形の殻

暑気払いで身を焦がしていた高三の夏。辺りを見回していると受験勉強に追われている。戦争が目の先で行われている中、整然と学業の本質を学校の机に置いてきたのだ。七月冒頭、薄汚れたワイシャツを着た古典の白鳥先生に呼び出された。
「合格おめでとう。」
一通の便りには、額縁からもはみ出す勢いの「合格通知」と記されていた。僕が教科書を机の上に置いていた理由もなんとなく分かってくるだろう。夏休みに入りダルさと残暑見舞いの手紙が続く日に、祖母に頼まれた庭の手入れをしていた。少しばかりの嫌気と湿気のダル絡みが心地悪い。この季節になると記憶の片隅に畳んでおいたあの子の事を思い出してしまう。

高校生最後の夏休み、私は貴方と同じで夏が嫌いになりそうだった。小五で住処を代え東京に身を置いた私は、芸能界という個で溢れかえる水槽に辟易としていた。マネージャーに宣告を受け少しばかりの休息をもらった。辺りを見渡すと、ピエロの仮面を被った不変的な笑みを浮かべる私が鏡越しに映った。私がいない場所に行きたいその一心であの人の元へ還る事にした。新幹線に飛び込み、薄手を後悔するぐらいの寒さと汗が一気に肌に帰還していくのが伝わった。窓側に腰を下ろし早く出発しないかとソワソワしていた。
「まもなく00番線からは、博多行きが出発となります。ご利用されるお客様はご乗車の上お待ちください。」
謳い慣れたアナウンス。警笛と共に発車していく。段々と加速していき車窓から見える景色に少しばかり驚いた。
「私こんなの見た事無い。」
子供の様に窓に張り付き自分でもどこにいるか分からない感覚を誰かに共有したいと思い、そっと窓を離れると反射した私が映り手慣れた化粧に少し驚いた。
「私頑張ってるもんね」

僕は、近所の叔母さんから風の知らせを聞き、少し足が止まった。檻から脱走するライオンの様な藻掻きと子の為に社会に没頭する父の様に欲と自制の反芻を繰り返し足が案山子状態でなんともぎこちなかった。校庭から吹き荒れる砂埃が目に入り会うべきか否か深淵にいるあの子に聞いてみた。彼女はこちらを振り向き微笑みかけるだけであったがその意味を僕は、すぐに理解できた。
「ねえ私がアイドルに言ったらどうする?」
「絶対無理だよ!アイドルって大変だよ!なれるわけないじゃん!」
あの夏がフラッシュバックされ涎が垂れそうで赤面した。今になって言われた意味が分かった気がするけど何故あの時あの言葉を私に掛けたのか分からないままである。愛と呼ぶには、実のなってない林檎みたいだったが、林檎の木を手入れしたい位の気持ちにはなっていた。田園が続き、いくら歩いても辿り着かないのは、何処かで私が夢見たモノと似ている気がした。夏風の時刻は早々と過ぎ、夕餉に集中している。誰かにおかえりと言われている気分になった。何度も足を運んだ廃墟寸前のボロアパートの方角へ青春を謳歌しているB級映画の様に自転車を走らせ、途中自分の息の上がるタイミングを見計らいあの子の事を思い出し相克的感情に見舞われ、具合が悪い。
「咲季!!咲季!!!」

蜩の波に襲われ、夏の目は既に秋の背を見ているだけだった。残像に滴る微風を乗せた人工機械に「あ~~」と子供心の遊戯体験をして、爆弾を投下する瞬間の写真や飛び散るトンボの映像をひたすら眺めていた。小説の終盤の雑さが目立ち夜の帳が降りる頃、懈懈様にあの子を追いかける姿だけがそこにあった。

唇をかむ癖が抜けないのは夏化粧の終わりを迎える準備が出来ていないからだと思う。
「僕私僕私僕僕僕私僕僕僕僕」
文の綴りを指でなぞっているとチャイムが鳴り同時に不確かな記憶が蘇った。
「好きだから」
木霊する熱熱したわだかまりで産出された一つの命が終わりを迎えた。誓いの言葉で消息された気迷いない決心も瘦せ始めている。突拍子もなく誰かに呼ばれた気がして歩いてきた方角に目を向けると蛆虫が湧いている。吐息は少し甘かった。

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