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愚息さん日記、オイラなんちゃって独逸人だぜシリーズ(GoetheC-1への道)

今から5年前の2019年夏、7月末から約1か月の間、息子氏はドイツ語修行、というかどうしても突破したい認定試験があり、渡独のうえどっぷりとドイツ語ライフに浸って来られました。ニッポンが40°C超の灼熱地獄な真夏を過ごす一方、ヤツは平均気温20度前後の快適な避暑生活だったとのこと、ちっ!ですが、なかなかにハードな学習の日々を過ごしてきました。
で、彼のこれまでのドイツ語学習遍歴を思いつつ、当時のDeutsch tourの感想を尋ねるにつれ、色々と感慨深いところがあり、手前味噌もいいところながらこういう体験話も「シェア」の時代には良いことかと考え、数回のシリーズもので入れていきたい次第です。よろしければお付き合いください。
なお、予定するシリーズタイトルはそれぞれ次の予定です。


①そもそもなんでドイツ&ドイツ語?

A.向こう(ドイツ)のOPA&OMA(おじいさんおばあさん)と会話が成立しなくなるのは絶対にイヤだから
遡ること2015年7月30日、当時高1の彼は1年間のドイツ留学に旅立ちました 。YFUという交換留学斡旋団体のプログラムに応募したところ、当時の彼の英語力ではドイツ行きが合格ボーダーぎりぎりだった、という極めて打算的な理由でして、アウグスブルグという街のgymnasium(いわゆる進学系高校に充当)に入学し、ホームステイ先は郊外の農村部、アジア人など通りに一人も歩いていないようなお宅でした。
で、ホストマザーさんは片言の英語を話すものの、同居のおじいさんおばあさんはドイツ語、しかも南ドイツ特有の訛りの強いバイリッシュ語オンリー、かつ物静かで最初は全然会話が成立しなかったのだそうです。
そこから、彼なりに努力してバイリッシュを習得し(これが後々、苦労するタネにも...) 数カ月したらすっかり馴染み、家事全般を一緒に手伝い、最寄りの農家さんへ買い出しのお遣いもルーティンとなり、コミュニティのご近所さんとも仲良くなり、なんか全体的に家族そのものに。
帰国時にはわざわざ1年間のフォトブックを作って頂き、それを抱えつつ、家族全員で別れを悲しみオンオンと大泣き...。
「俺、絶対に帰ってくるからさ」と言い残していったん帰国。そして、思ったのだそうです。 「交換留学って、殆どのヤツはホストファミリーにまた来るよって言い残して、それっきりらしいんだわ。でも、俺は自分の言葉にfaithful(忠実)でいたいんよ」。
なぜなら彼の日本のおじいちゃんは、もはや耳が殆ど聞こえず、会話が難しく、現実的に交流がしんどい次第です。そのうえ、自分がドイツ語能力を喪っていく、ということは、もう一人のおじいちゃんとも会話が出来なくなる、自分のせいで...そんなの我慢ならん。
そんな心情ゆえに、帰国後も彼はドイツ語に勤しむ日々を過ごすことになりました。もちろん、それ以外にも色々な動機があるようですが、学習動機の根源はここにあるようです 。
今夏の語学学校も再びアウグスブルグを選び、再度ホストファミリー宅に2週間ほど滞在し、通学の日々&家事手伝い、すっかり気分は里帰り、だったそうです。
では、次回はどうやってドイツ語学習を進めてきたか、に続きます

②ドイツ語学習その1、現地でどうやって学んだか?

