百物語 第十八夜

お盆に帰省をしたときのことだ。

妹夫婦とその甥とでショッピングモールへ出かけることとなった。
年に一度くらいしか甥とは会うことはない。けれどちゃんと向こうは覚えているようで、俺に構ってほしがっている様子を見るとついつい甘やかしてしまう。

この時も甥と二人でショッピングモールに入っているおもちゃ屋の中をぐるぐるとまわり、ひとつだけと約束したプレゼントを探していた。
甥はショウケースに張り付き、その中を指差して「これがいい!」と満面の笑みを浮かべ俺に大声でねだった。

中にはプレミア価格のトレーディングカードが並んでいて、金額は驚くべきものだった。
「おじちゃんが子供の頃はね、一枚10円とか20円でカードのガチャガチャでひいたんだよ。これ一枚だけで1000枚もカードがひけちゃうんだ。もっと子供らしい金額のものにしよう」

甥はぶーぶー言っていたが、千円分トレーディングカードを買ってあげると不満も忘れたようで、一枚一枚どんなキャラクターかを楽しそうに俺に説明をしてくれた。
けれど甥の説明はまったく俺の頭には入ってこなかった。久しぶりに子供の頃のある記憶を思い出していたからだ。

それは子供の頃に小さく古びた駄菓子屋の前に置かれたカードダスのガチャガチャを引く時に「20円玉」を使っていた、というもの。
当たり前だが、俺が子供の頃に20円玉という硬貨は流通していない。


以前「20円玉」を思い出したのは大学の頃だ。
ネット環境がブロードバンドとなった時期で、授業もさぼってネットサーフィンや手がタイピングするままにどうでもいいことを検索したりしていた。
俺はふと「20円玉」の記憶を思い出したので検索をしてみると、『20円玉の記憶があるやつ』のようなタイトルの掲示板のスレッドが上位を占めてばずらっと並んだ。その検索結果に特に驚きもなく、似たような記憶違いをしているやつが世の中にはけっこういるんだな、くらいにしか思っていなかった。


甥のキャラクター説明に相づちをしながらスマホで「20円玉」を検索してみると、コインコレクターのブログや古物商のサイトしか出てこない。
検索結果を最後までさかのぼったが大学の頃に見たスレッドはもう見当たらなかった。


ショッピングモールから実家に戻ると母に「20円玉」の話をしてみたが、ただ笑われただけであった。
けれど俺がカードを引きに行っていた駄菓子屋について母は話してくれた。

どうやら息子が怪しい新興宗教にはまってしまい、土地の権利をその団体にただ同然で売り渡してしまったらしい。俺が高校生の頃の出来事のようで、そんな事情はまったく知らなかった。


「20円玉」と新興宗教に関わりがあるとは思わない。しかし子供の頃の曖昧な記憶にすぎなかった「20円玉」の記憶がなんとも気味がわるいものとなってしまった。
駄菓子屋のあった一角には、高い塀に囲まれた大きな宗教施設の建物がいま建っている。

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