のある年齢になってからは初めてのことだった。


その日は、家でラジオを聴きながらTwitterをやっていたら突然バーン!って電気が消えた。ブレーカーが落ちたのだと最初は思ったけど、どうやら違うらしい。スマホも電波が全然来なくなった。WiFiもモバイル通信もダメなのでもちろんTwitterその他が見れない。家族がロウソクと懐中電灯とラジオを持ってきてとりあえずリビングに集まった。ラジオによれば雷が送電所に落ちたらしい。じゃあ復旧にはしばらくかかるかもねなんて話しながら、暑すぎるから窓全部開けて、溶けるからってアイス食べて、1時間ちょっと?でモバイル通信は使えるようになって、Twitterの友達に電話して🥲って呼びかけたら優しい友達がいいよって言ってくれたから電話してもらった。普通に色んなお笑いの話をしてめっちゃ楽しくて、ゲラゲラ笑ってるうちに電気が戻った。

電話してくれた友達にはありがとう!ってもちろん伝えたんだけど、きっと彼女が思ってる以上に、2時間もただ電話してくれたことに対して私は感謝してる。家族がいる家にいて、スマホが使えて、なんとか外界と繋がる手段があって、お話してくれる優しい友達がいて本当に良かった。後から思えば大したことでも無いのかもしれないけど、いつ戻るかも分からない暑い暗闇でじっとしているのって私の性格も考慮するとかなりかなりしんどい。電話してくれて、本当にありがとう。

この経験は、いつ災害や緊急事態が起こるか分からないんだぞ忘れるな!って思い知らせるためにあったんだろうと思う。緊急事態なんて2年目にもなれば日常のような意識になってしまっていたから。そして同時に、もしこんな感じで突然"何か"が起こってしまったときに、私はTwitterの仲良し達にどうにかなってしまったことを伝える手段を"自分が連絡する"以外に持ってないことに気づいて、すごく悲しくなってしまった。私が死んでも親はハンドルネームの彼女らに連絡してはくれない。現場に行けばいくらでも会えるのに、現場関係なくお出かけすることやお家で遊ぶことだってあるのに、本名の私の異常事態が正確に彼女らに伝わることはないんだ。

こんな思考って大げさかな。でもさ、私はさ、同じような雷が自分の100mくらい先に落ちて同い年の子が(結果的に)亡くなった現場に居合わせた()ことがあるよ。学校のグラウンドで、周りよりほんの少し高いマウンドに立ってたってだけの男の子。部活を終わらせて防弾ネットの向こうで帰宅していた私。落雷事故で死ぬ確率って宝くじ1等が当たる確率より低いって言うけど、少なくともその確率が0でないことを私は確実に知ってる。雷を異常に怖がるということはなくとも、近くに落ちたような音を聞くとあの男の子のことが意識にふとチラつくのだ。


物騒な話になってしまったけど、自分がいつ今みたいな生活ができなくなるか分からないから今を楽しむためにできることは引き続き全力でやっていきましょうってことですね。周囲の環境の変化で、私もだいぶ自分のために全力を尽くして動くことの意義を覚えてきた。本来は向いてないとは思う。それでも楽しい。楽しいと思っていたい。自分の力で変えられるところは自分の手の届く所までだけど、自分の手の届く所も変えられないようじゃその先なんて動かせない。限られたことしかできない自分なりに、楽しいと思える土壌を整えていこう。ビリビリくるような夏にします。


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