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日本版「動物保護のための獣医師会」設立を目指して

ペットに関わる様々な分野のトップランナーの皆さまにお話を伺うAnimal Professional対談。第11回は特定非営利活動法人ANICEの代表で、東京都獣医師会の事務局長も務める平井 潤子さんにお話を伺いました。

■外国のコピーではなく、日本の文化や国民性に適した動物福祉の制度が必要

小林:平井さんとは、2000年の三宅島噴火の際に、東京都獣医師会が中心となって立ち上げた「三宅島噴火災害東京都動物救援本部」で一緒に活動したのがきっかけで親しくなり、以来、いろいろな活動をご一緒させてもらっています。特に思い出深いのが、東京都獣医師会と賛助会員である旅行代理店が協力して実施し、僕も参加させてもらった「ドイツ&オランダ動物保護施設視察ツアー」(2018年11月)です。このツアーの企画・監修は平井さんなのですが、NPO法人ANICE(アナイス)で動物防災の啓発活動に取り組んでいる平井さんがあの視察ツアーを企画されたのは、何がきっかけだったのですか?

平井:三宅島の噴火や東日本大震災など、災害時の動物救援活動に従事した経験から、災害時の動物に関するトラブルは、普段の飼い主さんの意識やペットとの暮らし方、社会制度など、さまざまな問題が複合的に絡まって起こることを実感したんですよね。災害時のトラブルを避けるには、飼い主さんの意識や暮らし方、社会制度を変える必要があるんじゃないかと思ったわけです。そこで、いわゆる「動物福祉先進国」と言われているドイツなど諸外国では、どんなふうに人と動物が暮らしているのか、社会制度はどうなっているのかを知りたくなって、2013年ごろから海外の動物事情について情報収集するようになりました。

すると、日本で伝えられている情報と現地の実情に差異があることが分かってきました。例えば「ドイツには各地にティアハイムと呼ばれる動物福祉に配慮した保護施設があり、保護された動物を殺処分しない」という偏った情報が日本で流布されていますが、だからといってドイツが動物にとって理想的な国なのかというと、そうとは言い切れません。なぜなら、ティアハイムの需要があるということは、すなわち動物の飼育を放棄する人がいるということですから。そういうことも含めて、海外の実情を実際に見て、聞いて、自分の目で確かめてほしいと思って企画したのが、あのツアーでした。

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小林:かなりの弾丸ツアーでしたが内容が濃くて、本当に勉強になりました。特に印象深かったのが、ハノーファー獣医科大学で行われた「ドイツ動物保護のための獣医師会(以下、TVT)」による特別講習でした。ここでドイツの動物保護にかかわる法制度や獣医師に関連する行政組織、獣医師の役割、動物愛護の実態などについて学んだ上で、各地のティアハイムなどを見学したので、より実情に即した内容の質問をすることができましたし、リアルなドイツの動物保護の現場を理解することができたように思います。そして、ドイツのやり方はあくまでもドイツのやり方であって、いくら真似しても日本では実践できないのだということも、すごくよくわかりました。仮に実践したとしても、日本とドイツとでは、動物観や文化が違うので、うまくいかないでしょう。

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写真上)ハノーファー大学での講義の様子
写真下)ハノーファーティアハイム 企業からのネーミングライツにより設置した猫の展示&プレイルーム 

平井:おっしゃるとおりです。海外の事情に目を向けることは大切ですが、よくできた制度や日本にはない施設などを見るときには、同時にその施設や地域の抱える課題や社会的背景を知ることが大切です。また、外国のやり方や施設をそのままコピーするのではなく、それらを参考にしながら日本の文化や国民性に適したオリジナルの動物福祉の考え方や制度を築いていくべきです。

■「感情」ではなく、科学的根拠に基づいて動物福祉を考える「基準」が必要
小林:本当にそうですね。そこで今、平井さんが中心になって進めているのが、日本版TVTの構築です。改めてTVTの概要を教えてもらえますか?

