文章を作るとはどういうことなのか

「すべての創造は模倣から始まる」

誰が言ったか、どこから聞いたかもう覚えていないが、私はこの一言が文字を扱うヒトにおける重要な要素だと思っている。

ヒトは他の動物と比して本能が非常に弱く、理性の力が非常に強いという。つまり、生まれながらにして持っているスキルというものが非常に少ない。挙げるとすれば、不随意運動・反射・三大欲求を満たすためのもの・二足歩行程度ではないだろうか。

では我々が生きるために使っている他のスキルはどうか?

たいてい物心付く前に「誰かから教えてもらった」ものだ。

ヒトの本能に識字能力は無い。これを読んでいるあなたも、今まで生きてきたどこかで誰かから文字を教えてもらい、文の読み方を教えてもらい、読解のしかたを教えてもらってきたはずだ。

転じて、文章を作るということは、今まで生きてきた中で学習した文章・理解できた文章の中から、自分の述べたい内容に合致したものを編集し出力するということ、と言い換えることはできないだろうか。
すなわち、「わかったこと」を模倣することから文章を作ることは始まるのだ。

何が言いたいかと言うと、文章を作るには、相応しいインプットが必要だということだ。

私は今までそこそこの量の本を読んできた。
絵本の読み聞かせから始まり、子供の頃は機械の図解本をせがんで買ってもらい、小学生の時には図書館に通い天体図鑑とNewtonを読み漁り、中学生のころにはスレイヤーズと銀河英雄伝説を読破し、高校生のころにはCARBOYを買い集め、大学生からはOld-timerとモト・メンテナンスを買い集め、ネット環境を入手してからはwikipediaをアホほど読んできた。
最近だと、SCPの日本語訳の2000番台あたりまで読破した。
そういえば、小学生の時には青い鳥文庫版の三国志を音読で読破したりもした。

今こうして富士通のFKB8450-552Gごしにガタガタと打ち込んでいる文章も、意識することは無いがこれらのインプットの中から生み出されたものなのだろう。

あなたが最も最近に見た活字はなんだろうか?
新聞のラテ欄?
あるいはテレビのテロップ?
あるいはWebサイトのテキスト?
あるいは紙の本?
あなたも、その日一日の「インプット」を振り返ってみるのもいいかもしれない。

ところで、自慢するわけではないが、私の文章はちょくちょく「分かりやすい」と評判を受ける。
私の書く文章はいくつかのパターンがある。
1.自分用。自分だけが理解できる必要最低限のもの。
2.自分の意思を誤解なく過不足なく伝えるもの。つまりビジネス用。
3.面白がってもらうためのもの。つまりSNS用。あるいは、ネットスラング・GPL(ゴミピープル語)・奇声のかたまり。同人誌にも少し使う。
4.自分がやったことを伝えるもの。ブログの記事・同人誌に使う。

せっかくnoteを作ったので、ここは新しく随筆をやってみようと思う。




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