2015年夏、南ドイツのバイエルン州アウグスブルグ市に到着した当時15歳の息子氏、その段階ではCEFR(欧州言語運用能力評価基準)でA-1=ど初心者レベルだった彼は、次のような学習のプロセスを踏んだそうです。

その1、ホストマザーご推奨の「語学指導者」にコテコテのバイリッシュをコッテリ仕込まれる
→マザー曰く、ちょうど手が空いている親戚の叔父さんが、アナタの語学指導に通いで来てくれるわよ、タダで!そりゃありがたい、ということで当日やってきたのは、OPA(おじいちゃん)の義弟、初老のオッちゃん、元・農業ファーマー。息子氏曰く、
「当時は全然気づいていなかったけれど、要するに茶飲み友達ってヤツだな。おかげで近所の人らとのお喋りは結構すぐ出来るようになったんだけどさ。テレビのニュースとか聞いていても、なーんか『ちかい』感じがする≒『実はちがう?』感が同居してる感じでさ。ガッコでクラスメートと話していても、なんか時々笑われてよ~、お前田舎のジーさんコトバそっくりな言い回しすんなぁってさ」。つまりですね、彼がまだドイツ語インプットまっさらな状態の語学脳&耳に、イントロドンで刷り込まれたのは「コテコテの南ドイツ方言バイリッシュ、しかもおっちゃん系の」でして、まぁムリに例えるなら、和歌山あたりのおいやんが「連れもて行こら~(一緒に行きましょう)」もしくは北関東~東北あたりのじーさんが「そーだっぺ、やっぱそーだがんね(そうですね、やはりそういうことですね)」このあたりのイントネーションが最初に入っちゃったもんだから、後々しんどいことに。
「おっちゃんが一応手書きの単語帳みたいなのを作って持ってきてくれたんだけど、これがまぁ殴り書きっていうか、なに書いてあんのか全然読めねーってかんじ&全然体系だってない、思いつきのコトバ羅列でさぁ、でもそれでも覚えるようにしていったら、なんか会話は成立するようになってったなぁ。あ、ドイツ人の手書き、とーさんの手書きとおんなじくらいに基本チョー汚い・悪筆よ。今はどんなのでも読めるけどね。」うるせーな(*^-^*)

③ドイツ語学習その2、アメフト仲間に10代のチョーワリーコトバを仕込まれる

ドイツ語生活に馴染んで半年ほど経過し、息子氏は現地のアメフトクラブに入部し、色んなところからやって来る10代~20代の仲間とつるむようになったそうです(夜のクラブにすら)。通学していたGymnasiumのクラスメート以上に濃ゆい関係性を築いたようですが、そこで使われていたコトバとは・・・
「クラブに来る連中ってみんながギムナジウムに通うような、まぁ言っちゃえばエエとこの子って訳じゃなくてさ、まぁアホばっかでさぁ。そういうヤツらの話すコトバはとーぜんふつーのコトバとは違うわけよ。で、whats appで夜中じゅうそいつらとボイスチャットしてても、なんつーか、つかう表現が全然違うわけよ、ほらトーさんがイキって時々DQNとか使ってんだろ、あの類のオンパレードよ。了解をり、って略すのとかさ」。
てなわけで、なまじ、やたら聞き取り能力(ヒアリング)に長けているもんだから、結果的に1年後にいっちょ出来上がり!となったのは、「南ドイツ語を80~90年代チックに喋り倒す能力+やたら10代コトバも使い回せる」けれども、標準的な低地ドイツ語(北ドイツ語)がいまいちぱっとしない、生活者としての語学能力はバリバリあるけれど、きちんとした語学基準・アカデミア的な観点ではスコア評価しにくい、妙てけりんなドイツ語の使い手、でした。まぁ、愛用のMacもiPhoneも言語デフォルトをドイツ語にして今に至っており、うわべは独逸なヒトって感じですが。
Gymnasiumの恩師に別れ際に言われたそうです。「君は素晴らしい語学能力を持っている、が、これから先、矯正に苦労するだろうね」。その通りになる帰国後の彼なのでした。(以下、④、⑤、⑥へと続く)

④ドイツ語学習その3、帰国後どうやってメンテしてきたか?