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平井:はい。小林先生から紹介していただき、「ドイツ&オランダ動物保護施設視察ツアー」を手伝ってくださったドイツ在住の若い日本人獣医師、戸上さんをと一緒に、日本とドイツを結んで取り組んでいます。
TVT(ドイツ動物保護のための獣医師会)は獣医師会とは別に設置された組織で、動物保護に特に関心のある獣医師などで構成され、動物の生活の質の向上と動物福祉に尽力している、おそらく世界で唯一の獣医師学会です。メンバーは獣医師、公務員獣医師、研究者・教員、企業関係者、自然科学の専門家など約1300人。名称には「獣医師会」とありますが、実は獣医師以外の多彩なメンバーが入っているのも、TVTの良いところですよね。

小林:確かに、獣医師だけでは、どうしても視野が狭くなってしまいがちです。

平井:TVTではこういった幅広い分野のメンバーが11のワーキンググループに分かれて活動しており、各グループが1つの問題に焦点を当てて分析し、報告書を作成しています。TVTの社会的なインパクトは強く、立法案の提唱や政治的決定への助言を行うこともあります。

【TVTワーキンググループの例】
・犬と猫
犬や猫の飼い主に対する情報提供や動物福祉関連法に関するプロジェクトへの参加など
・ペットショップとペット
ペットショップでの販売方法と専門知識の向上など
・馬
馬の飼育条件、訓練および使用に関する基準の検討など
・家畜
産業動物の福祉の指標作成など

小林:なるほど、家庭で飼養される小動物だけでなく、大動物や家畜まで幅広くカバーしているのですね。

平井:そうです。中には動物輸送に関する動物福祉や、屠畜・致死処理に関する法的根拠を検討しているグループもあります。また、TVTには「獣医師の倫理基準」が設けられていて、これが活動基準(ガイドライン)となっており、TVTの会員はこの活動基準に沿って行動する義務があるとされています。

【TVTの活動基準】
①TVTは科学的かつ根拠に基づく動物保護を遂行する義務がある
・症状の診断、分類
・データの把握、評価
・動物の行動の記録、解釈
→以上の専門的かつ根拠に基づいた主張

②TVTは、社会における他の多様な価値観を認める
 動物保護の理念としてはTVTの価値観と相容れないものでも尊重されるべき
→妥協もできる柔軟な姿勢

③TVTは動物保護の理念に背く人を敵視せず、動物の利害のために活動する
→敵をつくらない

④TVTは会員の大半が獣医師であるが、いかなる職業上の党派(グループ)にも属さない
→職業上の政策や方針にとらわれない

⑤TVTは政治的な利害から独立して判断し、行動する
→政治的な影響を受けない

小林:特に、「科学に基づいた動物保護」という考え方は、日本にも必要ですね。ただ「かわいそうだから」とか「かわいいから」という感情で動物保護の必要性が語られてしまうので、その感情に共感できない人には伝わらないし、説得材料にならないんですよね。

平井:そうですね。科学に基づいているからこそ、TVTの報告書は評価が高く、ドイツ、オーストラリア、スイスでは各自治体の獣医局における判断基準ともされています。科学的根拠を指標とすることで、感情的な説得が理論的な説明へと変わるのです。たとえば、不適切な環境で動物を飼養している飼い主から動物を保護する(取り上げる)場合にも、「そんな飼い方をしていると動物がかわいそうだから」という感情ではなく、客観的なガイドラインに基づいた指導や措置ができるようになります。
それに、科学に基づいたガイドラインの設定は獣医師のストレス軽減にもつながります。たとえば、日本では行政獣医師が職務として動物の致死処置を行いますが、それが獣医師自身の大きなストレスになり、さらに外部からの批判の対象にされてしまいますが、致死処分を行うかどうかの判断のためのガイドラインがあれば、致死処分への批判に対して理論的に説明できるようになり、獣医師のストレスも軽減されるはずです。
TVTとまったく同じことを日本でやろうとするのは現実的ではありませんが、導入可能な部分だけでも順次日本に取り入れることを検討すべきだと考えています。すでに有志の仲間と日本版TVT構築の準備を進めており、まずはTVTの報告書の翻訳(日本語版制作)に着手しようとしています。

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小林:素晴らしい!とても意義のある取り組みですね。私にもできることがあれば、ぜひお手伝いさせてください。TVTのように様々な分野に属する人たちが目標を一つにして科学的に動物保護に取り組む体制を日本でも取り入れ、広めていきたいですね。

平井:ただ、冒頭で申し上げたとおり、こんなに良い仕組みや施設が整っているドイツでも、ティアハイムに動物の引き取りを求める飼い主は後を絶ちません。つまり、どんなに良い制度や施設があっても、飼い主の意識が変わらなければ、意味がないということです。日本版TVTの整備と同時に、引き続きANICEの活動を通じて飼い主の皆さんへの情報発信や啓発活動も継続していきたいと思っています。

小林:確かにそうですね。東京都獣医師会としても、引き続き飼い主さんを対象とした情報発信に取り組んでいきたいと考えています。平井さん、今後ともどうぞよろしくお願いします。今日はありがとうございました。


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