9/4(多分)

雨は嫌いだ。

私は靴下が濡れるのが嫌いランキングトップ5に入るくらい嫌い(マルコ・ディアスと同じですね)だし、必ず傘を失くすから。先月だけで5本くらいどっかにやりました。折りたたみの日傘も電車に置いてきたからもう終わり。1万円のフリフリ日傘を差す女にはなれません。そんな私がたどり着いた最強の傘は、3coinsのビニール傘330円。ビニール傘だけど他とは区別できるシンプルなデザイン、低身長女には申し分ないサイズ、そして何より失くしても後腐れない価格。池袋の3coinsの在庫枯らすくらい買ってる。それより忘れない努力をしてほしい。


人へのプレゼントを考えるのは好きだ。

誕生日やお祝いごとなんかで、相手が好きそうなものや相手の生活に寄り添えそうなもの、その人のイメージカラーなどを考えながらZOZOTOWNや百貨店をうろつく時間がたまらなく好き。いつかのnoteにもライブを見ているときの感情として書いた気がするけど、「自分の思考が他者への肯定的な感情や思慮のみに向いている」という状況は、絶対的に"善い"と思える。よくない私がよいと思える数少ない瞬間。もちろん相手のために選んでいるのだから、相手が喜んでくれるのが1番嬉しい。意識外の他人への興味はないけど、大事だと思う相手に対しては何かしらのプラスを与えられる人間でありたいです。今のところプラスの影響よりマイナスの影響の方がデカいと思うのでしんどい。よい人にとってよい人になりたい。要努力案件ですね。


なんてnoteを書いている間に、何度目かのとんでもミスをしてしまい、友達も巻き込んで走って、また自分が嫌いになった。

清く正しく生きたい。大学生になった辺りから、今まで「勉強がちょっとできる」とかで有耶無耶になっていた自分の至らないところが明るみになって生活を歪めだして、ずっと泥に半身を埋めているような気持ちになっている。ハウルの動く城でハウルが自分の"美しくない"オレンジ髪にショックを受けて緑のドロドロを出すシーンがあるけど、あの感じです。イメージとしては。他人から見たらどうでもいいのかもしれないことも自分にとっては重大で、それに異様に落ち込んでぬかるんでしまう感じ。みんな当たり前に真面目に生きていることに間違いはなくて、自分の信条に従って走っていて、私もそうしたい、そうありたいと思って行動はしているけど能力や意識が及ばずにできていないことが多すぎるし、そのくせ誠実でもない。人間的な面白みもない。そう思い知らされる細々とした出来事があまりにも多くて、だからダメなんだ…ごめんなさい…人に迷惑しかかけてないし不快な存在だ…といちいち思っては気持ちが次々と堆積していっている。私の存在消したいってのは自分が1番思ってるから安心してね。私が当たり前を当たり前にできないことに頭を悩ませている時間で、周りの人々はもっと有意義な活動をしている、と思うとかなりしんどい。嫉妬とはちょっと違います。あくまでも内省的・自虐的な感情なので。ただその眼差しや吐露が嫉妬じみて感じられる場合は大いにあると思います。申し訳ない。私はとにかくキモイのだ。その自覚は人一倍あるつもり。

とかく「生きる理由」の大義名分として、お笑いを追うことを据えている。私は私が面白いと思う人達のことが大好きだし、大好きでもっと人柄を知りたいと思う人達のことを追っている。「生きる理由」なんて激重感情を直接ご本人達にぶつけるつもりは毛頭ないけど、私は私で勝手にたくさん見て大声で笑って救われた気になって、そしてまたたくさん見るためにたくさんたくさん悩む。そういう生活を今はそれで良しとしている。ずっとは続かない毎日を、ハムスターが回し車を走るように必死にその場で続けている。止まったら遠心力でぐるんぐるんになってしまうことを知っているから。愚かしいかな。思考停止とも言えるかも。

 私のファンのし方は正しくないんだと思う。みんなどうやって正解(?)を学んできたんですか?実はこうでした、って後から知ることが私の人生では多すぎる。ごめんなさい。もうちょっと上手くやりたいです。



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