2016年夏、1年のドイツ交換留学から帰国し、元々所属先の高校アメフト部に復部~半年で体重+30キロ増量、と怒涛の日々を過ごすことになった息子氏でしたが、そんな体育会系生活まっしぐらの日々において、どうやってドイツ語能力をメンテしてきたか?それはですねぇ、いやぁ傍から見てても、よく言えば「GRIT(やりぬく)」っていうか「コイツ根気が良く続くなぁ」、そんなカンジの日々でした。

1.恩師のドイツ語先生にご指導を請う(矯正~向上の日々がスタート)

留学へと出発の3か月ほど前、最低限のドイツ語ご指導を頂ける先生はいないかとネットで探すも、英語はもとよりフランス語と比べても、日本国内、まして阪神間でドイツ語指導者を見つけるのは、結構な激レアさん探しでした。が、武庫之荘におひとり、アンドレアス先生というハイデルベルク大学の哲学修士号ホルダー、今に至る恩師に巡り合えました。
で、1年後に帰国し、クセの強いドイツ語使いになった息子氏への強制矯正指導の日々が始まったわけです。その内容は、
まず「初級(!)ドイツ語文法」なる文法書からやり直し指示、トホホ。「君のことばは、意味は充分に通じるが文法が全然なっておりません」とのこと。「ガイコク人的なドイツ語でしかありません」きっつ~~。そのうえで、
・Hörenリスニング:NHK-BSのWorldニュースでZDF(ドイツ国営放送)を録画~ひたすらリピ視聴+ドイツ語ニュースアプリで音声リピ
➡せっかく耳・聞き取り能力が良いのだから、正調ドイツ語に耳を馴らせる習慣を身に付けよう、となり、そこから3年間、時には自宅で時にはiPhoneに動画を入れて、今では1.5倍速で視聴
・Lesenリーディング:毎日、Web版のドイツ語ニュースを読む
➡標準的なフレーズを身に付けましょう、例え5分でもドイツ語新聞を読みましょう、となり、ひたすらコツコツ積み重ねる
・Schreibenライティング:毎週、最低でも3本はショートエッセイを手書きで書き、PDF化して送付~添削頂く
➡手で書かないと正しい言語は身に付きません、ということで、ホンマに毎週毎週3~4枚、A4サイズ1枚程度の文量ながら、ひたすら日々雑感・時事などをテーマに書いてはPDF化して送り、赤ペン先生添削で戻る、多いときで一カ月あたり20本、少ない時でも最低10本ペースで今に至るまで継続
・Sprechenスピーキング:週一でスカイプレッスン、行けるときは直接スクーリング
➡週末の夜、1時間の会話で、エッセイのテーマやら時事についてやら、人生についてやらとあれこれお話して、一週間が終わる

以上、典型的な「読む聞く書く話す」4原則を墨守するかのような、そんな3年間を、時にはスカイプのPC前で寝落ちしたり、しょっちゅう父(俺氏)からコトバの折檻(サボんな、逃げんな、自分で言うたんやろやれやボケ!)を浴びせられつつ、継続してきておりました。

実はここにもう一つ、重要な取り組みがありまして。
2.Goethe(ゲーテインスティテュート)実施の語学能力検定試験でB-2&C-1取得を目指す

Goetheというのは、ドイツ政府設立の国際文化交流機関のことで、日本だと大阪・東京に拠点があります。英語で言うとブリティッシュカウンシル(ブリカン)ですね。で、CEFR(欧州言語運用能力基準)というのを最近は耳にされることもあるかと思いますが、ここでいうCEFR・B-2は学士レベル、C-1は大学院でもやっていける能力証明、となります。
これとは別に日本独特の独語検定(独検)というものもあり、彼は既に帰国後受験~準1級(B-2相当)保有者ではありますが、Goetheが世界評価基準につき、こちらで高いレベルを目指しましょう、として奮闘しているわけです。が、そう簡単にはいかないのですね、これが・・・

⑤なんで2019夏、ドイツツアーをしてきたのか?

