シン・長田を彩るプレイヤー ~地域とつながり輝く病院~(前編)


今回は、荻原記念病院で言語聴覚士かつ広報担当としてお仕事をされている、服巻(はらまき)さんを取材しました!

2023年4月、神戸市兵庫区の荻原みさき病院と中央区の荻原整形外科病院が統合移転し、新長田の震災復興市街地再開発事業の土地で新たなスタートを切った荻原記念病院。
前編では、そんな荻原記念病院での服巻さんの仕事内容や、日々お仕事をするうえでの想いについて伺います。



医療の世界へ、神戸の土地へ

-記者-
まずは簡単な自己紹介からお願いします。

-服巻さん-
名前は服巻 陽子(はらまき ようこ)といいます。
あまりにも「服巻」のインパクトが強いので、患者さんに覚えてもらいやすいです(笑)
生まれは香川県で育ちは埼玉県、言語聴覚士になるために18歳から神戸に来ました。
22歳から言語聴覚士として言葉のリハビリの仕事をしていて、今年で47歳になります。

-記者-
言語聴覚士を目指したきっかけは何ですか?

-服巻さん-
寝たきり生活の祖父を小さい頃からずっと見ていたのがきっかけですね。
私が幼稚園の頃、祖父が脳梗塞で倒れて、麻痺と言語障害で寝たきりになってしまって。
物心がついた時から、祖父の家には往診の先生や看護師さんが出入りしていました。
話をしている祖父は記憶になく、私の名前を呼ぶので精いっぱいだったんです。

そのうち、言葉のリハビリをする言語聴覚士という仕事があることを知り、学んでみようと思って。
そのための学校が神戸にあったので、受験をして神戸に来ました。

私が神戸に来たのは1996年で、震災の翌年だったんです。
当時はそれこそ新長田の駅も仮設でしたし、更地もたくさんありました。
震災後のまだまだ大変な時期の神戸に引っ越してきたんですね。
そこから神戸にはかれこれ30年ぐらい住んでるんですけど、自分の住まいは別の区ですし、前までいた荻原みさき病院は兵庫区にあったので、実は長田区に関わるのは今回が初めてなんです。


震災後に残った緑地を庭園とし、荻原記念病院の移転地に

 

地域と共に、病院の未来と地域の健康を創る

 ―記者―
今の仕事内容についてお伺いしてもよろしいでしょうか。

―服巻さん―
まず、本職は言語聴覚士です。
脳卒中で言葉が不自由になった患者さんと言葉の訓練をしたり、年を取ってご飯が上手く食べられなくなった患者さんとご飯を上手に食べる練習をしたり、そういうお仕事がメインですね。

このような言語聴覚士の仕事をしながら、リハビリテーション部の部長をさせてもらっています。
そして、リハビリの仕事以外に、病院の将来を考えていく経営本部で行っている広報の仕事も担っています。

―記者―
井戸端会議※に参加されているのは、広報のお仕事の一環としてですか?(※新長田まちづくり株式会社で毎月第一木曜日に行われる、新長田で事業を営む方を中心とした情報共有及び地域活性化企画会議)

―服巻さん―
そうですそうです。
当院の院長が、積極的に地域とつながることを望んでいる先生なんです。
というのも、救急で患者さんが運ばれてくる大病院と違って、うちの病院は地域の患者さんが自分で選んでここに来るんですね。
だから、「こんなことで相談しに行っていいんやろか」って思うようなことでも気軽に来てもらえる病院でありたいんです。

 

院内で作成した院長のアクリルスタンド

 

そのためには、病院の中で患者さんを待っとってもいかんなと、自分らが地域に出向かなあかんとずっと考えていて。
そんなときに井戸端会議の話をお聞きして、参加させていただくことになりました。
私たちが参加させてもらうことで、長田にあるニーズとか、病院に対しての印象とかを一般的な視点で知ることができて助かっています。

―記者―
本当に地域に根差した病院なんですね。

私も井戸端会議に参加していますが、荻原記念病院さんを知るまでは病院が地域活動をされているイメージはあまりなかったです。

―服巻さん―
そうですよね、病院は病気になった患者さんを受け入れるところというのが普通ですよね。
病院が外に出て地域活動をするというのはなかなかないかもしれないです。

一般的な市民の方が持つ、病院に対してのニーズを知ることで、我々病院側ができることってもっと広げていけるのかもしれない、そのためのヒントを地域の人から得られたらええなあと。

我々の活動も知ってもらいつつ、皆さんの健康も支援できればいいなと思ってます。

―記者―
素敵です!


