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シン・長田を彩るプレイヤー  ~商店街を見守り続ける番台さん~(前編)

今回は、昭和7年創業の老舗銭湯「扇港湯(せんこうゆ)」で番台を務める、綿貫 茂子(わたぬき しげこ)さんを取材しました。扇港湯は、神戸の港町の夜景を描いたモザイクタイルや昔ながらの番台が残る、レトロな銭湯です。
前編では、綿貫さんが番台を務めることになったきっかけや、扇港湯のこだわりについて伺いました。


保育士から番台へ

―記者―
まず自己紹介と簡単な経歴を教えていただけますか?

―綿貫さん―
綿貫茂子と申します。今年で84歳になります。
元々は田舎で保育士をしてたんやけど、昭和37年に今の主人と結婚して、ここの番台になりました。
8月に結婚見合いをして、それで11月に結婚してるんです。

―記者―
保育士から番台ですか!
全然違う職業ですね。

―綿貫さん―
番台はここのおじいさんが亡くなって、代わりの人がいないからって嫁いで1ヶ月半ぐらいですぐ始めたんです。
何をしたらいいか全然わからへんまま始めました。

―記者―
番台をするというのは予想外の出来事でしたか?

―綿貫さん―
息子が跡取りやから、結婚したら番台を手伝ってほしいていうのが条件だったんです。
私は田舎のお寺の生まれ育ちでね、本当はお寺に嫁に行くという話もあったんですよ。
ところが母親に突然、見合いをしてみいひんかって当日の朝に言われて。
急やし、年も離れてるしちょっとなあと思ったんやけど、田舎には蛇がおるし、雪も降るでしょ。
私、雪と蛇が嫌いやから神戸でもええかなと思って(笑)
それからトントン拍子に話が進んで、結婚しました。

―記者―
すごい、激動ですね。

浴槽から眺める神戸の夜景

―記者―
扇港湯さんにはいろいろな特徴がありますが、まずメディアでもよく取り上げられている、浴室のモザイクタイルについて教えていただけますか?

―綿貫さん―
これは1963年に店を改装するときに、ちょうどポートタワーが完成する年やし、これを記念にしたらどうって私が言ったんです。

―記者―
お母さんのご提案だったんですね。

―綿貫さん―
そうなんです。ポートタワーが開業50周年になったころから、段々と人が来てくれるようになりました。
神戸フィルムオフィスから、映画「クローズ」の撮影をさせてほしいという依頼もあって。
それで1日貸切で撮影してもらったんです。
それから牛乳石鹸の赤箱のコマーシャルとか、いろんな会社の人が撮影させてほしいって来るようになって、徐々に人気が出てきました。

―記者―
ポートタワーの壁画にしようって言ったときに、他の案や反対はありませんでしたか?

―綿貫さん―
昔は富士山とかの絵がよくあったんやけど、だんだん時代も変わってくるしね。
それやと何の面白みもないし(笑)
主人と義母と私と3人で、ポートタワーにしようって決めました。

―記者―
このポートタワーは女湯の方からしか見えないんですね。

―綿貫さん―
そうそう、男性のお客さんに「女湯の方ばっかりポートタワーが見えるけど、僕らも見たいから交代にしてほしい」と言われて。
それはしてあげたいけど、うちは赤ちゃんが多かったからベビーベッドが置いてあって、それを移動しないとだめでしょう。
男湯の脱衣所は狭いからそれはできないって言ってたんです。

歴史ある銭湯のシンボル

―記者―
ベビーベッドがある銭湯って珍しいと思うのですが、昔はお子さんを連れてくる人が多かったんですか?

―綿貫さん―
今から3、40年も昔は子供が多くて、赤ちゃんもたくさん来てたんですよ。
ベッドが10人分必要なくらい。
当時はパートの人たちが3人来てくれていました。
お母さんが赤ちゃんをお風呂から上げてきたら、パートさんが赤ちゃんの服を着せて、その間にお母さんがお風呂に入って洗う。
そういう風にしていました。

―記者―
今でもベビーベッドを使う人はいらっしゃいますか?