高2の2016年夏に帰国以降、足かけ3年間、大学2回生になるまで彼は「読む聞く書く話す」ドイツ語学習を継続してきました。が、容易に超えられないハードルがありました。それは、Goethe(ゲーテインスティテュート)のB-2試験、そのなかでもSchreiben(書く)、の壁、でした。

GoetheB-2テストは、前半(読む聞く書く)と後半(話す)とにスコア評価が分かれた、モジュール試験の形式です。で、帰国当初の受検ではテストの質問文に対し、「そりゃ、アレじゃね?ってわけだんべ(×)≒それは、つまりこういうことですね(〇)」、要は、質問は理解出来ているし、回答内容もズレてはいないけれど、その表現方法がデフォであるべき口語(標準語)になっていない、というしょーもない理由でなかなか通らず。
その後も、Sprechen(話す)はすぐ通るようになるも、前半でポカが多く、なかでもSchreiben(書く)に苦労していました。で、日本でB-2テストは大阪で半年に1回、東京で年に5~6回程度、と受けるチャンス自体が少なく、対策本も殆ど無し。何回も落ちる息子氏相手に「俺はお前の打出の小づちとちゃうわ!」「お前、アタマ悪いんか!」「真剣さが足りないんや、もっと気合い入れろ!」と例によってコトバの暴力暴風。果報は寝て待て?そんなん睡眠学習ばっかキメてるこいつを待ってられへんわぃいつまでも!!

そんな嵐にも耐えつつ(というか、さして気にも留めず)、コツコツとGRITな学びを継続してきた彼が、初夏に突然言ってきました。
「とーさん、これ以上日本語の聞こえる環境では限界を感じるので、この夏、ドイツ語と真剣勝負させてくれ、これでB-2~C-1チャレンジを最後にするよ」いつになく、真剣な眼差しで依頼してきた彼に対し、こう伝えました。
・一切の日本語環境を消せ、LINEもアプリから削除しろ
・俺らからは基本的に連絡しない、どうしてもやり取り必要な場合、ワッツアップでドイツ語で連絡するから返信もドイツ語でしてこい、一切の日本語を脳みそからDeleteしろ
・そのうえで、B-2に通らなかったら、休学届け出してやるから、お前そもそも日本に帰ってくんな

なんというか、覚悟の船出、そんなつもりでの送り出しでした。
で、8月中旬までアウグスブルグの語学学校通学を経て、シュツットガルト、ハンブルグ、ブレーメン、ボン、ドレスデンとドイツ各地で実施されるGoetheB-2テスト行脚ツアー。予め予算はここまでだ問答無用!としており、滞在先はエアビーでやっすいところを探し、移動はLCC、長距離バス、学割鉄道と、とにかくコスト最優先。
その間、ワッツアップで入ってくる試験結果報告は、「Sprechen会話が通った(=他の3つは通っていない)」「Lesen読むも通った(=残り2つ)」とやはり最後まで「書く」が残る。そして試験結果、残るは8月24日受検の、ドレスデンの結果のみ・・・

それは、帰国日現地出発8/27の朝イチのメッセでした。
「Jetzt gecheckt, dass ich Goethe Prüfung B2 Modular von Schreiben bestanden habe!」(今日、B2の「書く」が通った、とやっと確認できたよ!)
あとで聞いたら、ドレスデンのゲーテ事務局の方に「僕はどうしても8月27日までにB-2スコア結果が必要で、特別の配慮を頂けませんか」と依頼していたのだそうです。そのスコア、あと1P不足でもだめな、ギリギリ通過でした。あれ、忖度かな?(;^ω^)

それでも、3年、いやいや4年以上のドイツ語奮闘を前に、ドレスデンにお住まいの幸運の女神さまが、すこーしだけ、チャンスの前髪を垂らして下さったのだ、そう家族全員が感じております。彼から連絡があったあと、こんなメッセを入れておきました。
「恐らくは、『答え』を与えられることよりも、『自ら切り開いて身に付ける』という行為を実践してきたことに、比類無き価値があると感じます。お疲れ様でした。」

以上、凡才の人間(親も子も)の語学習得の苦闘路、でした。
なお、さらっとC-1のSprechen(会話)も現地で合格してきたそうです。つくづく、論理脳・論理耳でなく、感性脳・感性耳なヤツやなぁ。

(次回、⑥再びドイツを目指すのは何故?に続く)
※画像は合格通知を聞いたウィーンで自分祝いに行ったカフェザッハーだそうです

⑥再びドイツを目指すのは何故?

