【長田区地域づくり活動助成】みんなが「自分の」と思えるまちに、多様性がもたらす力を長田から
【団体名】神戸コリア生活資料館設置準備の会
今回は、長田に初となる在日コリアンの生活資料館(以下生活資料館と記述します。2024年秋に「神戸在日コリアンくらしとことばのミュージアム」という正式名称で開館予定)を設置するため写真や物などの資料を集め、まちの財産を残すための活動に奮闘する団体の副代表の落合知子さん、顧問の金信鏞(キムシニョン)さんにお話しを伺いました。
【在日コリアンの歴史、後世にまちの財産として残していくために】
-記者-
では早速始めさせていただきます、よろしくお願いいたします。まず生活資料館を設置しようと思われたきっかけを教えていただけますか。
-信鏞さん-
長田で30年ぐらい地域の在日コリアンの子どもたちに関わる取り組みをしてきました。その活動を通して、たくさんの写真や物が集まってきたんです。そして2008年くらいから意識的に家族写真を集める活動を始めました。
-記者-
どうして家族写真だったのでしょうか。
-信鏞さん-
今、在日コリアンの子どもたちは4世5世となっていますが、この子どもたちのアイデンティティをどういう風にして育むもうかと、たくさん難しさを感じて、その時に家族写真がいい手がかりになるのではと思いました。自分の家族アルバムをめくることで、家族の対話が始まったりとか、家族のルーツを知るきっかけになったりするのではと思って、集めるようになりました。そして、現在写真以外にも生活用具や、くつの工場で働いていた時の仕事道具とか色々と集まってきました。それを自分で持っておくだけではなく、広く共有して、次の代に繋げていけるような形で残さなければいけない。今集めているものをしっかりと記録して、公開していかなければいけないなと思うようになりました。
-落合さん-
そのような信鏞さんの思いを聞いて、私たちも動き始めました。カフェナドウリで開催した在日コリアン1世のライフストーリーを聞く会や、様々な分野の人が語った講演会、映画を見て語る会、哲学カフェいろんな多文化共生のシンポジウムとか試みがありましたが、みんな流れていっちゃうんです。“素晴らしかった”“いい会だった”“感動した”と。でもそれをピンみたいに留めないといけないのではと思うようになりました。これは私たちのまちの財産として、事実を残さないといけない。どういう思いでまちに定着して、メンバーになった人がいたのかというのは、たくさんの人に知ってもらわないといけないことだと思いました。そのために生活資料館を作らないといけないと思うようになりました。
-記者-
令和5年度はどのようなことをされてきましたか。
-信鏞さん-
例えばこういう風にして写真をパネルにするとかこれまでの聞き取り活動の中でお話していただいた在日の高齢者の人たちの生の声や映像を整理するとか、そのような作業を始めています。
-落合さん-
フォーラムもたくさん実施しました。その中の一つで、在日コリアンの方のインタビューからその方の実家のジオラマを作成し、そのジオラマを見ながら、30人ぐらいで質問をする機会がありました。自分の住んでいた家のジオラマを見ながら質問されることで、すごく生き生きと自分の子ども時代こうだったんだって、喜びも悲しみもただ辛いだけじゃない、大変だったけど楽しかった、という暮らしが語られて、参加した人々、特に若い人にはとても心に響いたみたいです。
なので、今後はどうやって多くの人の心に響く語りができるのか、フィールドワークなどの案内人養成講座をやりたいと思っています。どんどん輪を広げていきたいです。
-記者-
どのくらいの方がこの活動に関わっていらっしゃいますか。
-信鏞さん-
このプロジェクトに今直接関わっている人は25人ぐらいで、サポーターは350人ぐらいですかね。
【団体活動におけるミッション共通理解の大切さ】
-記者-
たくさんの方がこの活動に関わっているのですね。そんな大勢で活動するにあたり大事にされていることはありますか。
-落合さん-
そうですね、夢が分かれていかないように、共通理解はどこだと確認することを大事にしています。素晴らしい後継者を育てたいので、ミッションは揺るがないよう信鏞さんに確認しながら、軌道修正しながら活動しています。
-記者-
団体として課題と感じているのは、後継者とか若い人たちにどう伝えるかということでしょうか。
-信鏞さん-
どこの団体もそうだと思うのですが、次の若い方々にどう繋げていくのかというのは課題があると思っています。
-記者-
活動において、工夫していることはありますか。
-落合さん-
やっぱり、新しく来てくれたら、まずはありがとうと受け入れることですね。
-信鏞さんー
既存の団体ともお互いのいいところを助け合いながらやっていかなければいけないと思っているので、そこは気にかけて活動しています。
-記者-
今後はどのような活動を展開される予定ですか。
-信鏞さん-
まずは生活資料館開設に向けての準備を引き続き行います。物の収集ももちろんですが、高齢者の聞き取り活動とかもやっていかなければいけないです。あと、たくさんの人に来てもらうためにも開設までにいろんな企画も実施して、スタートアップの盛り上げもしようと思っています。
【居場所からその先へ、共生社会の実現に向けて】
-記者-
この活動を始めて、ご自身の変化や、周りの変化などはありましたか。
-落合さん-
私自身居場所をもらっている感じはすごくしますよね。生きがいとか、やりがいとか。活動場所を探している人に対しては一緒にやろうよとか思ったり、ここ来たら楽しいよって思ったりします。
-記者-
活動することによって皆さんの居場所にもなっているのですね。
-落合さん-
場所を提供してくれていると思います。少人数の人たちだけを良くしても、周りがわかっていなかったら問題は解決しないんです。本当に大切なのは、“ちゃんとわかる”を広げていくこと。例えば長田にはまちにも学校の教室にもいろんな国にルーツを持つ人がいます。その友達が、なぜいろんな国から来て、このまちを選んで、このまちにいるのかっていうことを分かってもらうための大事な場所です。
-記者-
長田はいろんな国から来ている方が多いので、みんなに知ってもらいちゃんと理解すること、とても大事なことですね。
では、最後の質問になりますが、将来、長田がどんなまちになってほしいですか。
-落合さん-
当たり前に多様性を受け入れられること、多様性を受け入れることがすごく特別なことじゃなくて、「当たり前じゃん」っていう感じ。ヘイトのない町ですね。
-信鏞さん-
やっぱり、誰にとってもここが自分のまちだって思えるようなまち。日本で生まれ、半世紀以上も長田で暮らしている私でさえも自分の住んでいるこのまちが本当に自分たちのまちっていう感覚がなかったんです。地震がきっかけで、それまではなんとなく疎外感を感じていたんですけど、被災という「同じ」地平からの出発で、在日コリアンにとってもテント生活のベトナム人が可視化されたことで、長田の多民族多文化状況を改めて認識するようになりました。そこから「ともに」このまちを創っていかなければという意識が芽生えたんですよね。
-落合さん-
みんなが“ここが自分のまちだ”って思えるような。コリアの子だけでなく、ベトナムやミャンマーなど“みんなが”ですね。
-信鏞さん-
多様性が力の源だという。そういう風にみんなが思えたらいいかなと思います。
-記者-
長田からその力を全国に広めていきたいですね。本日はありがとうございました。