―綿貫さん―
今はいないですね。赤ちゃんもそんなにおりません(笑)

―記者―
扇港湯では洗い槽*も有名ですよね?
*湯船につかる前に、かかり湯をするためのお湯を汲む場所。

―綿貫さん―
40年ぐらい昔はね、そこに長田港って船着場があって、船に乗ってくる人がここで風呂に入って、商店街の飲み屋に行くというコースだったんですよ。

―記者―
すごく賑わってたんですね。

―綿貫さん―
そうそう。それでお客さんがあんまり多いから回転が悪くて。
ここを改装するときに洗い槽を作ったんです。
そしたら気に入っていただいてね。

―記者―
時代の変化に合わせて変えていったってことですね。

―綿貫さん―
でもしばらく経って、もうこれを潰そうかなと思ったら、銭湯に詳しい利用者の方に「レトロの風呂が良くなってきますから、潰さないでください」って言われて。
「これはもう関西でも扇港湯が一番大きい洗い槽やから置いといて」って。
うちの洗い槽は10人は座れるからね。

―記者―
もう神戸でも3軒くらいしか残ってないんですよね。

―綿貫さん―
今は滅多に見かけないから、どうやって使うか知らない人も多いね。

地域に愛される銭湯

―記者―
そこにマッサージ機が置いてありますが、こういうレトロなものもあえて残しているんですか?

―綿貫さん―
あえてというわけではないけど、このマッサージ機はもう何十年も使ってます。
昔の方がよく効くんですよ。
これ10円で動くんです。

―記者―
今でも使ってる人が結構いらっしゃるんですか?

―綿貫さん―
いらっしゃいますよ。
みなさん好みがあるんですよね。
1番奥の方はものすごくきついんですよ。
手前のは緩やかで、新聞読んだりしながら使ってる人もいらっしゃいますね。
昔はゴム会社で働いてる針子さんとかがね、よく肩が凝るって言って来てくださってたんです。
それでマッサージ機を置いてたら、みんなよく使ってくださって。

―記者―
お客さんのそういう声を拾ってマッサージ機を置いてたんですね。
地元に愛される所以ですね。

お客様に寄り添ったサービス

―記者―
お客さんはどんな方が来られますか?

―綿貫さん―
子供たちがサッカーの試合でこのあたりに来てね、その時にうちの風呂に入ってくれるんです。
男の子が「いつもありがとうございます」って挨拶してくれて。
それでお菓子とみかんとジュースを持って帰ってもらうんです。

―記者―
子供たちにも利用されているんですね。親子で来られるんですか?

―綿貫さん―
そうそう、日曜日とかサッカーの練習があるでしょ。
そしたらお母さんと一緒に来てくれるんですよ。
それは嬉しいねやっぱり。

―記者―
地域の人に愛されてますね。
そういうのがもっと増えたらいいですよね。

―記者―
他にはどんな方が来られますか?

―綿貫さん―
案外一見さんも入ってくれはるね。
タオルと石鹸は無料で貸してるから、手ぶらで来れるって喜んでいただけます。
昔よく来てた船員さんたちは、手ぶらで来ることが多かったから、その頃からタオルや石鹸を無料で貸してたんです。
それからロッカーの1番下の段は貸ロッカーにしていて。
遠くから来てくれる人や、毎日来るけど荷物持ってくるのは重たいしっていう人たちがね、置いて帰ってるんです。
それで鍵があそこにぶら下がってるでしょ。


―記者―
いつも見てると、お母さんはお客さんの顔を見てその人の鍵を出してますよね。
よく覚えてますよね。

―綿貫さん―
それが歳いったら覚えるのが大変でね(笑)
大体毎日来る人はね、もう名前書いてあるからね。

―記者―
ちゃんと覚えてその人に渡して。

―綿貫さん―
覚えきれないけど、やっぱりお客さん大勢来てほしいね。
なかなか思いつかないけど、どうしたらお客さんが来てくれるかっていうのはよく考えてます。
今は親子割引っていうサービスをしてて、親子で来たら子供は無料、大人は半額にしてるんです。
これは結構お得やから親子さんもよく来てくれるんです。
家で風呂に入るよりここに来た方が安いしね。
私たちとしても嬉しいです。

―記者―
いろんなサービスを考えたり、工夫されているんですね。

―綿貫さん―
なんてったって商店街ですからね。
やっぱり大勢の人に来てもらいたいでしょ。

だからできることはさしていただいてます。


前編では、保育士から番台を務めることになった経緯や、タイル壁画やベビーベッド、洗い槽など、特徴的なお店のこだわりについてお伺いしました。
昔も今もお客様の声に耳を傾け、お店のサービスに取り入れていく姿から、扇港湯が愛される理由が分かったような気がします。
後編では、長田・商店街に対する思いや、これからの扇港湯についてお伺いします。

(編集:ほーちゃん・みむ)