そんなこんなで、漸く努力の成果が少しずつ実りつつある息子氏。こんな感じで安堵~自慢こいておりました。

・いやぁ、最後にスコア出てホッとしたわ~、ダメかと思ったけど、報われたわぁ
・でさぁ、単純にドイツ語出来る、っていうんじゃなくて、俺はもう標準ドイツ語(低地ドイツ語)、南部語(高地ドイツ語)、バイリッシュの昔コトバに10代の若者コトバ、なんでもイケんぜ!結構すごくね?
・てか、向こうでテレビ見ててさ、あんまし簡単なんでびっくりしたわ。ARDやZDF(両方ドイツ版公共放送)のニュースアナウンサーが使うフレーズが一番かっちりしていて、他の番組はそれよかずっとカジュアルで、まー聞き取りやすかったわ
・で、アンドレアス先生(彼の日本でのドイツ語先生)に合格報告したら、やっとだったねぇ。でも私は王道の語学習得指導をしてきたし、そもそも検定通過に限った指導をしてきたのではありません。貴方が将来ドイツで学び、生活していくための全体能力向上となるようにしてきましたし、実際、いまこの瞬間にドイツの大学での講義に参加しても、キミならついていけますよ、だってさ

そんな彼に尋ねました。「ここまで苦労してドイツ語を身に付けてようってからには、目指すところあんだろ、どんな感じなんだ?」彼からは、こんなお返事でした。

・そりゃ、とーさんが昔っから言っている、選択肢を拡げるってヤツだな
・プラス+、じゃなくてバイ×、を実践でやってるって実感しているよ。ドイツ語(口語・会話コトバ・方言)×グラフィックデザインに、×コーディング×AI関連の知識、あ、あと×SDG’s的な環境関連情報、ついでに×英語もって感じで、結構×掛けるネタが増えてきたと思うぜ。意外に少ないんじゃね、そんな奴って
・Π(パイ)型を目指せって、そんなことも言ってただろ、それだよそれ、一か所、ひとところでは収まりたくねーなぁ
・で、まぁPetra(ホストファミリー)んとこに、またフツーに「ただいま!!」って帰って「おー、Daikiまたドイツ語上手くなったな」そんなお喋りをずっとし続けていきたい、そんな感じかな

まだまだ、具体的なこの道、という絞りまではいれてないようでして、再度ドイツに渡り、向こうの大学で学ぶ気満々~色々と参画しようとしていることもあるようで、そこらへんは上手いコトかわされました。

最近読んだ本のフレーズを当てはめつつ、なんかちょっとだけ、感慨に耽りました。
「いつの時代にあっても、地域に変化をもたらすのは『よそもの』と『わかもの』だ」。コイツも、オーバーバウンダリーで行った先の地域を、なんか引っ掻き回してくのかなぁ。
まぁ、今回だってスコア的にはギリもギリでお前らしいし、これから先の道も、実際は結構な茨イバラの道だろうけどな、この4年間は無駄じゃ無かったな。息子さんよ、引き続きゴリゴリ行けよ、行けば分かるさ!世界中のどこまでも!

そんな2019年を経て、デザイン思考(D-school)のセレクションを突破し、
彼は2020年~2年間、コロナ真っ只中のドイツはベルリンでの学びにまい進していくのでした。その辺りは、またタイトルを改めて、Noteさせていただきます!
ここまでお読みくださいまして、ありがとうございました。

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