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「街」という歌詞

今日、小春日和の街を子どもと散歩していたら季節がら、槇原敬之の『遠く遠く』(1992年)の歌詞が浮かんできた。(レミオロメンの『3月9日』のように春の定番曲か)

  遠く遠く離れていても 
  僕のことがわかるように
  力いっぱい輝ける日を
  この街で迎えたい

その後、家に戻り夕食の支度をしてながらこの曲をYouTube再生したら、レコメンドに堀口孝雄の『遠くで汽笛を聞きながら』(1976年)が出てきて聴いた。

  さがしてみたい
  遠くで汽笛を聞きながら
  何もいいことがなかったこの街で

コロナ禍発生から約1年が経ち、リモートワークが普及して、オンラインコミュニケーションが拡大し、非常に便利になった。

一方、人と人との触れ合いや、街の音、自然との付き合い方が意識的に関心を向けたり、繋がりを持ち直さないと、想いだせないくらいのレベルで忘れ去られている感じが拡大している気もする。

最近、「震災から10年経つな」ということが、よく意識に登ってくる。

ちょうど自分は2011年3月11日は仙台の沿岸部でバイト中で、自分のいた建物の向こう側まで津波の海水が及んできた経験を持つ。

その後の人との別れ、出逢い、社会人になり結婚し子どもも授かった。

今後、世界的にオンラインコミュニケーションが豊かになり、本当にopportunityが広がり続ける将来が待っていると思う。

一方、「街」という歌詞が人の感情と深く結びつくような歌詞の歌がどのくらい出てくるかというと、直感的に減って行くのではないかと感じる。

そんな時代の変化を感じた早春の一日だった。

※そういえば、震災後に東北の「街」をうたった歌詞の歌が多く出た。

その一つ、かりゆし58『このまちと』(2011年)にはこんな歌詞があったなと想い出す。

  ずっと 考えてみたけど きっと答えは単純だな
  「もう一度このまちと」 そうだろ
  ずっと この先何が起きても 死ぬまで信じてるぜ
  諦めてなんかいないぜ このまちと夢を見よう

※note初めての投稿の最後に私的なメモとなりますが、私は大学生・大学院生だった2009-2011年に3年程度hatena blogを書き綴っていた。

梅田 望夫の『ウェブ進化論 』(2006年)など読んで感化され、大学院で研究していた東北地域のことや歴史学のことを書いていただが、震災を受けた東北の風景を見てすっかり自信を失って全削除してしまった。

震災から10年目前でもう一度こうして綴りに戻ってこられて嬉しいと感じています。







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