コミュニケーションのお手伝い

 ―記者―
地域活動についていくつか詳しくお伺いしたいです。
まず、かもめ音楽隊について。

-服巻さん-
かもめ音楽隊は、言語障害の方を対象にした患者会です。
言語障害をお持ちの方は、喋れないことが原因で、外に行きたくなくなって引きこもってしまう方が多いんです。
「外出ても喋る人おらんし、上手く喋られへんから家おるねん。」とよく仰っていて。
ご家族や言語聴覚士とだったら話すコツがつかめるので、何とかコミュニケーションが取れるのですが。
そこで、そういう人たちが集う場所があればみんな出てきてくれるんちゃうかと思って、かもめ音楽隊という名前をつけて患者友の会を立ち上げました。

月に1回、言語障害の人たちに集まってもらって、歌を歌ったりゲームしたり、みんなでお喋りしたりしています。


かもめ音楽隊の方々による交流会


-記者-
実際、みなさんの反応はどうですか。

-服巻さん-
喜んでくださってます!
実は、言語障害者の患者友の会って神戸市にあんまりなくて。
この会は元々、言語障害者の方とそのご家族が、「言語障害の会を神戸市で作りたい!服巻さん、一緒にやろう!」と声を上げてくれたことをきっかけに、同僚の言語聴覚士と立ち上げたものなんです。
2012年にスタートしたので、かれこれ10年以上になりますね。

最初はうちの病院を退院した患者さんだけで細々とやってたんですけど、クチコミで広まっていって、他の病院を退院された方を紹介してくれるようになって。
そうやってメンバーがちょっとずつ増えていって、今は十数名で活動しています。
皆さん、「かもめ音楽隊に来るといっぱい話せて笑えて楽しい!」と言ってくれていますね。

-記者-
自分と状況が近い方がいたほうが安心ですよね。

-服巻さん-
そう。状況が近い方がいると、地域で過ごすうえでのお困りごとをシェアできたりして。
病院はバリアフリーでも、家とか地域ってバリアだらけなんですよ。
テレビの声が速すぎて分からないとか、お会計で小銭が払えないとか。
そんなお困りごとをみんなで共有して、失敗も笑い話にできるぐらいになってくれたらなって思うんです。
今まで出来ていたことが出来なくなってしまうことって、本当にストレスなんです。
生活も人生も変わってしまいますし。
大半の方が今の状況を受け入れられず、落ち込まれます。

ただ、そこからリハビリをして少しずつできることを増やしていって、最終的には退院した後の人生を笑顔で過ごしてもらいたいと思っていて。

でもそういう気持ちになるには中々時間がかかります。
10年以上この会に通ってきてくれている方もいます。

長い年月を経て、色んな失敗を経て、「しんどいの僕だけじゃないんや」「まあいっか!できることをやっていこう!」と笑い合ってもらえたらなと思っています。

 

庭園横の花壇、車いすに座った状態でお手入れができる設計


-記者-
地域活動でもう一つ、ホームページの「地域の子供たちとの繋がり」の欄が「COMING-SOON」になっているのが気になっていて。

-服巻さん-
COMING-SOONね!
実はこどもたちと関わる活動もしようと思ってるんです。
この前も、ASMACI神戸新長田(病院の入っている建物の名前)の設立1周年イベントで駒ヶ林中学校の吹奏楽部の方々に演奏会をしてもらいました。
地域の方も患者さんも、とても喜んでました!
吹奏楽部の生徒さんのご家族にも観に来ていただいて、子供さんやお孫さんが活躍されてる姿を見て感動しましたという言葉を聞いて、私も感動しちゃいました。

あとは、例えばスポーツ系の部活のサポートとか。
効率的な走り方や怪我をしないような体作りを教えるとか、スポーツ系の勉強をしているリハビリのスタッフもいますので、そういうニーズがあれば出向いていきたいなと考えています。

・・・やりたいこと、めっちゃあるんですよ!

どうしても病院って高齢者のイメージがあると思うんです。

でも、若い人にも我々病院のことを知ってもらいたくて。

そういった意味でも、地域の子供さんたちに何かサポートができる体制を組めたらいいなと思ってます。

-記者-
今後の展開がいろいろあるんですね。とても楽しみです!



前編では、地域に根差した病院でありたいという荻原記念病院の想いと、そのために服巻さんが日々されている活動について伺いました。
地域の健康を作るために、どんな世代の方にも近い存在であるために、積極的に動き続ける姿勢に感銘を受けました。
後編では、服巻さんがリハビリのお仕事をする上で大切にされていることや、長田に対する考えについて詳しく伺っていきます!

(編集:おおとり、りんご、いっちー)